八ッ場ダム予定地の吾妻渓谷を散策するのにうってつけのガイドブックがこのほど刊行されました。
今朝の地元紙に紹介記事が載っていましたので、転載します。
◆2014年5月14日 上毛新聞 社会面
ー変わりゆく吾妻 一冊に 長野原出身 浦野さん(前橋)出版 樹木や動植物 歩いて魅力確認ー
元小学校長で自然解説のボランティア活動をする浦野安孫(やすひこ)さん(65)=前橋市高井町=が、吾妻渓谷の自然の素晴らしさや歴史を紹介する著書「吾妻渓谷 見て歩き」を自費出版した。長野原町林地区出身の浦野さんは「八ッ場ダム建設で変わりゆく風景を多くの人に見てもらい、その良さを感じてもらう一冊になれば」と願っている。
浦野さんは退職後の6年前、祖父の安さん(故人)が1936年に記した冊子「吾妻渓谷探勝記」を72年ぶりに復刻した。これをきっかけに古里の素晴らしさを再発見しようと、吾妻渓谷周辺を何度も歩いて魅力を再確認。現在はガイドを務めるまでになった。
同書は、国が今秋に八ッ場ダムの本体工事に着手する見通しとなったことから、「工事が始まる前に名勝を歩き、しっかりと見たいという人に話題を提供したい」と出版を決めた。
吾妻渓谷の情景を生き生きとした文章で表現しながら、石碑の由来を調べて紹介したり、樹木や動植物を丁寧に解説。これまでに撮影した四季折々の写真を添えて視覚的にも楽しめる内容に仕上げた。
浦野さんは「(著書を通じて)吾妻渓谷や久森(くもり)峠の自然や歴史に親しみ、古いものや忘れてはならないものに目を向けてほしい」と話している。
「吾妻渓谷 見て歩き」は、新書判オールカラー160ページ(税込1千円、マップ付き)。1千冊発行し、長野原町林の道の駅「八ッ場ふるさと館」などで取り扱っているほか、県立図書館で閲覧できる。
~~~転載終わり~~~
記事にある著者の祖父、浦野安さんは明治時代の長野原町長として知られた方です。
長野原町誌によれば、浦野家は信濃の国に栄えた滋野氏の流れをくむ古い家系で、武田氏滅亡に伴い、生き延びた一族が林地区(八ッ場ダム一部水没予定地)に住むようになりました。修験道の京都の聖護院より大乗院と号することを許され、明治維新まで代々、西吾妻28ヶ村を支配したということです。上毛カルタの生みの親、浦野匡彦氏は安氏の三男です。
浦野安孫氏が復刻した安氏の「吾妻渓谷探勝記」には、以下の記述があります。
「余が此書に言ふ所の吾妻渓谷は、東は松谷の雁ケ澤を境とし、西は永野原の酸川澗と琴橋峡に至るの間なりとす。是れ古来の勝地にして、余の以って、世に紹介せんと欲する所なり」
松谷の雁ケ澤(雁ヶ沢)は吾妻渓谷の下流端の地名です。上流端として挙げられている永野原(長野原)の酸川澗と琴橋峡は、現在のJR長野原草津口駅の上流にあります。
現在、国の名勝として指定されている吾妻渓谷は雁ヶ沢からJR川原湯温泉駅の下流にある八ッ場大橋までの約3.5キロの区間ですが、浦野安氏はそれより上流部も名勝指定に加えるべきだったと言っているのです。
「吾妻渓谷探勝記」が刊行された年(昭和11年)の前年12月、吾妻渓谷は国の名勝に指定されました。探勝記によれば、吾妻川沿いの新道の開削が完了していない時期に、下流部だけの短い区間を景勝地としたことが上流部の奇勝絶景が名勝指定から外された理由です。
実際、林地区から見渡す丸岩、堂岩山、天狗山などの景観は、名勝指定区間の狭い峡谷とは対照的な稀有壮大なスケールで、見る者を圧倒します。上流部も含めた名勝であったなら、さらに吾妻渓谷の名声は高まったことでしょう。
八ッ場ダム湖の予定地は、名勝・吾妻渓谷の上流部と、名勝に加えるべきだとされた奇勝絶景の地にあたります。