八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム予定地の遺跡保存求め、文化財保存全国協議会が要請

 豊かな文化財を後世に伝えてゆくことを目的として1970年に設立された全国組織、「文化財保存全国協議会」が八ッ場ダム予定地域の文化財保存に関して、国交大臣、文化庁長官、群馬県知事、群馬県教育委員会委員長、国交省関東地方整備局長に要望書を提出したとのお知らせをいただきました。

 この要望書は、同会が6月に山梨県で開催した第44回総会で決議したものです。

 文全協のサイト
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/bunzenkyou/index.html

要望書を全文転載させていただきます。

          八ッ場ダム建設予定地域の文化財の保存と活用を求める要望

 八ッ場ダムの建設が予定されている地域は、吾妻渓谷からJR長野原草津口駅までの間で、吾妻川沿いの平坦地とその背後に急峻な山地をもち、豊かな水場に恵まれた別天地的な小世界こそが、人びとが生活するうえでの好条件を提供してきました。それはダム建設予定地域という限られた範囲のなかで、縄文時代から弥生・古墳時代、古代、中世、近世、さらには近現代につながる、非常に貴重な遺跡群が残されていることからも明らかです。

 豊かな自然環境のもとで大規模な集落遺跡を形成した縄文時代、水田稲作に適さない山間地で独自の対応を迫られた弥生時代や古墳時代をへて、平安時代には独自の開発で活況をみせ、群雄が闊歩した中世には城跡だけでなく、畑跡や建物跡、製鉄関連遺跡などというように、文献には載らない当該地の歴史を明らかにする貴重な資料として注目されています。とくに吾妻川に沿って広範囲に現れた近世の遺跡は、たとえば東宮遺跡や久々戸遺跡などの屋敷跡や耕作地跡が、天明3年(1783年)の浅間山の噴火にともなって発生した天明泥流の堆積物にパックされた状態で残されていて、後世のかく乱をうけていない遺跡からは、文献資料では明らかにできなかった山間地での生活を明らかにしただけでなく、近世の山村は貧しかったという、それまでの常識を覆す発見として注目されています。

 このように、八ッ場ダム予定地域は貴重な文化財の宝庫です。これら文化遺産に、国指定名勝である吾妻渓谷などの自然遺産を加えれば、当該地域一帯は優れたフィールド・ミュージアム(野外博物館)となることは間違いなく、ダムに頼らない真の地域振興を図ることができるものと考えます。

 ところで、八ッ場ダム建設事業にともなう遺跡の発掘調査は、1994年に開始されましたが、2012年度末現在で全体の3割ほどが未調査であるということです。しかも、2009年秋に民主党政権が八ッ場ダム工事の中止を宣言して以降は、本体工事にかかわる遺跡の発掘調査は中止されており、未調査部分の大半が本体工事にかかわる水没予定地内の遺跡ということになります。

 以上のことから、八ッ場ダムの本体工事は中止し、当該地域一帯を文化遺産と自然遺産を活かしたフィールド・ミュージアムなどダムに頼らない真の地域振興を図る計画に改めることを要望いたします。また、八ッ場ダムの本体工事を急ぐあまりに、遺跡を安易にランク付けするなどし、貴重な遺跡を無謀に破壊したり、調査期間や費用などを不当に縮小しないことを強く求めます。
 以上、決議します。

 2013年6月28日
                        文化財保存全国協議会第44回総会