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愛媛県 肱川ダム直下の集落「安全神話」崩れ浸水、さらに3つ目のダム建設中

 愛媛県を流れる肱川の流域の状況を伝える記事を紹介します。
 2018年7月の西日本豪雨では、肱川中下流域が凄まじい氾濫になりました。肱川上流には国が管理する野村ダムと鹿野川ダムがあるのですが、この二基の巨大ダムが線状降水帯の停滞によって満水となり、緊急放流を実施したことで水害が拡大しました。流域住民8人が犠牲になる中で、集落が水没しながら犠牲者を出さなかったのが記事で取り上げられている大洲市の肱川町地区です。

◇以下の映像は記事より切り抜き

 大洲市の肱川町地区は、鹿野川ダムの直下で合流する肱川支流・河辺川の最下流に位置しています。西日本豪雨の際、鹿野川ダムの緊急放流により、肱川本流の水位が上昇して、河辺川の流下が妨げられ、肱川町地区は河辺川のバックウォーター現象で集落全体が水没しました。河辺川では肱川町の直上流で山鳥坂ダムの建設が進められています。山鳥坂ダム完成後、鹿野川ダムだけでなく、山鳥坂ダムも緊急放流を実施することになれば、この集落はどうなるのでしょうか。

◆2021年7月7日 南海放送
https://news.yahoo.co.jp/articles/19f1222fee109c7224eb91b55609a862766fd4bf
ーダム直下の”特殊”な集落「安全神話」崩れ浸水 二重の危機超え命守った訳 【愛媛から伝えたい】ー

 2018年7月7日、愛媛県大洲市の肱川町地区は、西日本豪雨で集落全体がすっぽり水没しました。この地区は全国的にも珍しい、ダムが身近に見える場所に位置します。自宅が2階まで浸かった女性は「ここはダムが近くにあるから、ダムが守ってくれる。そういわれて安心していたのに」と振り返ります。水没の原因は、ダムの緊急放流によるバックウォーター(背水)現象。被災者は「川が逆流した」と口を揃えます。ところが、大洲市全体ではダムの緊急放流などで4人が犠牲になったにもかかわらず、この地区の住民は放流と逆流という“二重の危機”の中、無事避難しました。一方、地区では新たなダム建設が進み、完成すると2つのダム直下となり、さらに特殊な立地環境になります。どこよりもダムが“身近にある”住民が学んだ、ダムと洪水をめぐる命を守る教訓とは。  南海放送解説委員長 三谷隆司

「ダムが危険なのは地震で崩壊した時」「洪水からは守ってくれる」
 愛媛県大洲市の山間部、肱川町地区で暮らす二宮潤子さん(43)は、西日本豪雨で自宅が2階まで浸水しました。しかし、持ち前のハキハキした明るさで、被災後も子どもたちと一緒に地元の人たちをよさこい踊りで元気づけます。

 実は二宮さんにとって洪水は身近でありふれた災害でした。25歳で嫁ぎ先の肱川町地区に来るまでは、同じ大洲市でも肱川町地区から車で30分ほどかかる、肱川下流の市街地に住んでいて、高校生のころ見た住民がボートで避難する姿が忘れられません。
 ところが25歳で、自宅から少し歩けば鹿野川ダムが見える場所の肱川町地区にお嫁に来て以来、その心配から解放されました。周りから「ここは近くにダムがあるから守ってくれる。危険なのは地震でダムが崩壊した時」といわれ、「何の疑いもなく信じていた」からです。事実20年近く、下流の大洲市街地では浸水被害が繰り返されましたが、ダム直下の肱川町地区は被害と無縁でした。

◆ダム直下の町を襲った「緊急放流」、守ってくれるはずが・・・
 しかし2018年7月7日、西日本豪雨の日、肱川町地区に住む101世帯248人は、これまでにない異常な光景を目にしました。
早朝6時過ぎから消防団が出動するなど「あたりがざわついてきた」(二宮さん)といいます。「少しずつ川から浸水してきた。最初は静かにサーっという感じだったから、車を高い場所に移動させた。それからが早かった」(二宮さん)。そして、みんな口を揃えるのが「水が逆流してきた」、中には「白波を立てて上ってきた」という被災者もいます。

◆崩れた「安全神話」、集落襲ったバックウォーター現象
 肱川町地区は、本流・肱川から数百メートル奥まった場所に位置し、支流・河辺川が脇を流れます。肱川本流が緊急放流で急激に増水したため、行き場を失った河辺川が逆流、集落を襲ったのです。肱川ダム統合管理事務所は「背水(バックウォーター)現象が起きた」としています。

◆被災者の体験に共通する「最初に“静かな浸水”」
 被災から7か月後、親子2代にわたって受け継ぐ「文楽もなか」を夫婦で復活させた福田永一郎さん(53)は、店舗のすぐ裏を流れる肱川の支流、河辺川について「年に1、2度、かなり増水することはあるが、氾濫するのは見たことない」と話します。

 福田さんも二宮さんと同じように、浸水の最初の段階ではあまり切迫感を感じなかったといいます。「最初はちゃぷちゃぷと水が敷地に乗り越えてくる感じだった」。しかしその後、「妻に車を移動させた方がいいといわれ、近所の高い場所に移動させて、家に戻ると膝ぐらいまで浸かっていた。そこから2階の屋根まで増水するのが早かった」と振り返ります。

 二宮さんは「今となっては、“ダムに近いから安全”には、何の根拠もなかった」と話します。『安全神話』が崩れた被災当日、近くの公民館の3階に40人程度が避難しましたが、「みんな、あまりの想定外の現実に、“どーするー?”みたいな感じで、悲壮感が不思議となかった」と記憶しています。あるはずのない現実に、「夢みたいな怒りも悲しみもない状態だった」(二宮さん)。

◆「ダムが近くにあるから大丈夫」は本当か?
 肱川ダム統合管理事務所の清水宰所長は「ダムの効果も影響も、ダム直下の集落が大きく受けるのは間違いない」と話します。つまり普段は良い効果が大きくても、緊急放流など非常時には悪い影響も大きく受けるというのです。通常、ダムは山間部に造られるため、近くに集落がないのが当たり前、「肱川町のように見える位置に集落があるのは全国的にも珍しく、放流にはものすごく責任を感じる」と話します。

 清水所長は「緊急放流の情報は“伝えた”つもりが、住民には十分ではなかった。今後は“伝わる”、さらに行動につながる情報発信に努めたい」とします。

◆水が逆流した河辺川上流に、さらに2つ目のダムが建設中
 住民にとってこれからの不安は、水が逆流した河辺川の上流、わずか1キロ足らずの場所に、2026年の完成を目指して新しいダム、山鳥坂(やまとさか)ダムの建設が進んでいることです。完成すると肱川町地区にとって、今度は“本流”に位置するダムになります。

 既存の鹿野川ダムと、新たな山鳥坂ダムの2つのダムが放流した場合、その合流地点に集落が位置します。
 山鳥坂ダムは現在、四国で唯一、建設が進む新設ダムで総事業費は850億円。
 国土交通省は、完成すれば肱川下流域の堤防整備などと合わせて、西日本豪雨と同規模の洪水を安全に流下させる“公約”を掲げます。
 地元自治体となる大洲市は「西日本豪雨までに山鳥坂ダムが完成していれば、ここまで大きな被害になっていなかった」との立場ですが、治水効果や環境への悪影響などを理由に建設に反対する住民もいます。

◆住民の新たな不安、2つのダムの連携は?
 氾濫で「2階の畳が浮いた」という中岡博さんは、自宅の隣の空き地を指さし、「洪水を機に土地を離れた若い人がいるのが本当に残念」と話します。そして「ダムは連携して放流して欲しい。そのためにはダムの職員に、地形や気象の特徴など土地のことをよく知って欲しい」と訴えます。
 肱川ダム統合管理事務所は、鹿野川ダムと建設中の山鳥坂ダムの連携について、「完成後は連携して洪水調節に当たるのは当然」とします。国土交通省は西日本豪雨を教訓に、すでに鹿野川ダムと、肱川のさらに上流の野村ダムとの管理を統合するなど、複数のダムの指揮命令系統の一元化に取り組んでいます。

◆なぜ犠牲者を出さなかったのか? 住民の証言で探る
 一方、住民側は“ありえないはずの”現実から、どんな教訓を学んだのでしょうか。
 二宮さんは被災当日、避難先の公民館で唯一、みんなの救いとなったのは「逃げ遅れた人がいなかったこと」と話します。なぜ高齢者の多い集落で最悪の事態を免れたのでしょうか。住民の証言から可能性を探ります。

理由1 消防団が“避難サイレン”の役割を果たした 
 取材した被災者全員が、消防団の動きで異常事態を知ったと話します。鹿野川ダムや大洲市からの十分な情報がない中、(住民は「聞こえなかった」も含めて、避難情報がなかったと感じている) 地元消防団、つまりコミュニティが避難に大きな役割を果たしました。

理由2 “逆流”で一定の時間的な猶予があった?
 二宮さんも福田さんも、浸水が始まってまず、車を高い場所に移動させています。そうするうちに「膝が浸かるぐらいまで」の高さに水が増し、「そこからが早かった」と同じ表現をします。
 さらに浸水が始まった初期の状況を、“ちゃぷちゃぷ”、“音がなく静かに”、“サーっと”などと表現します。つまり緊急放流の映像で見るような「ゴーっとじゃなかった」(二宮さん)。そうした時間帯があって、その後、「あれよあれよという間に」(二宮さん)、「膝まで浸かってからは早かった」(福田さん)。家屋2階を超える高さまで浸水しました。
 この“静かな浸水”の時間帯が、結果的に時間的な猶予となったのではないか?と取材して感じました。しかし被災者の時間などの記憶が不確かで、今後のより詳細で科学的な検証が必要です。
 確かなのは、危険を認知しての『避難』が、みんなの命を救ったということです。

河川に近い暮らし、命を守る行動に不可欠な『情報』
 私は取材で、二宮さんから「私たちがダムより先にここに暮らしていたんだから、安全はダムの責任」と聞いた時、すごく納得しました。
 そして複数の被災者から、自分が浸水被害にあった時、「これは、下流はもっと大変なことになるぞと感じた」と聞いて驚きました。異常な水量から、下流の被害の甚大さを、経験的に直感したのだと思います。しかしこうした情報も、すぐに下流の住民に伝わることはありませんでした。
 取材を終えて、全国で最も“ダムが身近な”町の住民が「避難情報がなかった」と感じている事実は、ダムにとっても自治体にとっても、そして私たち報道にとっても重たい教訓だと感じています。

※この記事は、南海放送とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。