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居家以岩陰遺跡(第6次調査)の現地説明会と八ッ場の岩陰遺跡

 八ッ場ダム予定地のある群馬県長野原町では、ダム予定地の上流側にある貝瀬地区で國學院大學考古学研究室が行っている縄文時代の居家以岩陰(いやい・いわかげ)遺跡の学術調査が大きな成果をあげつつあります。特に注目されるのは、縄文時代早期~前期の人骨が多数、きわめて良好な状態で出土していることです。

 居家以岩陰遺跡の発掘調査は2014年に始まりました。毎年8月から9月にかけて約1ヶ月間の発掘調査の成果について、現地説明会が開かれてきました。6年目となる今年も、9月8日に調査団長の谷口康浩教授が現地で説明を行いました。
(写真右=現地説明会では、岩陰の入口に設けられた足場から、出土した埋葬人骨を見学。)

 居家以岩陰遺跡でこれまでにみつかった縄文人骨は約26体に上るそうです。これらの人骨は、岩陰で煮炊きが繰り返されたために残された灰層中に埋葬されていました。人骨や生活廃棄物を守ってきた灰層は、当時の人々の生活を復元することができるタイムカプセルということです。

 今年の現地説明会では、埋葬人骨が腰部で切断されている、特異な埋葬法であるとの解説がありました。なぜ、上半身と下半身を切断して埋葬したのか、まだその理由は明確にはなっていないそうですが、7体以上の人骨が重複して出土した発掘現場を目の当たりにした説明会の参加者にとって、想像力を大いに刺激するお話であったようです。

 現地説明会資料によれば、調査団では今後、考古学的な情報と人骨の分析からわかる人類学的な情報、動物骨や植物種子の分析からわかる自然科学的な情報などをもとに、縄文時代が始まる頃の人々の行動や生活の復元を行っていく計画で、考古学以外の分野の専門家とも連携して研究を進めるということです。

 居家以岩陰遺跡は専門家の間では全国的に注目されているとのことです。
 同じ町内の川原畑地区八ッ場にある石畑Ⅰ岩陰遺跡の発掘調査は、居家以岩陰遺跡の学術調査とは異なり、試験湛水を控えて調査期間が限られ、報道も研究成果を待つことなくダムに沈む予定です。
 

◆2019年9月10日 上毛新聞
https://this.kiji.is/543899567437775969
ー縄文人の起源 不思議な葬制 解明に期待 居家以岩陰遺跡 長野原ー

国内最古級の埋葬人骨20体超
  国内最古級となる約8300年前の埋葬人骨が見つかった縄文時代の居家以(いやい)岩陰遺跡(群馬県長野原町)が、考古学関係者の注目を集めている。遺跡からは人骨20体以上が見つかっているが、DNA分析が可能なほど状態は良好。考古学や形質人類学などの専門家が横断的な組織をつくり、縄文人の起源や埋葬習俗の解明に取り組んでいる。

 遺跡は「岩陰」の名称通り、張り出した岩盤下のくぼみにある。縄文時代は岩陰や洞窟が生活空間として利用されており、同遺跡からは身近な場所に遺体を埋め、死者とのつながりを大事にしたことがうかがえる。

DNA分析
 2014年から国学院大を中心とした調査団(団長・谷口康浩国学院大教授)が発掘。今年も8月下旬から約1カ月の日程で現地入りし、地中にある約7体を精密な測量で記録している。東京大大学院の近藤修准教授(形質人類学)は「人骨の特徴やDNAを調べることで、日本人の成り立ちが分かるかもしれない」と期待を寄せる。

 年代測定を終えた8体のうち、5体が約8000年前の縄文時代早期、残る3体は約6000年前の同時代前期の人骨だった。

 20~40歳とみられる女性の人骨は上半身と下半身が腰で切断され、骨盤の上に頭骨がのった状態で見つかった。これは縄文時代にみられた手足を折り曲げて葬る「屈葬」と異なり、特殊な埋葬法があった可能性を示している。埋葬した骨を掘り返し、あらためて埋めた形跡のある人骨も見つかった。

 谷口教授は「不思議な状況がいろいろある。縄文早期は葬制の始まりで、縄文人が死んだ人をどう扱ったか、死生観を考える材料になる」と話す。

近親婚回避か
 成人女性の人骨と、近くにあった子どもの骨、若い成人男性3体をDNA解析したところ、近い関係にあると思われたが、母子やきょうだいといった近親関係にないことも分かった。

 谷口教授は多くの人骨を鑑定し、埋葬された集団の構成を明らかにする必要があるとした上で、「DNA解析の結果は近親間による結婚を避けていた可能性を示しているとも考えられる。縄文早期の家族や婚姻制の研究にもつながる」と指摘する。

 調査では岩陰と「前庭」部分から掘り起こした土を水洗いし、数ミリ単位の微物も回収。動物の骨や植物の種、石器、1万年以上前の土器を発見している。周辺にはまだ5カ所の岩陰がある。さらに古い人骨が見つかる可能性もあり、縄文人の起源解明に期待が高まっている。(三神和晃)

動物、環境、植物 広く専門家集う
 遺跡調査のため結成された、通称「居家以プロジェクト」には、DNA分析を行う東邦大の水野文月助教や年代学・同位体分析が専門の東京大学総合研究博物館の米田穣教授ら多くの研究者が加わっている。

 魚やニホンジカ、イノシシの骨、イヌビエ、アズキの原生種が見つかっており、動物考古学や環境史、考古植物学の専門家が分析。縄文人の食生活や当時の自然環境など幅広い実態の解明を進めている。

◆2019年7月10日 読売新聞文化面 (紙面記事転載)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190709-OYT8T50126/
ー国内最古級の埋葬人骨 縄文初期知る手がかり 群馬・居家以岩陰遺跡ー

 群馬県長野原町で2014年から発掘が続く居家以岩陰遺跡で、縄文時代早期(約8300年前)の国内最古級とみられる埋葬人骨が複数体、発見された。墓地だったと推定され、縄文人に一般的な「屈葬」と異なり、遺体を切断したと思われる独特な埋葬法も確認した。縄文初期の埋葬習俗や死生観を知る上で重要な成果として注目される。(文化部 多可政史)

腰部で切断の跡

 同遺跡は群馬・新潟・長野の3県にまたがる上信越山地南縁部の標高約640㍍の地点にある。張り出した岩盤の岩陰に縄文人のたき火による灰が堆積し、アルカリ性土壌に変化したことが幸いし、約20体もの埋葬人骨が出土した。
 そのうち8体の年代測定を終え、5体が早期(約8200~8400年前)、3体が前期(約6500年~7000年前)の人骨と判明。未測定の人骨も早期のものが多いとみられる。早期の埋葬人骨は長崎県の岩下洞穴、大分県の枌(へぎ)洞穴などに発掘例があるが、調査団長の谷口康浩・国学院大教授は、「これほど人骨が密集した集団墓地は早期にはほとんどない」という。
 動物に荒らされにくい岩陰に埋葬したことから、谷口教授は「死者を身近に感じて大切に扱う死生観を持っていた」と指摘。埋葬法にも注目すべき点があり、20~40歳とみられる成人女性の人骨を分析すると、骨盤の上に頭蓋骨が乗る不自然な形で葬られていた。
 縄文時代は死者の手足を折り曲げて葬る屈葬が広くみられるが、この人骨は上半身と下半身が腰で分離しており、通常の屈葬にはない骨の残り方をしている。縄文早期特有の埋葬法が存在した可能性を示す例だ。
 この女性人骨と、ほぼ隣接する場所に埋められた性別不明の子ども(未成人)の骨、約1㍍ほど離れた場所の若い成人男性とみられる骨の計3体は、東邦大の水野文月助教らによる遺伝的系統の分析も行われた。母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAの詳細な解析で、3体に関しては母と子、同じ母から生まれた兄弟姉妹などではないことが明らかにされた。

 近接する場所に埋められた女性と子供が近しい血縁関係ではない点などは、当時の墓制を考える上で関心を集めそうだ。今後、父からの遺伝的系統も分かる核DNAによる分析を行い、埋葬集団の構成を解明する。

 遺跡ではコイ科とみられる魚や、イノシシ、ニホンジカの骨などの動物資源、ヒエの祖先種・イヌビエやアズキなどの植物資源の痕跡も見つかり、多様な動植物を利用した豊かな生活が想定される。早期より古い縄文草創期の土器も出土し、1万年以上前の人骨発見の可能性も秘める。今年も8月から発掘を行う予定で、谷口教授は「各分野の最先端の研究成果をいかし、縄文時代初期の人類の社会や生態を復元したい」と意気込む。

—転載終わり—

写真下=居家以岩陰遺跡の発掘調査が行われている長野原町では、八ッ場ダム事業で多くの縄文時代の遺跡の発掘調査が行われている。ダム堤に隣接する石畑Ⅰ岩陰遺跡は多くの観光客がダム堤を見学するために訪れる展望台「やんば見放台」の足下にある。2014年9月まで、石畑Ⅰ岩陰遺跡のある大岩の手前をJR吾妻線が走っており、群馬県史・資料編Ⅰによれば、1978年には岩陰のほぼ中央部に落石防止のためにコンクリート壁がつくられた。9月8日に対岸の右岸展望台から撮った写真では、コンクリート壁の上に張りめぐらされていた緑色の金網が外されているのが見える。
〈参考ページ〉群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページ 石畑Ⅰ岩陰遺跡 令和1年7月調査

写真下=2019年7月17日撮影。中央に八ッ場沢、その左手に石畑岩陰遺跡のある大岩。コンクリート壁と金網が見える。

写真下=コンクリート壁の手前(JR吾妻線の線路跡)で石畑Ⅰ岩陰遺跡の発掘調査。2019年7月17日撮影。