八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「受け入れるしかない 八ッ場ダム本体工事」

 今朝の共同通信配信記事に、八ッ場ダム予定地、川原湯温泉のやまた旅館が取り上げられています。
 水没予定地の川原湯温泉街にあったやまた旅館は、温泉街の背後の山の中腹に造成中の打越代替地へ、他の旅館に先駆けて2013年6月に移転しました。現在のご当主、豊田拓司さんは陶芸家でもあり、ご自分で焼いた器に盛りつける心づくしの料理が美味で、移転後も観光客に好評です。やまた旅館の移転地は、代替地の最下流、吾妻渓谷に最も近いところにあります。

 やまた旅館の先代のご当主、豊田嘉雄さんは、ダム反対闘争の闘士として知られました。大寒の今朝、代替地で初めて行われた川原湯温泉の湯かけ祭りでは、嘉雄さんの作詞した湯かけ音頭が例年同様流れました。

◆2015年1月20日 共同通信
 http://www.47news.jp/47topics/e/261228.php
ー【八ツ場ダム】「受け入れるしかない」 計画から60余年、翻弄され続けた住民ー

 計画浮上から60年以上を経て、国土交通省が21日に八ツ場(やんば)ダムの本体工事に着手する。巨大なダム建設に翻弄(ほんろう) され続けた地元・群馬県長野原町の住民の一人は「ここまで来たら受け入れるしかない」と複雑な心情を明かした。
 関越道渋川伊香保インターチェンジから車で約1時間。山あいをはうように蛇行していた国道145号はダム建設に伴いルートが変わり、長いトンネルが続く。長野原町の高台にある代替地には、山の緑を背景に、水没予定地から引っ越した住民の真新しい家が並んでいた。

 そのうちの一軒の「やまた旅館」は、ダムに沈む川原湯温泉の旧温泉街から移転し、2013年6月にオープンした。経営する豊田拓司さん(63)は「道も家も新しくてきれいになったが、歴史的な雰囲気が消えた」と嘆いた。09年ごろ11軒あった旅館も、現在営業を再開したのは4軒のみ。

 生まれた翌年の1952年にダム計画が持ち上がり、幼い頃から地域が賛成、反対に分かれて争うのを見てきた。父(故人)は反対派で、近所の人に怒鳴り込まれることもしょっちゅうだった。
 
 地域を二分する闘争でも建設計画は止まらず、旅館は1軒、また1軒と廃業していったという。人口の流出も続き、疲弊した住民はダム湖を新たな観光スポットとする生活再建案を受け入れ、94年に周辺の工事が始まった。

 さらに度重なる計画変更で完成は延びた。09年の政権交代で当時の民主党が建設中止を表明したが、のちに事実上撤回。自公政権下で14年8月、本体工事の契約を締結した。国交省によると、ダムの完成は19年度を予定している。

 豊田さんは家業の旅館を継ぎ、代替地への移転を選んだ。「国の設定した土地の価格は想定より高く、よそに行った方が安く済むが、これ以上旅館は減ってほしくない」と感じていた。営業再開後新規の客が増え、隣接する工房で始めた陶芸体験も好評だ。

 かつての温泉街の入り口にある紅葉の名所・吾妻渓谷は、ダム建設で水没する。豊田さんは「渓谷の景色がなくなるのが一番悲しい。国に望むことはもう何もない」と話した。

—転載終わり—

 昨日の埼玉新聞にこの記事が掲載されていました。
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☆1/21追記 上記の記事が20日の東京新聞夕刊、21日の東京新聞群馬版朝刊にも掲載されました。記事は同じ内容でしたが、右の写真が添えられていました。観光客に人気の犬、モカが飼い主と共に吾妻渓谷を見下ろしています。