1783(天明3)年8月に八ッ場ダム水没地を襲った天明泥流は、浅間山の大噴火によって発生しました。この噴火により最も犠牲が大きかったのが「土石なだれ」に直撃され、570人の村民のうち477人が亡くなった浅間山麓の鎌原(かんばら、嬬恋村)でした。
”日本のポンペイ”と呼ばれる天明浅間災害遺跡は吾妻川や利根川流域の各所で発掘調査が行われてきましたが、最初に発掘調査が行われたのも鎌原でした。その鎌原における発掘調査が30年ぶりに再開されたとのことです。鎌原における調査は、ダム事業の下での水没地の発掘調査とは異なり、地元紙が詳しく状況を伝えています。
記事によれば、今回の発掘調査では「被災前の集落の全体像を確認し、「鎌原遺跡」として国史跡への指定を目指す」とのことです。八ッ場ダム水没地は全域が天明浅間災害遺跡でした。道路予定地等の限られた面積の発掘調査とは異なり、水没地の広大な面積が発掘調査の対象となり、集落の全容解明が進められましたが、国史跡の価値があってもダム建設の障害になる遺跡保存は検討すらされませんでした。
★参考ページ➡「水没する歴史遺産」
◆2021年10月30日 上毛新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/674a15863ee6da7d43954bb62d4c8c3aea8dfa99
ー238年前の浅間山大噴火 埋もれた村を30年ぶり発掘調査 6年かけ全体像の解明図るー
1783(天明3)年の浅間山大噴火で発生した「土石なだれ」により、埋没した鎌原村(現群馬県嬬恋村鎌原)の発掘調査が1日、30年ぶりに始まる。調査期間は2027年までの6年間を予定。1991年まで実施された前回調査で発見されなかった新たな災害遺跡を探すとともに、被災前の集落の全体像を確認し、「鎌原遺跡」として国史跡への指定を目指す。
浅間山の大噴火により、鎌原村では住民の8割に当たる477人が死亡。村外にいたり、高台にある鎌原観音堂に逃げ込んだりした93人が辛うじて難を逃れた。
地中に埋まってしまった集落の姿をひも解こうと、79年から進められた前回調査では「観音堂石段」「十日の窪埋没家屋」「延命寺跡」の三つの遺跡で91年まで発掘が実施され、観音堂に逃れる途中に土石に飲み込まれたとみられる女性2人の遺体や、当時の生活の様子を映す生活用品など多くの遺物が見つかった。
本年度は、遺跡の範囲確認のための調査と位置付け、前回実施されなかった鎌原神社周辺の半径約300メートルで発掘を進める。調査期間は1~26日を予定している。来年度以降は、現在の集落より浅間山に近い「古屋敷」と呼ばれる地域や前回の調査が行われた各遺跡周辺の発掘を実施する。発掘だけでなく、地質調査なども並行して行い、鎌原村の全体像の解明を目指す。
調査を主導する嬬恋郷土資料館の関俊明館長は「観音堂の石段は120~150段だったとも伝えられており、再び発掘調査を進めることで、新たな発見があるかもしれない。火山災害の歴史をつないでいくためにも、鎌原村の全体像を明らかにしたい」と話している。(桜井俊大)
◆2021年11月4日 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20211104-OYT1T50097/
ー1783年に477人死亡した「日本のポンペイ」…浅間山噴火、集落発掘へー
群馬・嬬恋村 防災意識の向上図る
1783年の天明の浅間山噴火による泥流により、集落の大半が埋まった群馬県嬬恋村の 鎌原かんばら 地区(旧鎌原村)で今月、被災前の地域の全体像を探る大規模な発掘調査が始まった。村教育委員会が2026年度まで6年間行う予定で、復興の歩みを解明し、火山防災の意識向上につなげていく。
泥流は当時、「土石なだれ」となって麓を襲い、同地区では477人が死亡したとされる。火山噴火で壊滅した古代ローマ都市にたとえられ、鎌原は「日本のポンペイ」とも呼ばれる。
調査は1991年以来、30年ぶり。前回の調査では、小高い尾根にあった寺「鎌原観音堂」に続く石段が掘り起こされ、15段しか見えていなかった石段が実際には50段あったことが判明。途中の地下6メートルほどの地点から、避難中だったとみられる女性2人の遺体が見つかった。近くでは埋没家屋3軒が確認され、鏡などの生活用品も残っていた。
村教委は、被災前の鎌原地区の居住域の面積を推計。今回の調査では、前回は対象外だった「鎌原神社」周辺を重機で試掘し、今年度中に専門家を交えて全容調査の方針を決める。来年度以降は、浅間山に近い高台にあった集落の発掘も進める。稲作栽培などの土地利用状況も調べ、復興へ向かった地域の姿を探っていく。
発掘したものは、文化財として活用していく考えで、村教委は国史跡指定も目指すという。調査責任者を務める嬬恋郷土資料館の関俊明館長は「レーダー探査も進め、地中の埋蔵物を特定したい。火山災害からの復興という歴史を伝える象徴的な史跡になるだろう」と話している。
◆ 天明の浅間山噴火 =天明3年(1783年)、浅間山が断続的に噴火し、東南東方向を中心に軽石や火山灰が降り注いだ。8月5日の大噴火による土石なだれは太平洋、東京湾に達し、「天明泥流」と呼ばれる。全体の死者は約1500人と推定されている。
◆2021年11月18日 上毛新聞 (紙面記事より転載)
https://nordot.app/833809813065056256
ー土石なだれの痕跡発見 浅間山大噴火 鎌原30年ぶり発掘 表面地層を飲み込む勢いー
1783(天明3)年の浅間山大噴火で発生した「土石なだれ」により埋没した鎌原村(現群馬県嬬恋村鎌原)で30年ぶりに実施されている発掘調査で、噴火によって流れ出た土砂が、噴火前の地層を削り取ったとみられる跡が複数確認された。調査を主導する嬬恋郷土資料館の関俊明館長は「痕跡を確認できたのは大きな成果。今後、痕跡を分析することで土石なだれが流れた方向などが解明できるかもしれない」と期待する。
1日から始まった調査では、鎌原神社周辺の18地点を重機を使って掘削。噴火によって堆積した地層の下を確認したところ、神社の境内や周辺の畑など8カ所で、土砂が地層を削り取った痕跡が見つかった。痕跡は噴火当時の地層とみられる黒土部分に残っていたほか、それよりもさらに昔に堆積した黄褐色のローム層部分にも確認されたことから、土砂が表面の地層を全て飲み込むほどの勢いだったことが推察される。
境内には、噴火以前からあると言い伝えられるケヤキやカツラといった5本の巨木が残っている。今回の調査で、他の地点よりも標高の高い境内に黒土の層が確認されたことなどから、関館長は「鎌原神社が小熊川沿いを流れてきた土石なだれの緩衝材となったのではないか」と分析している。同神社が噴火以降に再建されていることから、拝殿の基礎などが地中に残っている可能性もあるという。
本年度の発掘は、発掘地点の埋め戻し作業などを行って終了する。今後は採取した土壌を分析し、噴火以前の土地の状況などにも迫る。来年度は、同神社北側の土砂が止まったとみられる地点の調査を実施する方針という。
発掘調査は国史跡への指定を目指し、2027年度までの約6年間で実施する予定。神原村の発掘調査は1979~91年に「観音堂石段」「十日の窪埋没家屋」「延命寺跡」の三つの遺跡で実施されており、観音堂に逃れる途中に土石流に飲み込まれたとみられる女性2人の遺体や、当時の生活用品など多くの遺物が見つかっている。(桜井俊大)