「命を守る」堤防の論理 諫早支局長 山本 敦文(西日本新聞)

 長崎県の諫早干拓事業の現場から、諫早湾潮受堤防と宮城県気仙沼市の防潮堤の問題を取り上げた記事が発信されています。
 次々とつくられてきたダムや防潮堤は、命の循環を断ち切り、環境に大きなダメージを与えます。「防災」が掲げられているものの、諫早湾の潮受け堤防を管理する農水省と本明川ダム(諫早市で建設中)を管理する国交省九州地方整備局が「治水効果などを巡る調整協議はされていない」と書かれているように、防災を真剣に考えているようにも見えません。

 記事に出てくる大川のダム建設計画は宮城県が建設を目指した新月(にいつき)ダムです。熊谷博之さんたちの新月ダム建設反対期成同盟会による二十数年以上の長い反対運動により、新月ダムは2000年に中止が決定しました。一方、本明川(ほんみょうがわ)ダム事業では、今年3月、本体工事が始まりました。

◆2018年10月20日 西日本新聞朝刊2018年10月20日
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/weather_vane/article/458936/
ー「命を守る」堤防の論理 諫早支局長 山本 敦文ー

 諫早湾(長崎県諫早市)を閉め切る全長7キロの潮受け堤防沿いの岩礁が、緑色に染まっている。今夏の猛暑で発生したアオコが、べったりと張り付いているのだ。

 「あんな状態を放置して恥ずかしくねえのかな」。宮城県気仙沼市のカキ養殖漁師、畠山重篤さん(75)が、これまで何度か足を運んだ諫早湾に向けるまなざしは厳しい。

 畠山さんは気仙沼湾に注ぐ大川のダム建設計画をきっかけに、1990年から上流で植樹運動を続けている。カキが育つ汽水域の環境保全には川が運ぶ森の養分が必要と考えたからだ。2009年にはNPO法人を設立し「森は海の恋人」を合言葉に、環境教育など活動を広げている。

 11年3月、東日本大震災。畠山さんの住む舞根(もうね)地区にも津波が押し寄せた。集落の大半の家屋が流され、畠山さんも母親を亡くした。周辺では津波が運んだ土砂や石油流出で起きた沿岸火災の影響で、浅海の生物はほぼ死滅した。

 だが、数年で魚が戻った。「森や川とつながっている海の回復力はすごい」と畠山さん。山から運ばれた養分が海の食物連鎖を復活させた。

 だからこそ、02年のノリ凶作から16年たった今も再生論議が続く有明海の現状が、畠山さんにはもどかしく映る。

 震災後、東北の太平洋沿岸では、国土交通省が「数十年から百数十年に1度の津波から命を守る」という防潮堤の建設が始まった。気仙沼市では23漁港に高さ最大14・7メートルの壁を築く計画だ。

 畠山さんに共鳴して森里海(もりさとうみ)連環学を提唱する京大名誉教授の田中克さん(75)は「巨大な防潮堤は、長期的には森の養分を海に運ぶ地下水を遮断する恐れがある」と言う。舞根地区は、住民の大半が高台に移転することで「防潮堤は不要」と拒み、山、川、海と人のつながりを守った。

 諫早湾の潮受け堤防も高潮対策など防災が目的に挙げられている。確かに、湾に注ぐ本明川の流域では1957年、諫早大水害で539人の死者・行方不明者が出た。ただ、その防災目的は、湾を閉め切って農地や工業用地を造成する当初の干拓計画が82年に中止に追い込まれた後、国が持ち出した経緯がある。

 命を守る堤防−。田中さんは、こう言い添えた。「住民が反対しにくい防災を前面に掲げ、森と海の連携を断ち切る巨大公共事業の本質は有明海と東北で共通します」

 本明川上流では今春、同じ防災目的で国交省が総事業費500億円のダム建設に着手した。潮受け堤防を築いた農林水産省と治水効果などを巡る調整協議はされていない。

—転載終わり—

〈関連記事〉「諫早で本明川ダム着工 治水、諫干と分担不明確 防災“御旗”の縦割り行政」(2018年4月22日 西日本新聞)
      https://yamba-net.org/wp/41514/