国交省が事業主体となっている城原川(じょうばるがわ)ダムの建設予定地は佐賀県神埼市です。神崎市ではこのたび市長が交代しました。
半世紀前に計画されながら放置され、動き出した城原川ダムは、ご多分にもれず、「利水」の必要性が失われた不要な巨大ダム事業です。このような「治水」専用のダム計画をめぐり、最近の国交省は洪水時のみ貯水する「流水型」(穴あき)ダムを選択するようになっており、城原川ダムも「流水型」で建設される予定です。
ところが、新しく就任した内川修治市長は「流水型」から「貯水型」への変更を模索する考えを示し、議論になっています。
流水型ダムの歴史はまだ浅いのですが、流水型ダムは自然に優しいという国交省の説明とは裏腹に、現実には川の自然に多大な影響を与える存在であることが明らかになりつつあります。
内川市長はすでにある流水型ダムを視察して、「イノシシたちの運動場のようになっている」(4/20付け佐賀新聞)と述べたように、流水型ダムの貯水域の現状にショックを受けたようです。
流水型ダムの貯水域は、貯水前は人々の日頃の営為と自然の力の相互作用でつくられていますが、貯水後は人々の営為がなくなり、自然の力の一方通行となります。土砂や土石の堆積で次第に変貌し、土砂、土石があちこちに堆積した荒れ放題の野原になっていきます。一方の貯水型ダムは、貯水域は水面下になるため、人の目に触れることがなくなりますが、貯水前の自然、風景が失われます。
城原川ダムは国交省が半世紀前に計画して放置してきた必要性が希薄なダムです。最善の策はダム計画を中止して、地元住民に必要な補償を行うことです。
◆2022年5月4日 佐賀新聞
ー城原川ダム整備方式 「貯水型」変更、ハードル高く 城原川ダム整備方式 合意やり直し、再調査もー
神埼市脊振町に建設予定の城原川ダムの整備方式を巡って、神埼市の内川修治市長(69)が「流水型」から「貯水型」への変更を模索する考えを示している。予備調査着手から50年を経て建設段階に移行した矢先の地元市長の計画変更の意向表明に、関係者は「後は建設していくだけなのに」と戸惑いを隠せない。変更の場合、調査や流域関係機関の意向確認など新たな手続きが必要になる可能性があり、事業期間がさらに延びる懸念も出てくる。
ダム計画は1971年に国が予備調査に着手。2005年に県が洪水調節のみを目的とする「流水型ダム」での整備を提案したが、事業再検証の対象になるなど曲折を経て、建設段階に移行したのは2018年。今年3月に国が水がたまる湛水たんすい範囲などを提示し、岩屋、政所まんどころ、今屋敷地区の全住民50世帯120人が移転対象になる見通しが分かったばかりだ。
城原川ダムは、大きく二つの理由で「流水型」で整備する結論に至っている。
一つは、水道水などとして使う「利水」のニーズが乏しい点。建設費負担の重さを理由に、01年に神埼郡や佐賀市など13市町村(当時)でつくる佐賀東部水道企業団が利水を求めない決議をした。農業や工業の用水と河川を維持するための流量を合わせた「不特定用水」に関しても「取水施設の改善や水路の再編等による水利用の合理化を図ることで、城原川の水に不足は生じない」と、国の検証の場で不要とされている。
二つ目は、環境への影響が貯水型に比べると低減されるという点だ。通常時は普通の川の状態が維持されるため、水や土砂の循環、魚類の移動などが自然に近い形になるという。豪雨災害に見舞われてダム計画が再開した熊本県・球磨川流域の川辺川ダムも治水専用の流水型となる計画だ。
内川市長は、「貯水型」を模索する理由として、観光面での脊振町の振興を挙げる。「ダムを有効活用した観光地、憩いの場としての地域づくり」を念頭に、ダム周辺整備による地域活性化を視野に入れる。水没地区住民の生活再建への影響を考慮し、「用地買収などの準備を滞りなく進める」などと計画変更と切り分けての対応を示唆する。
ただ変更のハードルは高い。県の見立てでは、環境影響評価や流域全体の合意形成のやり直しなどが必要になる可能性がある。20年近く前、有識者らでつくる城原川流域委員会や流域自治体の首長会議で約2年にわたる協議を経て、県が「流水型」を判断した経緯があるだけに、合意形成のやり直しは容易ではないとの指摘だ。また「貯水型」検討のために用地調査などを実施する場合、補償の議論が先延ばしになる可能性もある。内川市長が考える水没地区の生活再建を切り分けて進めることが難しいとの見方もある。(大橋諒)