2022年度の環境経済政策学会の学術賞が近現代の河川行政の研究者に授与されたとのお知らせです。
受賞者の梶原健嗣氏は、最初の著作である『戦後河川行政とダム開発――利根川水系における治水・利水の構造転換』(ミネルヴァ書房、2014年)において、八ッ場ダムが建設された利根川水系、ひいては日本の河川行政が不合理であることを、科学的な分析によって明らかにしました。今回の受賞は、昨年刊行された『近現代日本の河川行政――政策・法令の展開:1868−2019』(法律文化社)と3篇の論文のほか、この著作も対象であったとのことです。
学会のホームページに掲載された【授賞理由】には、気候危機の時代にあって、ダム建設が次々と復活し、環境問題が隅に追いやられる中、梶原氏の研究成果が社会に大きな影響力をもつ可能性が指摘されています。
先進的な取り組みである梶原氏の研究が、学会での高い評価を受けて注目され、さらに発展することを期待します。
環境経済・政策学会ホームページより「受賞者リスト」より転載
http://www.seeps.org/html/prize/list.html#
2022年度学術賞
梶原健嗣(愛国学園大学)
【授賞理由】
梶原氏の業績全体を貫く特長は,次の3点である。
第1に,行政(開発主体)の内在的・批判的分析である。すなわち,近年の環境史研究は,開発に反対する側の思想や運動を中心に分析してきた。むろんこれらの研究は多くの成果を生んでいるが,開発主体の動向を一面的に描く事態も散見されており,これが議論の説得力を弱めている。一方で,土木史研究では開発主体の主張が詳細に紹介されることはあっても,その批判的分析は不充分なことが多い。これらに対して梶原氏は,計画の立案過程にまで遡って開発主体の論理を解明することによって,開発を説得的に批判することに成功した。とくに『戦後河川行政とダム開発――利根川水系における治水・利水の構造転換』(ミネルヴァ書房,2014年)において,利根川の治水・利水計画が,いずれも不確かな論理によって進められてきたものであり,現在もその状況が変わっていないことを1次資料に遡りつつ解明した部分は,鮮やかかつスリリングである。
第2に,開発の変遷をその社会的背景と関連付けて描くことにも成功している。すなわち梶原氏の研究は,河川行政を深く掘り下げると同時に,それが他の外的要因からも影響を受けつつ展開されてきたことを見逃さない。明治期の鉄道敷設,両大戦間期の総力戦体制・技術者運動・都市間競争,1950年代の火力発電開発などである。梶原氏は,これらの指摘を実証分析の随所で活かす同時に,『近現代日本の河川行政――政策・法令の展開:1868−2019』(法律文化社,2021年)を,隣接諸分野の読者にも読み応えのある通史とすることに成功した。このなかで示した時期区分や構造変化要因のモデルも,社会的背景を踏まえたものであり,隣接諸分野に開かれた議論になっている。
第3に,説得力のある対案の提示である。梶原氏は一連の業績を通じて,多目的ダム開発の見直し,「減災」の観点を盛り込んだ治水への転換とフロンティア堤防の採用,水道事業における責任水量制の見直しなどを提言している。これらの提言は,開発主体の内在的・批判的分析や社会全般との関連を見据えた歴史分析という,上述の特長に根差して行なわれているだけに,説得力は高い。
なお,これらの特長は,自然保護や生態系保全といった狭義の「環境」に関する論点の追究にも資するものである。周知のように,気候変動を背景とする近年の豪雨災害を背景として,「環境よりも治水を」の声は大きくなってきた。そして,こうした世論やマスメディアを背景として,ダム建設の復活もなされようとしている。これに対して梶原氏は,現行の治水方式は環境負荷的であるのみならず,「生命損害の回避」という治水本来の目的にも反することを,既に明らかにしている。梶原氏の研究は,「環境も,治水も」の方向性を日本が追究しうることを,説得的に提示したと評価できる。
梶原氏の研究は,河川行政にとどまらず,環境政策の他の研究対象にも刺激をあたえる成果であり,その分析手法は幅広く応用可能である。さらに,梶原氏の研究は学会の枠を超えて注目されうる。たとえば,歴史学にも一石を投じるものである。すなわち,ポストモダンの影響を受けた1980年代以降,歴史学では実態よりも言説を重視する分析が世界的に台頭した。この言語論的転回は多くの成果を生み出したものの,歴史学と社会科学との距離拡大や,歴史学の政策提案能力の低下をもたらした。歴史分析を法学,経済学,工学などと幅広く結合させた梶原氏の業績は,歴史学が社会科学や政策提案に果たしうる役割を改めて示したといえる。
以上より,梶原健嗣氏を環境経済・政策学会の学術賞の受賞者としてふさわしいと判断した。
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