八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム本体工事見学会の記事と取り残される住民

 朝日新聞群馬版の紙面に八ッ場ダムを大きく扱った記事が久しぶりに掲載されました。国交省が開催している八ッ場ダム本体工事見学会のことが取り上げられています。
 こうしてテレビや新聞が各社競って本体工事見学会を取り上げることが相乗効果となって、多くの観光客が見学会に参加し、見学会は時代遅れのダム事業の格好のプロパガンダの場となっています。
写真右=観光シーズン、川原湯地区の打越代替地には、本体工事見学会に参加するためにやってきた車の長い列ができた。2018年11月3日撮影

 もっとも、この記事によれば、国交省が見学会を開催する目的は、ダム予定地の地域振興だということです。
 国交省八ッ場ダム工事事務所の遠藤副所長の言葉として、「現在は官民合わせて1日当たり700人弱が関わるダム工事。完成後は(国交省職員は)管理要員の10人ほどになる。観光需要も見通せない」と書かれており、国交省はもっと地元住民が主体性をもつことが必要だと言いたいげです。

 水没予定地では1960~70年代、住民の大半が八ッ場ダム計画に反対し、1974年には反対期成同盟の委員長が長野原町の町長になりました。当時の新聞は、これで八ッ場ダムは中止になると、各紙が大見出しを打ちました。しかし、国は利根川流域都県と共に強力に八ッ場ダム事業を推進し、ダム反対の町長は、任期16年の間にダム受け入れへと姿勢を変えざるを得ない状況に追い込まれました。
写真右=長野原町長(1974~1990年)を務めた樋田富治郎氏(右)と1979年から1983年まで長野原議会議長(1979~1983年)を務めた山崎猛夫氏(左)、「草萌ゆる高原」(山崎猛夫著、関東建設弘済会)より

 ダム事業によって地方自治を骨抜きにしてきた国と群馬県は、地元がダムを受け入れると急に冷ややかになり、水源地域振興公社をはじめとする地元との約束は反故にされてきました。人口流出と高齢化によって衰退するダム予定地域は、ダム事業によって過剰に整備された地域振興施設や道路、上下水道、温泉配湯設備等の維持管理に大きな負担を強いられることになります。
 川原湯温泉の水没住民が移転した代替地では、今のままではダム湛水後の安全率を満たしていないとして、安全対策の工事が延々と続けられています。観光地のはずの温泉街は工事現場に取り巻かれ、観光客の姿はわずかです。
 現地には、国交省が明らかにせず、紙面が取り上げない問題が沢山あります。

*以下の記事は11月10日に群馬版に掲載されたのち、14日にネット記事の社会面に掲載されました。

◆2018年11月10日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASLC966G3LC5UHNB018.html?iref=pc_ss_date
ー八ッ場ダム(群馬県長野原町) 沈む絶景惜しむ人波、歓声もー

 計画から70年近い歳月と、国内のダム建設史上最高額の約5320億円を投じた八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)。完成予定の2019年度末に向け、工事現場に人波が押し寄せている。

 11月上旬の週末の午後、ダム南岸の川原湯地区。移転代替地として山の北斜面に造成された高台に、老若男女が集まった。“工場萌(も)え”感覚で、「やんばツアーズ」と銘打たれた見学会の一つ、予約不要の「ぷらっと見学会」。ダム直下の吾妻渓谷の紅葉狩りの時期と重なり、1回の定員40人の3倍超の140人が参加した。この日だけで699人が集まったという。

 案内役の女性が言う。「紆余(うよ)曲折がございましたが、現在24時間体制で工事を行っております」

 計画の発端は、戦後間もない1947年のカスリーン台風。利根川流域で1100人の死者を出した。52年、国は洪水対策を掲げて八ツ場ダムを計画。地元では激しい反対運動が起こった。85年にダム建設を事実上受け入れたが、その後も工期は何度も延長。工費も膨らんだ。

 その名が全国区になったのは2009年。水需要が伸び悩み、治水効果も疑問視され、民主党がマニフェスト(政権公約)に建設中止を掲げた。一躍、政権交代の象徴となった。だが結果的に建設は続き、一転して政権混迷の象徴になった。

 ツアーは約40分。ダムの本体工事現場へ続く崖上の道を歩く。眼下には吾妻川。そして国道や鉄道の跡。案内役の声が飛ぶ。「今しか見られない貴重な景色になっております」。来秋には、完成前に試験的に水をため始める。

 ダム本体の間近で、多くの人がカメラを向けた。資材を運ぶケーブルクレーンが頻繁に行き来する。男の子が「かっこいい」と喜んでいた。

 東京都足立区から来た山田半三さん(90)はかつて家族で毎年、移転前の川原湯温泉に来ていた。「思い出があるから、寂しいね」。足腰が弱ってしまったが、この日は水没する風景を目に焼き付けるため、家族の助けを借りて訪れていた。「ダム、本当にもうできるんだな」

 「来年度末の完成に向け、順調に工事を進めています」と、国土交通省八ツ場ダム工事事務所の遠藤武志副所長。17年度から本格的に始めた見学ツアーには、今年度は10月末までに約3万8千人が参加した。

 国交省は今後、地元が主体のツアーを増やしたいという。「我々は完成後、ここからいなくなる。ツアーの目的は、ダム完成後の地域振興です」。現在は官民合わせて1日あたり700人弱が関わるダム工事。完成後は管理要員の10人ほどになる。観光需要も見通せない。「建設中のいま盛り上げることが、完成後の観光につながる」

 水没と引き換えに、国や群馬県が住民に描いて見せた湖畔の観光地の未来図は道半ば。一方、15年に着工したダム本体は予定の高さ116メートルまで8~9割が積み上がった。(山崎輝史)
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—転載終わり—

写真下=八ッ場ダム本体工事現場に隣接している川原湯温泉の移転地である打越代替地。代替地の安全対策箇所の一つ。
大栃沢に砂防ダムが二基つくられ、その上の盛り土造成地に水没住民の住宅や旅館、食堂がある。国交省が開催している本体工事見学会の集合場所もこの造成地にある。2018年10月28日撮影。

写真下=上の写真の上流側では、谷側に建設した県道を通行止めにして、岩盤のある所まで掘り下げ、盛り土造成をやり直している。掘削箇所の背後には住宅が並んでいる。水没住民に高額な価格で分譲した代替地の盛り土造成をやり直すわけにいかず、県道部分のみやり直しているのだろうか。重機の右側に見えるのは、谷側に作られた県道の迂回路。2018年11月3日撮影。