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写真展「琵琶湖源流の美と暮らし」ー10/16~24、滋賀県長浜市

 丹生ダムの建設予定地だった琵琶湖源流の写真展開催のお知らせです。

 淀川水系では大戸川ダム(滋賀県)、川上ダム(三重県)などが一旦は中止とされながら建設されることになりましたが、丹生ダム(滋賀県)は2016年に中止が決定しました。
 丹生ダムは、水資源開発を目的に水資源開発公団(現在の名称は(独)水資源機構)が琵琶湖総合開発事業の一環として計画したもので、総貯水容量は1億5000万㎥と、八ッ場ダム(総貯水容量1億750万㎥)よりはるかに大きな規模で、1988年に着工、1995年には水没予定地の40戸の住民すべてが離村させられたものの、ダムの開発水を利用することになっていた京都府、大阪府、阪神水道企業団が水需要の低迷により事業から撤退したため、2016年に正式に中止が決定しました。丹生ダム事業では用地買収や道路工事などに約570億円が費やされており、国や水資源機構のダム事業で、住民移転後に中止となるダム事業は始めてだったとのことです。

 ダムの事業用地だったところには、貴重なブナやトチノキなどの巨木があり、ユキツバキの原種も残されている貴重な地域ですが、今、山の尾根に50基もの巨大風力発電が計画されており、環境問題が再び浮上しているとのことです。

 滋賀県知事時代、丹生ダム中止に深く関わった嘉田由紀子参院議員のフェイスブックに、写真展の詳しいお知らせと写真展の意義についての解説が掲載されています。
 https://kadayukiko.jp/archive/archive-15022/

〈関連ページ〉
 「丹生ダム事業中止、国交省が正式決定」(2016年7月)
 「中止となった丹生ダムめぐり、地元住民組織と関係機関の合意成立」(2020年6月)

 関連記事を紹介します。

◆2021年9月23日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASP9Q6QWHP9PPTJB00P.html
ーダム建設で離村した集落を撮りためた写真展 長浜ー

 【滋賀】長浜市北部の高時川上流で計画された丹生(にう)ダムのために、源流にあった複数の集落が集団移住した。元長浜市助役の吉田一郎さん(79)は、それらの集落の暮らしぶりを四半世紀にわたってカメラに収めてきた。約8万枚の写真から約200枚を厳選した写真展「琵琶湖源流の美と暮らし」を、長浜市余呉町菅並の妙理の里などで開く。

 山深い集落は、木炭の生産をなりわいにしてきた。しかし、ガスの普及で需要が激減し、生活は困窮を極めたという。

 そんななか、1968年にダムの予備調査が始まり、69年から71年にかけ、奥川並、針川、尾羽梨の3集落が移住。72年に琵琶湖総合開発計画にダムが盛り込まれて事業が具体化し、残る半明、小原、田戸、鷲見の4集落も移住した。しかし、県のダム凍結方針により、2016年に建設中止が決まった。

 吉田さんは、1965年ごろから友人とバイクでよく高時川源流の丹生渓谷を訪れていた。写真誌に掲載された、仏壇を背負って集落を去る奥川並の住民の写真に衝撃を受けた。近場に住む人間が集落の記録を残さなければと決意した。

 69年ごろからカメラを片手に集落に通い続けた。無人となる95年まで、習俗や生活、自然、住民などを撮影した。その後も、湖北に伝わる習俗などを撮影し、これまでに撮りためた写真は約30万枚になるという。

 昨年末、京都工芸繊維大で写真史を学ぶ大津市の橋詰知輝さん(27)が吉田さん方を訪ね、貴重な写真のデータベース化を提案。これがきっかけで今年2月、写真家や雑誌編集者らとともに任意団体「湖北アーカイブ研究所」を立ち上げ、所長になった。今回の写真展は第1弾の企画となる。

 写真展は10月16日から24日まで。妙理の里で写真約150枚に文章を添えた畳大のパネル26枚を展示し、失われてしまった山里の日常を紹介する。近くの曹洞宗の洞寿院でも写真を掲示する。

 吉田さんは「集落の中に日本の原風景があったと思う。山に生かされ、互いに助け合って生きてきたことを知ってほしい」と話している。(松浦和夫)

—転載終わり—

 この写真展をきっかけに、写真集を出版するための資金集め(クラウドファンディング)が始まりました。
 こちらのページに詳しい情報が掲載されています。
 
 「琵琶湖の源流・高時川(奥丹生谷)の 記憶と記録を伝える写真集を発行したい!」