一週間前に東京新聞特報面に掲載された記事を転載します。
◆2014年6月16日 東京新聞特報部
-川との共生・ダム事情を考えるー
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014061602000136.html
民主党政権時代に「ムダな公共事業の象徴」とされた八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の関連工事で、国名勝・吾妻渓谷の一部がかつての姿を失った。その一方で、「日本最後の清流」といわれる高知県・四万十川では川をいかした観光や地域活性化の試みが進む。川との共生について考えた。 (篠ケ瀬祐司)
工事中 八ッ場 国名勝の渓谷窮地
「吾妻川の上流にあたり渓のながめ甚だすぐれたる所あり」。歌人の若山牧水が絶賛した吾妻渓谷を目指し、今年四日にカヤックで吾妻川を下った。川面から見上げる木々の濃い緑が目に染みる。
浅瀬を越え、国道145号の橋をくぐると、両岸に巨岩がそそり立つ渓谷の入り口だ。期待が高まったその時、石垣とコンクリートの構造物に行く手を阻まれた。「仮締切工事用の石垣と、仮排水トンネル入り口です」。ガイドを務めてくれたカヤック愛好家の坂本昭一さん(四一)=群馬県高崎市=の説明だ。
四月に姿を現した石垣で水がせき止められ、トンネルを通って約四百㍍下流で川に戻される。石垣の先では、水が枯れた川底で重機が働いていた。今後、石垣背後に高さ二十九㍍の小ダムがつくられ、八月には高さ百十六㍍のダム本体工事が入札される予定だ。
坂本さんは昨年十月、仲間と吾妻渓谷をカヤックで下った。艇上で撮影した変化に富んだ流れや美しい岩肌の映像をネットで公開、話題を呼んだ。予定通り工事が進めば、もう渓谷を一気に下れない。
岸の岩に取り付こうとすると、泥でヌルヌルと滑る。流れが止まり泥が付着したようだ。ダムができれば、ここも水没する。国土交通省側は「渓谷の上流端の一部は水没するが、主要な観光スポットを含む下流部のほとんどは保全される」と主張する。
だが、渓谷は時折、大水に洗われることで美しい岩肌を維持してきた。ダム下流部は岩がこけむし、水がにおう可能性もある。ダム予定地下流は深い谷が続く。岸からカヤックやカヌー、ゴムボートを下ろして川下りを楽しむのは難しそうだ。
「もったいないなあ」。同行した群馬県みなかみ町のカヤックインストラクター兼子明典さん(三一)からつぶやきが漏れた。
計画中 山形・最上 「釣り客減り損害大」
ダムで魅力を失う恐れがあるのは、吾妻川だけではない。
山形県。最上小国川は、清流ゆえに地元の活性化に寄与している。ここには豊富な天然アユを求めて年間三万人の釣り客が訪れる。近畿大水産経済学研究所が二〇一一年に実施した調査では、釣り客が地元にもたらす経済効果は、年間約二十億円に上る。
山形県は最上町に「穴あきダム」の建設を計画している。県河川課の担当者は「(穴あきダムは)普段は水が流れ、アユへの影響は小さい」と指摘するが、地元の市民団体は、ダムによる水質悪化でアユが減るのではと心配している。
現地調査をした近畿大の有路昌彦准教授(水産経済学)は「アンケートでは、釣り客の約半数が『アユが大幅に減ったら小国川に来るのをやめる」と答えた。そうなれば、十億円規模で損失が発生し、地域の経済に打撃を与える」と分析する。
完成 金沢・辰巳 史跡用水「価値損なった」
ダムは「川の文化」にも多大な悪影響を与える。
金沢市の中心部から犀川を車で二十分ほどさかのぼると、江戸時代につくられた辰巳用水の取水口がある。用水は全長約十一㌔。堀に囲まれた金沢城へと水をひきいれた。当時の最先端土木技術を知る貴重な文化財として二〇一〇年に国史跡指定を受けた。今も農業用や兼六園の曲水に利用され、市民に親しまれている。
史跡指定二年後の一二年、取水口の直近に高さ五十一㍍の辰巳ダムが完成した。石川県はダム建設で取水口を壊す予定だったが、市民の反対で計画変更。県河川課は「取水口には一切触っていない。保存はできている」と強調する。
しかし、市民側の見方は違う。公共事業論が専門の金沢大の碇山洋教授は「文化遺産としての価値が損なわれた」と嘆く。「取水口直近のダムで流量が調整されるようになり、自然の力を利用して水を送っていた用水の命が奪われた。取水口を抱えるようにダムができ、景観も壊れた。岐阜・白川郷に高層ビルが建ったようなものだ」
辰巳ダムは増水時だけ水をためる穴あきダムで、普段は上流部は水没しない。それでも市民団体「ナギの会」代表の渡辺寛さん(六七)は、環境への負荷の大きさに警鐘を鳴らす。
「取水口周辺で営巣が確認されていた絶滅危惧種の鳥ミゾゴイは、ダム建設で繁殖時の鳴き交わし数が大幅に減った。ここには寒冷地では珍しいイブキシダやコモチシダが群生していた。県は他に移植して保護したというが、ここにあってこそ意味があった」
四万十 なし 自然残し観光振興
自然豊かな川を資産と考える地域もある。
高知県四万十市を訪れる観光客は、〇五年の合併当時は年八十五万人程度だったが、一〇年以降は常に百万人を超えている。お目当ての一つは四万十川だ。本流約二百㌔にダムがない。
「大きな観光施設はなくても、川遊びやカヌー、キャンプなど自然体験型レジャーの舞台として人気だ」(市観光協)
周辺自治体も一体となり、自然体験型の観光を売り出す。四万十川下りに、植物観察や川原の石を磨いての磁石づくりを加えるなど体験の幅を広げる。幡多広域観光協議会では、企画・運営力を高めようと、地域のリーダー養成や体制強化に力を入れる。
栃木・茨城両県を流れる那珂川(約百五十㌔)は、上流部以外は本流にダムがない。ここでも豊かな自然の中で、カヌーやボートを楽しむ人が増えている。
栃木県那須烏山市と那珂川町の有志による「那珂川流域 悠遊会」は〇九年から、川下りや竹林の再生に向けた竹炭づくりに取り組む。事務局の福田正彦さん(六七)は「地域の資源を見直し交流の輪を広げ、地元の活性化や雇用につなげたい」と力説する。
撤去 熊本・荒瀬 悪臭消え水産物増えた
熊本県は一二年、老朽化した球磨川の県営荒瀬ダム(八代市)撤去を始めた。今年五月下旬には、八つあった水門すべてがなくなった。球磨川には別のダムもあるが、県の調査で、荒瀬ダム上流では底生生物の種類増加が確認された。
地元の環境カウンセラーつる詳子さん(六四)によれば、荒瀬ダム下流部で水の悪臭がなくなり、天然ウナギの漁獲量が増えた。アオノリの生育も順調だ。つるさんはこう訴える。
「ダムで失われるものは大きい。老朽化ダム一つを撤去しておしまいにせず、球磨川の再生、河川行政転換のきっかけにしていきたい」