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足羽川ダム本体着工

 国土交通省近畿地方整備局が福井県に計画した足羽川(あすわがわ)ダムの本体工事に着手しました。
 足羽川ダムは半世紀前に計画されましたが、地元の反対運動によりダム建設地を変更するなど紆余曲折を経てきました。
 国のダム事業では、川辺川ダムを流水型(穴あき)ダムとして復活させる案が現実味を帯びてきていますが、足羽川ダムも流水型ダムです。国直轄の流水型ダムとして最初に本体工事に着手したのは熊本県の立野ダムです。足羽川ダムは二番目になります。
 以下の中日新聞の連載記事(中)では流水型ダムの問題が取り上げられています。

◆2020年11月16日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASNCH6QW4NCHPISC00B.html
ー足羽川ダム本体着工、26年度に完成予定 福井ー

  国土交通省近畿地方整備局は15日、福井県池田町小畑に建設している足羽川(あすわがわ)ダムで、「堤体」を造る本体工事に着手した。本体工事は2025年度に終え、試験湛水(たんすい)をして、26年度のダム完成を目指す。

 ダムの総事業費は約1300億円。1983年に実施計画の調査に着手され、反対運動や予定地の変更もあったが、大きな浸水被害が出た04年の福井豪雨で建設の機運が高まり、07年に整備計画が策定された。予定地の68世帯が移転した。

 堤体は足羽川支流の部子川(へこがわ)に建設する。高さ96メートル、堤頂の長さ351メートル、総貯水容量約2870万立方メートルで、満水時のダム湖面の面積は約94ヘクタール。平常時は水をためない洪水調節専用の流水型で、増水時に下流域の洪水被害を低減する。福井豪雨級にも対応できるとされる。国交省所管の流水型ダム5基(いずれも計画・建設中)の中で最大の堤体という。

 この日は予定地付近で起工式があり、移転を強いられた住民を含む関係者約150人が参加。杉本達治知事は、ダムを受け入れた池田町と住民らに感謝を伝えたうえ、「毎年のように全国で豪雨災害が起きている。足羽川水系でもいつまた大災害が起きるかわからない。一日も早い完成を祈っている」と述べた。(佐藤孝之)

◆2020年11月16日 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/154824?rct=fukui
ー<曲折の半世紀 足羽川ダム本体着工>(上)歴史ー

 木々が色づき始め、山あいの集落に清流の音が響く。福井市中心部から東へ車で三十分余り。十月末の美山地区にはのどかな風景が広がっていた。半世紀前から三十年にわたって、足羽川ダム建設の是非を巡って大きく揺れた地区だ。
 「ふるさとを水につけるのはもってのほか。賛成とは言えない雰囲気だった」。旧美山町役場でダム対策を担当していた豊田忠克さん(79)=東河原町=は、当時の反対運動をこう振り返る。県道沿いには「建設阻止」の立て看板が点在した。
 足羽川下流の洪水被害を軽減させようと、国は一九六七(昭和四十二)年度、ダム建設の予備調査を始めた。八三年には実施計画調査に移行し、美山町をサイトとする多目的ダムの事業が動き始めた。調査では、同町の百六十戸と池田町の六十戸の計二百二十戸が水没することが判明した。
 建設予定地だった場所の残存集落に住む川崎武雄さん(89)と竹沢正重さん(77)=蔵作町=は「根拠は不明だが、霧が発生して農作物に影響が出るとか、森林伐採で土砂崩れが起きやすくなるという話を聞いた」と回顧する。

 ■反対運動
 水没地住民でつくる町ダム反対期成同盟会は「無条件で反対」を一貫して主張。水没予定地に全国から募った六百人の共有地を設け、建設阻止の動きを強めた。九五(平成七)年には町内の65%に当たる九百戸から反対署名を集めて県に提出するなど、強硬派として反対グループの先頭に立ち、建設計画は難航した。

 さらに公共事業見直しの機運が高まり、旧建設省(現国土交通省)は同年、諮問機関「ダム建設事業審議委員会」を設置。委員会は賛成、反対両方の意見を聞いたり、現地視察をしたりし、九七年に答申内容をまとめた。

 「足羽川ダムは治水・利水・環境の観点から必要」「現計画は大きな犠牲を伴い地元同意を得ることは困難なため、適当ではない」「水没世帯が極力少なくなるよう事業者は最善の努力をすべきだ」

 この答申を受け国は九九年、代替候補案を公表。建設地を足羽川本流から、支流の部子(へこ)川(池田町)に移した。その結果、水没戸数は以前の四分の一程度に縮小した。県は二〇〇二年、水需要が増えなかったことを理由に新規利水から撤退し、利水ダムの必要性が失われた。

 ■再認識
 転機は〇四年七月の福井豪雨だった。足羽川流域を中心に、一万四千戸余りが床上・床下浸水の被害に遭った。同等の雨が降った真名川(大野市)は、真名川ダムなどの洪水調節により浸水被害はゼロ。治水ダムの重要性が再認識され、建設を求める声が流域自治体や住民から上がった。

 近畿地方整備局長と知事、池田町長・議長は〇六年十月、ダム建設の基本協定を締結した。〇七年二月には「九頭竜川水系河川整備計画」が策定、メニューの一つにダム建設が明記された。環境影響評価(アセスメント)や用地補償の調査が始まった。

 しかし再び暗雲が垂れ込める。当時の民主党政権が〇九年十二月、検証対象ダムに指定。事業は一時凍結となった。検討の結果、国は一二年七月に「継続」とする対応方針を決めた。環境アセスが一三年二月に完了し、一四年六月にようやく着工に至った。

 足羽川ダム建設の経過は、反対運動や国の方針転換など、曲折の連続だった。池田町の杉本博文町長はこう語る。「何とも言い表せないが感慨無量。集落には長い歴史や人々の営みがあり、住民の苦渋の決断もあった。流域住民の安全を確保するため、早期完成を願う」
   ◇ 
 足羽川ダムの本体工事が始まった。六七年度の調査開始から五十年余りの歳月が流れた。節目を迎えたダムの「曲折の半世紀」を振り返りながら、防災機能、移転を迫られた住民の思いなどに迫る。

◆2020年11月17日 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/155342/
ー<曲折の半世紀 足羽川ダム本体着工>(中)防災ー

 「穴あきダムでは日本最大。ゲート付きは初めて。池田町に日本一ができるんですよ」。十月下旬にあった足羽川ダムの町民向け工事見学会で、近畿地方整備局足羽川ダム工事事務所の担当者が力を込めた。完成は二〇二六年度。全国でも珍しいダムの本体工事が始まった。
 穴あきダムは治水専用で、増水時だけ水をためる。堤体の下部に水の通り道を設けてあり、通常時は川の水が流れ続ける。巨大なコンクリート壁(堤体)ができても、魚の移動を妨げず、土砂もため込まない環境に優しいダムとされ、流水型ダムとも呼ばれる。
 完成済みの穴あきダムは全国で五カ所しかない。国内最初の運用開始は二〇〇五(平成十七)年の益田川ダム(島根県)で、それ以降、辰巳(石川県)、西之谷(鹿児島県)、浅川(長野県)、最上小国川流水型(山形県)が完成。いずれも県管理ダムだ。国直轄に限ると完成はまだなく、足羽川ダムは二例目の本体着工になる。堤体は高さ九十六メートル、最上部の幅三百五十一メートルと、これらの中で最大。貯水容量は二千八百七十万立方メートルで、サンドーム福井百杯分に相当する。

 ■治水専用
 足羽川ダムを穴あきダムに変更する案が浮上したのは、二十年ほど前。建設候補地が旧美山町から池田町に移され、県は工業用水、福井市も上水道の利水からの撤退を決めた時期だった。「治水専用」となったことで、建設による批判を受けにくい穴あきダムにまとまっていった。

 穴あきダムは、本当に自然環境に優しいのだろうか。金沢市の犀(さい)川上流に八年前完成した辰巳ダムの付近は、渓流釣りポイントとして知られる。毎年イワナを放流する金沢漁協の八田伸一組合長は「ダム上流は、コンクリート打設などで川の流れや見た目が別物になった。しかし、イワナの生息に大きな変化はない」と話す。

 治水機能はどうか。ゲートを持たない穴あきダムは、数メートル四方の水路から吐き出せないほどの水が流入すると、自然と水がたまってダム湖になり洪水抑止機能を発揮する仕組み。しかし、長野市の浅川ダムは、市内の千曲川が氾濫に至った昨年十月の台風19号で水がほとんどたまらなかった。ダム周辺は「弱い雨が長時間降り続いていた」(長野県)ためだった。

 さらに、運用開始から十五年がたつ益田川ダムも「最も水がたまったのは貯水容量の1・4%」(島根県)。穴あきダムに水がたまるかどうかは自然任せなところがあり、下流域に対して必要な時に必ず治水効果を発揮できるという保証はない。

 ■ゲート採用
 一方で足羽川ダムは、人為的にゲートを下ろして貯水を始める仕組みだ。ゲートは一定の流入量に達するタイミングで閉めるというが、必要とした時に操作することも可能。「これまでの穴あきダムより応用が利く」(足羽川ダム工事事務所)。ゲート採用は全国初で、完成後の運用が注目されそうだ。

 足羽川ダムの目的は、足羽川で「戦後最大規模の洪水」を防ぐこと。〇四年の福井豪雨での水害を踏まえて川底は掘削済み。これに加えて、支流の部子(へこ)川にダムが完成すれば「八十年に一度の大雨でも安全に流せるようになる」(同)という。穴あきダムで、足羽川治水に画竜点睛を成すという考え方だ。

◆2020年11月18日 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/155960?rct=fukui
ー<曲折の半世紀 足羽川ダム本体着工>(下)住民の思いー

 足羽川ダム建設に伴い、池田町では五集落の計六十八世帯が、住み慣れた土地を離れた。水没などのために移転対象となり、多くの世帯が町外へ転居した。建設を受け入れながらも、先祖から受け継いできた土地を手放す寂しさや無念さに揺れた人たちの姿が、そこにはあった。
■移転5集落
 移転対象となったのは上小畑(おばたけ)、下小畑、千代谷、金見谷、大本の各集落。部子川ダム対策委員会の事務局を務める田中共栄さん(77)は十年前、大本から福井市内に移り住んだ。「(大本は)生まれ育った場所。山があって、川があって。お客さんが来ると、おやじらは『魚捕ってくるか』と出掛けた」。人々のつながりが強く、もてなしの心を大切にした生活を懐かしむ。
 流水型の足羽川ダムは平常時は貯水しないため、完成後も集落跡は水没状態にはならない。「湖にならないから、集落があった場所が分かる。その姿を見るとみじめに思う」と田中さん。移住した後も山菜採りなどで故郷に足を運ぶが、屋敷跡には木が生え、生活のにおいが消えた集落の姿はすっかり変わった。その光景を見るたび胸が痛む。
 ただ、移住することを善悪で割り切れない地域の実情もあった。大本は「年寄り…(以下略)