8/27に発行された「鬼怒川水害裁判を支える会」会報は、会の共同代表であった石崎勝義さんが今年4月に亡くなったことを伝えています。ダムによる治水対策が絶対視される中、国の治水対策の問題を理解し、国と闘うことを辞さない専門家はごく限られています。二月の嶋津暉之さんの訃報に続く悲しい知らせです。
石崎さんは建設省OBで、鬼怒川水害が発生した茨城県にお住まいでした。県内で発生した大水害で衝撃を受け、晩年はかつて次長を務めた土木研究所が確立した堤防強化技術がその後たどった深刻な問題を明らかにし、治水対策の見直しを訴えることに力を注ぎました。
「堤防をめぐる不都合な真実」(石崎勝義)(「科学」2019年12月号、岩波書店)より
「鬼怒川水害を目の当たりにして、研究所勤務のころ同僚が熱心に研究していた堤防強化技術がどうして使われていないのか不審に思いいきさつを調べた。1997年から2002年にかけて堤防決壊を防ぐ技術の開発と事業発足(アーマーレビー工法)(フロンティア堤防)=越水による堤防決壊を克服する技術)があった。しかし2002年7月にこの設計方法を記した『河川堤防設計指針』を廃止してしまった。耐越水堤防の普及がダム推進の邪魔としてストップされた事実を突き止めた。」
2000年代初頭、耐越水堤防の普及を阻んだダム推進。その焦点は川辺川ダム計画であったことが、同じく国交省OBの宮本博司さんの告発で明らかになっています。
【参考】石崎勝義さんのホームページより
「異常気象時代の治水 切り札は堤防強化の復活」 (旧交会報(建設省・国交省技術OBの会報)2018年版に掲載)
https://drive.google.com/file/d/1iG8xhg5Xrl5XOmtYVxN0BzsK5sQdnGHZ/view
石崎勝義さんは鬼怒川の水害発生後、東京新聞に堤防決壊の衝撃を投稿しました。この時が石崎さんのお名前を筆者が知った最初でしたが、その後、嶋津暉之さんと長年知己があったことを知りました。
1970年代、東京都に就職した嶋津さんは、節水技術を活用(水使用合理化)することで工業用水の大幅な需要低下に成功していました。その成果に注目したのが、当時、建設省土木技術研究所に勤務していた石崎さんでした。
「水問題原論」(嶋津暉之、北斗出版)より
「筆者の意見をよく理解してくれる人が建設省土木研究所にいた。そこに委員会ができ、筆者も参加した。水使用合理化に関する報告書をまとめ、水の節約に努めれば、水需要が大幅に減ることを示した。この報告書が土台となって、水行政の方向が変わっていくのではないか、筆者はそういう期待を抱いた。一九七〇年代後半のことである。ところが、行政は筆者が期待する方向にはまったく動かなかった。水を節約し、ダムの建設を減らしていく兆しはまったくなかった。それもそのはずである。次にのべるように、ダムを造ること自体が目的になっていたのである。(以下略)」
鬼怒川水害訴訟には嶋津暉之さんも取り組んでいました。
嶋津さんは鬼怒川水害に先立つ八ッ場ダム住民訴訟の中で、鬼怒川上流には四基の巨大ダムがあるものの、流域には堤防が未整備な所があるとして、洪水を防げない危険性を訴えていました。
2015年9月、鬼怒川上流ダムより下流で降った大量の雨が脆弱な河道の欠陥を突くことになりました。八ッ場ダム住民訴訟の最高裁における敗訴確定が2015年9月10日。奇しくも9月10日、関東・東北豪雨により鬼怒川の堤防が決壊し、15人が死亡(災害関連し含む)、住宅5000棟超が全半壊という大水害となりました。