八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

設楽ダム水没住民についての記事

 国が事業を進めている設楽ダム(愛知県設楽町)の建設で移転を余儀なくされた地元住民を取り上げたテレビニュースをお伝えします
 設楽ダムも八ッ場ダムをはじめとする全国の他のダム事業と同様、計画が大幅に遅れており、計画から45年が経過しています。完成予定は2026年度です。国が掲げているダム建設の目的は、以下の国交省の公式サイトを見るとわかるように、八ッ場ダムと同じく「治水」や「利水」ですが、いずれも治水効果や水需要の観点から見て必要性を説明することは不可能で、巨額の税金投入による一部の経済活性化が実質的な目的です。
 不要なダムのために、なぜ住民は苦悩を強いられなければならないのでしょうか。

◆国土交通省中部地方整備局 設楽ダム工事事務所 公式サイトより「設楽ダムとは」
 http://www.cbr.mlit.go.jp/shitara/01damu_info/index.html

 「設楽ダムの建設中止を求める会」が設楽ダムの問題を訴え続けています。
 http://www.nodam.org/

◆2018年5月4日 中京テレビニュース
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00010000-sp_ctv-l23&p=1
ー設楽ダム計画45年目の春 “凍結”と“推進”に翻弄された100歳と88歳が見つめる花ー

 愛知県設楽町、高台に佇む1本の桜。安藤義久さん(88)の住み慣れた家は、この桜が見える場所にありました。

安藤さん(88):「鍛冶作業場はあっち。ここが家だ」

 安藤さんはこの地区で、60年以上に渡り鍛冶として仕事を続けてきました。長く使えて切れ味が評判の包丁は、プロの料理人も信頼を寄せる逸品でした。
 しかし、5年前に取材した時、安藤さんはこう嘆いていました。

安藤さん(取材当時83):「ここから離れていくことは悲しいことだな。どこへも行きたくない。ここにおりたいけども、しょうがないの」

 2013年、83歳だった安藤さんは、故郷を離れることになったのです。住み慣れた家を取り壊し、移転しなければいけなかった理由。
 それは45年前から進められているダム建設計画のためでした。

ダム建設計画に翻弄される、地元住民
 愛知県の北東部に広がる三河山間地域。その中央に位置する、人口およそ5000人の設楽町。この町に、治水・利水のための多目的ダムとして国が建設を計画しているのが、「設楽ダム」。総事業費はおよそ2400億円。

 計画は今から45年前に始まりました。1973年11月、愛知県が設楽町に対し、ダム建設の調査を申し入れます。当初、30代から40代の働き盛りの町民を中心に、反対運動が起こりました。
 しかし、町の主産業の林業が徐々に衰退。若者が次々と町を出て行き、過疎化と高齢化も進みました。そんな状況を受け、町は計画への同意を決定。
 計画が持ち上がってから36年が経過した2009年9月、町と国、県により建設同意の調印が行われたのです。

 ところが、調印式のわずか7か月後に政権交代が起こります。行政刷新委員会による「事業仕分け」で、数々の公共事業が廃止・凍結。
 設楽ダムの建設計画も、事実上ストップしました。

 そのダム計画が再び動き出したのは、2013年。政権に復帰した自民党政権のもと、国交省が計画を再検証。再検証では、ダムではなくため池を整備する案などと比較されましたが、国交省中部地方整備局は、「設楽ダムを建設する案が、環境への影響を避けるよう努めており、コストの面などからも最も有力」と結論付けました。
 計画立ち上げから実に40年、一旦ストップしたダム事業が動き出したのです。

忘れ得ぬ亡き父の言葉「鳥はいるか?」
 揺れ動く設楽ダム建設計画の行く末を案じていたのは、住民だけではありません。
 建設予定地の下流、毎年400羽以上のオシドリが越冬することで知られる「おしどりの里」。伊藤仙二さんは、およそ50年前からここでオシドリの保護に打ち込んできました。賛同した全国の人たちから、エサとなるドングリなどが送られてくるようにもなりました。

伊藤さん(取材当時83):「鳥を見て美しいとかなんとかっていうんじゃなくて、鳥がおるな、鳥が鳴いとるなとかね、鳥の羽音がするなとかね、生活の中に溶け込んでいた」

 50年間守ってきたオシドリたちが過ごす川。
 ダムは、いつできるのか?おしどりに影響はあるのか?そんな思いを抱きながら、伊藤さんは今年1月に95歳でなくなりました。
 跡を継いだ長男・徹さんは、父の残した言葉が忘れられません。

伊藤徹さん:「“ダムはどうなった”それから“鳥はいるか”。もう家族のことはほとんど言ってくれないんですけど、そういう(オシドリの)心配ばっかりでしたね。やり残して無念というか、その感じが一番強かったように思います」

移転を強いられても、守りたいもの
 ダムの水没予定地に暮らす住民は、124世帯。移転は5年前から急速に進み始めました。そして、山あいの集落から消えていったのは、人や家だけではありませんでした。

伊藤七郎さん(100):「えらいボロボロになっちゃって」

 ダム水没予定地に住んでいた伊藤七郎さん、100歳。見つめるのは「しだれ桃」の木。
 かつてこの地には毎年、春になると多くの観光客がやってきました。お目当ては、咲き誇る1000本もの「しだれ桃」。伊藤さんが50年ほど前から苗を植えたり、近所に配ったりして大切に育ててきた風景です。

 しかし、この風景もダム建設により水没することになりました。伊藤さんはしだれ桃の木を残し、95歳で故郷を離れることになったのです。

伊藤七郎さん(取材当時95):「なるべくなら早く移転地へ行きたい。そうせんと、自分の命がもたんようになるで。新しいとこ行って住んでから、終わりたいと思うんでね」

 移転から5年。今年100歳になった伊藤さんが、新しい家であることを始めていました。

 自宅横に広がるしだれ桃。その数、約100本。

伊藤七郎さん(100):「手入れはそうだのう、息子がやったり、人を頼んで切ってもらったり」

 新しい土地でもう一度故郷の風景を取り戻したい。そして、いつかまた人の集まる場所になってほしい。100歳になった伊藤さんの思いです。

絆は続く
 設楽ダム建設予定地で鍛冶屋さんを営んでいた安藤さん。2013年、60キロ離れた豊田市へ移転しました。元気な間は仕事を頑張りたいと自宅横には作業場も作りました。

 ところが、しばらくして訪ねると。

安藤さん(取材当時84):「昔流の仕事場でないとの、だめだ」

 体に染みついた故郷の作業小屋とは勝手が違うため、思うように仕事ができないのだと話しました。

安藤さん(取材当時84):「腕の筋肉も減っちゃって、腕が細くなっちゃって。槌も上がらんしえらい(辛い)。仕事がえらい」

 そんな安藤さんの姿が、この春、故郷にありました。
 ダム建設で故郷を離れた住民たちが、年に1度、再会する場所があります。水没予定地を見下ろす場所に立つ樹齢100年以上の桜「八橋のウバヒガンザクラ」の下です。

安藤さんと地元住民:「久しぶり。よう来てくれたの」「元気だった?」
 
 声を掛け合うのは、山あいの集落で助け合って暮らしてきた馴染みの顔。

安藤さんと地元住民:「今、なにやっとる?」「寝てばかりおる。やることがない」

 年に1度の再会。しかし、年を重ねる毎にやって来る人の数は減っていきます。

安藤さんと地元住民:「また来年な」「また来年ね。元気でね」

 春が来るたび遠のいてゆく、かつての暮らし、そして故郷の風景。建設計画が持ち上がって45年の春。

 設楽ダムの完成は、8年後の2026年に予定されています。

中京テレビ報道局・遊軍記者 田中穂積