長野原町役場の新庁舎と住民総合センターが完成し、今週日曜日に完成式典が開催されました。業務開始は12月25日とのことです。
総事業費は約29億円で、朝日新聞によれば、このうち13億円は利根川流域5都県(東京、埼玉、千葉、茨城、群馬)が負担する利根川・荒川水源地域対策基金からの拠出です。
住民総合センターの中には、約280席の多目的交流ホール、視聴覚室などのほか、図書館も併設されました。住民総合センターの立地は、吾妻川を挟んでJR長野原草津口駅前ですので、列車で町を訪れる町外の人にとっても、蔵書1万2千冊の図書館は便利そうです。
しかし、ダム湖の上流端は、ダムの堆砂が進んだ将来、洪水被害を受けやすいとも考えらえます。
(右画像=広報ながのはら 平成30年12月号より)
八ッ場ダムには三事業あり、その一つ、利根川・荒川水源地域対策基金事業は、八ッ場ダム建設によって都市用水の供給を受ける5都県が負担します。
長野原町は町役場の建設費も下流都県が負担するよう求め、町役場と住民総合センターを一棟の建築としましたが、5都県は水没予定地より上流にある町役場はダムとは関係ないとして拒否した経緯があります。
八ッ場ダムに関わる利根川・荒川水源地域対策基金事業の各事業予算は、右の表で見ることができます。2015年度末時点の金額を示すこの表では、住民総合センターは14億5000万円余となっています。(クリックすると拡大表示)
このほか、道の駅、幼稚園、クラインガルテン(菜園付き貸別荘)、温泉施設、公園、駐車場、JR長野原草津口駅前など、多くの整備事業が基金事業で実施されてきたことがわかります。
◆2018年12月11日 上毛新聞 (紙面記事より転載)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/98335
ーダムの町に新たな中心 町役場庁舎と住民総合センター 長野原ー
群馬県長野原町の役場新庁舎と住民総合センターの完成式典が9日、同町長野原の同センターで開かれた。町民や関係者約200人が町の新たなシンボルの誕生を祝った。25日に業務を開始する。
式典で萩原睦男町長は「来年は町制施行130周年、再来年は八ツ場ダムが完成する。大きな節目を迎える町として、新たなスタートを切ることができたと実感している」とあいさつした。
中学生に公募した住民総合センターの愛称は、現在は高崎商大付高1年の桜井くれはさん(応桑)の「@(あっと)長野原」が選ばれた。桜井さんは「ダムができて新しい町に変わっていく中で、より良い拠点になってほしい」と話した。
新庁舎と住民総合センターは通路でつながれている。現庁舎から南東に1.5キロの国道145号バイパス沿い。平屋建てで、床面積は約3900平方㍍。総事業費は約29億円。
敷地内で発掘された縄文時代の久々戸遺跡敷石住居跡を中央エントランスホールに床下展示している。住民総合センターは280席の大ホールのほか、図書室、調理実習室、多目的室などを備える。
◆2018年12月12日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASLD9541DLD9UHNB002.html?iref=pc_ss_date
ー群馬)八ツ場ダム湖のほとりに交流拠点完成 長野原ー
国が2019年度末の完成を目指す八ツ場(やんば)ダムの湖岸となるJR長野原草津口駅近くに、群馬県長野原町役場の新庁舎と住民総合センターが完成した。25日にオープンする。センターはダムで地域が水没する見返りに建てられた。住民の交流拠点としてだけでなく、町を離れた人たちに故郷を思い出してもらう狙いもあるという。
両施設は棟続きの平屋建てで外観は1棟に見えるデザイン。新庁舎の役場機能はコンパクトに集約し、正面玄関近くに議場を配置した。正面玄関には、敷地内で発掘された縄文時代中期末(約4千年前)の「久々戸(くぐど)遺跡敷石住居跡」を移した。床下のガラス越しに展示している。
センターは約280席の多目的交流ホール、視聴覚室、図書室などが備えられた。蔵書は1万2千冊で、現在の町公民館図書室から倍増。八ツ場ダムコーナーを充実させ、建設中のダム写真や遺跡の発掘調査の全記録、ダム関連の書籍をそろえた。
総事業費は約29億円。このうち13億円は、ダムの恩恵を受ける下流5都県(東京、埼玉、千葉、茨城、群馬)が拠出する利根川・荒川水源地域対策基金を活用した。
町内の中学生から募集したセンターの愛称は、桜井くれはさん(現高1)の「@長野原(あっとながのはら)」が選ばれた。驚きと感動、町のよりどころになってほしいとの意味を込めたという。
9日のお披露目の式典には国や県、住民ら約280人が出席。萩原睦男町長は「来年は町制130年、再来年には悲願だった八ツ場ダムが完成し、大きな節目を迎える。新たなスタートが切れる」と話した。
1929(昭和4)年建設の現庁舎の扱いは、取り壊しも含めて今後検討するという。(泉野尚彦)
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写真=長野原町の中心街に、雲林寺とともにある旧庁舎。藤色と白で塗られた木造の洋風建築で、正面玄関はバルコニーを取り入れたしゃれたデザイン。
長野原町誌によれば、建築経費として町は昭和三年度に一万二千二百円を計上したが、その後、八百円の寄付金申し入れがあった。寄付者は、須川(現在の白砂川)と吾妻川の電力会社、株式会社飛島組、草津電気鉄道株式会社のほか、個人名として東京在住者7人の氏名が並んでいる。この中には貴族院議員であった秋元春朝子爵の名もある。長野原町に含まれる浅間山麓の別荘の関係者と思われる。町役場の土地は現在も町役場に隣接している雲林寺からの借地である。町役場の裏手の山は長野原場の城跡で、役場に面する山裾は古くからの雲林寺の墓地である。
今月号の広報ながのはらでは、「昭和~平成の90年 町の変遷を見守り続けた旧役場」のタイトルで特集が組まれ、2~5ページに掲載されています。昭和4年の棟上げ、土蔵の資料室など、珍しい写真も見られます。
http://www1.town.naganohara.gunma.jp/www/contents/1497921190536/files/kouhou3012.pdf
〈参照〉「長野原町の旧庁舎、約90年の歴史に別れ」
旧庁舎の部材の一部は、八ッ場ダム事業による地域振興施設で活用されることになったそうです。