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4年ぶりの川原湯温泉・湯かけ祭り

 湯かけ祭りが4年ぶりに開催されたとのニュースが流れています。大寒の1月20日早朝にとり行われれる川原湯温泉の湯かけ祭りは、2021年からコロナ禍のため3年続けて開催が見送られていました。

 湯かけ祭りはかつては、ダムに沈められた旧温泉街にあった共同湯・王湯の周辺で行われていました。王湯の正面には川原湯神社があり、早朝の暗闇で始まる祭りは、紅白二手に分かれて下帯一つの若者らが木桶に汲んだ源泉を掛け合い、自然への畏敬と祈りを観客と共に分かち合いながら、裏山から昇る日の出を迎えるのでした。

 2014年、共同湯がダム湖畔に造成された川原湯の打越代替地へ移転したのに伴い、湯かけ祭りも代替地で執り行われるようになりました。2015年にはダムの本体工事が始まり、ダム堤の脇に位置した打越代替地には本体工事業者のプレハブが何棟も立てられました。工事期間中、業者は水没住民との友好を図り、工事への協力を求めて湯かけ祭りに協賛金を支払っていました。業者の祭りへの参加は、ダム事業により住民が激減し、祭りの選手として参加する若い住民が減少した穴埋めとなっていたといいます。
 
 ダム事業で出版された「長野原町の民俗」(1987年)によれば、昔はめいめいが家で一杯ひっかけてから、朝2時ごろにはシャツ、サルマタにオカタビ姿でバケツを持って出かけ、王湯と笹湯の両方で湯を掛け合ったそうです。初婿は特に狙われたとか。
 温泉の泉源の上に竹で舞台を組み、その上で神事をやるようになったのは戦後になってから、巫女さんは1970年代前半から、湯かけ太鼓は70年代後半から、とのことです。
 祭りの場所は温泉の泉源や神社から切り離され、今年はさらに巫女さんの神事や湯かけ太鼓も省略されて簡素化されたとのことですが、祭りは無事執り行われました。

 以下の朝日新聞の記事に掲載されている二枚目の動画(1940年頃の映像)を見ると、戦前の祭りは温泉街の自然、歴史と一体化した迫力あるものだったようです。
 当時の川原湯は50世帯ほどだったそうですが、若い人が多かったようです。映像から、川原湯温泉から上信県境を越えて長野県の真田(現・上田市)までバスの路線があったこともわかります。
 https://digital.asahi.com/articles/ASM1P3K39M1PUHNB001.html

◆2024年1月20日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/407125
ー【動画】お祝いだ、お祝いだ…川原湯温泉の奇祭「湯かけ祭り」が4年ぶりに開催 群馬・長野原町ー

 温泉の湯をかけ合って神に感謝する奇祭「湯かけ祭り」が大寒の20日早朝、群馬県長野原町の川原湯温泉にある共同浴場「王湯」で開かれた。コロナ下で中止が続いてきたが、4年ぶりの開催。下帯姿の男性34人が豪快に湯をかけ合い、「お祝いだ」の歓声が温泉地に響いた。

 神事の後、総大将の篠原健さん(47)の合図で湯かけ合戦が始まり、紅白の組に分かれた参加者が「お祝いだ、お祝いだ」と叫びながら相手に湯を浴びせた。最後は紅白のくす玉を割り、中に入っていたニワトリを奪い合った。

 祭りは見物客を含めて大勢が参加する上、近距離で大声を出すことから、感染症対策を講じることが困難としてコロナ下の2021年から開催が見送られていた。

 篠原さんは「久しぶりでこれまでより少ない人数だったが、良い祭りになったと思う。途切れることなく続けられるといい」と話した。

 地元の負担を減らすため、今回は舞台を作らず、巫女も不在となるなど簡素化して実施した。実行委員長の久保田雄大さん(60)は「これまでと違った形だったが伸び伸びとできた」と安心していた。

 約400年前、温泉が枯れて村人がニワトリをささげて祈ったところ、再び湯が湧き出し、湯をかけ合って喜んだのが祭りの起源とされる。八ツ場ダム建設に当たり、王湯が高台に移転してからも続いてきた。

◆2024年1月20日 群馬テレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ce52a275d0c30f5f52ed2af40e3c1f20e3af1e8
ー伝統の「湯かけ祭り」4年ぶりに熱気 群馬・川原湯温泉ー

 大寒の夜明け前に、男衆が湯を掛け合う伝統の「湯かけ祭り」が4年ぶりに開催され、威勢のいい掛け声が川原湯温泉に響き渡りました。
祭りは、800年以上続くとされる川原湯温泉が約400年前に湯が湧かなくなり、ニワトリを奉納すると再び湯が湧き出しかけ合って喜んだことが起源とされています。2021年からコロナ禍のため中止されていましたが、4年ぶりに開催され、参加したふんどし姿の男衆37人が桶で汲んだ湯を次々とかけ合いました。
八ッ場ダムの建設工事による温泉街の移転に伴い、2014年から新たな会場で開催されています。参加者は例年に比べ少なくなりましたが、この祭りのために帰省し参加した人もいるということです。
「お湯湧いた」が変化したとされる「お祝いだ」という掛け声が特徴で、寒空の下、参加者が湯を掛け合い、威勢の良い声は50分程続きました。最後に、くす玉に向かって一斉に湯をかけ、出てきたニワトリを湯の神に奉納し川原湯温泉の末長い発展を願いました。

◆2024年1月19日 上毛新聞一面コラム「三山春秋」より
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/406382

▼吾妻には冬の奇祭が幾つも伝わる。太鼓をたたき、田畑を荒らす鳥や獣を追い払う中之条町の鳥追い祭り。「おんべ」と呼ばれるやぐらを燃やす六合地区の「おんべーや」。山あいの集落にとって、祭りは地域をつなぐ大切な宝だ

▼大寒の20日には川原湯温泉(長野原町)の湯かけ祭りが4年ぶりに復活する。赤組と白組に分かれ、共同浴場「王湯」からくんできた湯を浴びせる荒々しい祭り。似たようなものは他にもあるが、寒さが最も厳しい夜明け前に行うのは川原湯くらいらしい

▼温泉が枯れ、困った村人がニワトリをいけにえに祈ったところ湯が出たことが起源という。「お湯湧いた」という喜びの声がいつしか「お祝いだ」に変わり、湯をかけて神への感謝をささげるようになった

▼八ツ場ダム建設に伴い旧温泉街は水没し、高台への移転を契機に集落を離れた人もいる。「期間が空いて人が集まるだろうか」。一時は不安の声がしきりに聞かれた

▼だが住民の絆が弱まることはなかった。関係者は段取りを思い出しながら準備を進める。負担を減らすため会場は簡素化するが、町内若衆の協力を得て30人超の参加が見込めそうだという

▼守り継いできた伝統がこの先も続くことを願わずにはいられない。湯かけ祭りをぜひ一度見てみたいと思う人も多いだろう。でも見物客が巻き込まれてびしょぬれになることがある。くれぐれもご注意を。

◆2024年1月22日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASS1P6SVMS1NUHNB003.html
ーふんどし姿で温泉かけ合い、「大寒」各地で行事ー

写真=ダム湖畔の代替地に移転した共同湯・王湯会館前で行われた「湯かけ祭り」。2024年1月20日早朝。