報道によれば、熊本県の蒲島知事は、「(川辺川ダム建設の是非をめぐる)住民投票は再び地域の対立や分断を引き起こすことが懸念される」ため、行わないと明言しているそうですが、蒲島知事が川辺川ダムを復活させた時点で、すでに地域の対立や分断が引き起こされているということです。蒲島知事の発言は、この間、このように事実を歪曲したり、すり替えたりして綺麗ごとを並べることが多いように思われます。
俳優で小説家でもある中村敦夫さんは、1998年から2004年まで参院議員の時代、大型公共事業の問題に熱心に取り組みました。八ッ場ダムと共に取り組んだ川辺川ダムが蒲島知事の変節によって復活したことについて、中村さんが連載コラムで鋭い指摘を行っていますので、あわせて紹介します。
なお、中村さんはこの記事で、「球磨川が氾濫し、65人の死者が出た」としていますが、これは誤りです。65人は熊本県南豪雨における死者数で、このうち球磨川流域での死者数(土砂災害や支流の氾濫などの犠牲者も含む)は50人と報道されています。
◆2020年12月4日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/670197/
ー川辺川ダム建設「住民投票しない」 熊本県知事が明言ー
7月の熊本豪雨で氾濫した球磨川流域の治水を巡り、川辺川への流水型ダム建設容認を11月に表明した蒲島郁夫知事は3日の県議会一般質問で、ダム建設の是非を問う住民投票の必要性を問われ、「住民投票は再び地域の対立や分断を引き起こすことが懸念される。私自身が実施することは考えていない」と明言した。
蒲島氏は答弁で、政策決定に至る経緯を説明。「治水の方向性を決断するに当たり、まず心に誓ったことは、川辺川ダム建設を巡る地域の対立を再び引き起こしてはならないということ」とし、流域住民らへの意見聴取などから「命と環境の両立こそ民意」との心証を固めていったという。
その上で「50年後、100年後の球磨川流域の安全と清流を守り抜くためには、流水型ダムを含む『緑の流域治水』以外にないと確信している」と強調。「知事として決断した以上、『歴史法廷の被告人』として永遠に立ち続ける覚悟」と住民投票の実施を否定した。
蒲島氏は2008年に川辺川ダム計画の「白紙撤回」を表明。だが、熊本豪雨の発生を受けて方針転換し、今年11月に現行計画の廃止と「新たな流水型のダム含む『緑の流域治水』」の推進を国に求めた。 (古川努)
◆2020年12月4日 日刊ゲンダイ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/282188
ー中村敦夫 末世を生きる辻説法 ダム建設中止一転し容認へ ぶれっぱなし熊本県知事の変節ー
権力の座に長く居続けると、脳みその回転が鈍くなり、誇りも覇気も消えてしまうのか。
今年4期目となる熊本県・蒲島郁夫知事は、08年に川辺川ダム建設計画を、自ら白紙撤回した。ところが、12年後の今になって、再び計画を復活させると発表し、周囲を仰天させている。
20年前には、財政赤字と環境破壊の元凶としてダム建設の不条理がやり玉に挙げられた。建設利権を死守したかったのはダム事業を天下りの宝庫と拝む国交省の役人や、日本中の河川にコンクリートを流し込み、税金を丸のみしようというゼネコン、土木企業、そしておこぼれを狙う族議員や自治体の長たちだった。
そんな時に川辺川ダム建設中止を決めた蒲島知事は一瞬、時代のヒーローのように賛美された。ところが、事情通によくよく聞くと、本人はぶれっぱなしの頼りない人格だそうである。
今年7月に熊本を襲った大豪雨で、川辺川が合流する球磨川が氾濫し、65人の死者が出た。
洪水対策については、これまでいろいろと議論があり、ダムを造らない流域治水の10種の方法が提案されていた。しかし、知事が具体的に計画を進めることはなく、予算不足を理由に放置してきた。
この日和見と決断力の欠如が、悲劇の原因となった。少しでも対策を実行していれば、被害の拡大に歯止めがかかったはずである。
さて、ここで惨事便乗型勢力の出番だ。国交省、自民党、ダム派の市町村長が勢いを盛り返し、川辺川ダム復活の大合唱が始まった。よろよろ知事は、さすがに全面降伏は恥ずかしかったのか、「民意に変化があった」と弁解。しかし、災害からまだ4カ月、民意の変化を知るほど現地の人々と話し合っていない。
国交省がここで悪知恵を出す。
「従来の貯留型ダムはやめ、流水型を採用するから、環境破壊もない。川辺川ダムがあれば、今回の浸水の60%は防げた」
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流水型ダムは、ダムの上部と底の部分に穴を通し、水の流通をスムーズにする。土地の漁師たちに言わせれば、穴には流木やごみがひっかかり、そこへ流砂がたまり、ヘドロや洪水の原因になるという。60%の浸水を防げるというのも確かな根拠がない。しかもこれは貯留型ダムを想定した数字だ。ここらをすり替えるペテンは、もういい加減にしたらどうだ。
「原発は安全です」とどこが違う?