八ッ場ダムの建設地は、1935年に国が名勝・吾妻峡と指定した場所にあります。
吾妻渓谷は上流の八ッ場大橋から下流の雁ヶ沢まで約3.5キロ区間を指します。
八ッ場ダムができると、渓谷の1/4が水没するだけでなく、ダムの下流部も川の流れの変化によって大きく様相を変えることが懸念されています。
水没予定地も国の天然記念物・川原湯岩脈のほか、吾妻川の流れと渓畔林、丸岩、堂岩山、金鶏山、天狗山などが織りなす、美しい景観に恵まれた地域です。
1918年11月20日、現地を馬車で訪れた若山牧水は、晩秋の吾妻渓谷に魅了され、予定を変更して川原畑の停車場で馬車を下り、川原湯温泉に泊まることにして、日が暮れるまで渓谷を歩きました。
さらに1920年5月11日、この地を再訪し、川原湯温泉に十泊。吾妻渓谷の新緑を心ゆくまで堪能しました。
牧水は渓谷の繊細な美しさを詳しく綴っていますが、それと同時に、渓谷をおおう森林が破壊されることを心配する文章を書き残しています。
牧水が訪ねた大正時代には、むろんダム計画はありませんでしたが、わが国の環境保護運動の先駆者とされる詩人の直感が、100年後を見通して警鐘を鳴らしたのでしょうか。
環境省では絶滅の危機に瀕している動植物をレッドデータブックに記載していますが、八ッ場ダム事業用地にはリストに載っている貴重な動植物が 66種 (「八ッ場ダム建設事業」、平成11年8月、建設省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所)も確認されていました。その中には、鳥類の生態系の頂点にあるイヌワシ、クマタカなどの猛禽類も含まれています。このことは八ッ場ダム周辺が事業開始前には自然豊かな環境に恵まれていたことを示しています。
「絶滅危惧種 クマタカ7組確認」(朝日新聞群馬版、2010年3月26日)
https://yamba-net.org/38358/
八ッ場ダムの水没予定地には、貴重なカザグルマの自生地があります。
カザグルマは、園芸植物として人気のあるクレマチスの原種です。多くの自生地が破壊されてきた現在、カザグルマは環境省レッドデータで準絶滅危惧種、群馬県では絶滅危惧ⅠA類に分類され、全国的に見てもこれだけ見事な自生地はないといわれます。
初夏、沢沿いの雑木林の中で紫、桃、白の大輪の花を開いたさまは、実に可憐で美しく、川原湯の自然を象徴する風景です。
~一部転載~
◆『絶滅』『準絶滅』の危惧63種 八ッ場ダム計画地一帯
八ッ場ダム工事事務所は一九九九年に公表した「八ッ場ダム建設事業」の環境調査項目で、七〇~九〇年代に計画地一帯で現地調査や文献調査によって確認された貴重な動植物のリストを挙げている。このうち、環境省が二〇〇六年の段階で「絶滅危惧(きぐ)類」や「準絶滅危惧類」に認定した計六十三種を一覧表にした。
それによると、植物が五十一種を占める。県が発行した「絶滅のおそれのある野生生物 植物編」の責任者で、県自然環境調査研究会の須藤志成幸(しなゆき)副会長に見解を聞いた。
計画地一帯で現地調査の経験もある須藤副会長によると、五十一種のうち、オキナグサやクマガイソウなど計約十種は既に県内で絶滅した可能性がある特に希少な植物。ほかにも、カザグルマは県内では計画地周辺の一カ所のみに自生し、絶滅の瀬戸際にある。マルバウマノスズクサも県内では、計画地一帯にしか残っていないという。
八ツ場ダムの建設予定地に自生する花で、クレマチスの一種「カザグルマ」の原種を保全、研究するため、都立神代高の三池田修教諭(47)らが採種し、国立科学博物館筑波実験植物園(茨城県つくば市)に寄贈した。国土交通省がダム建設を進めれば水没しかねず、三池田さんらは寄贈を通じて、「種の多様性」の大切さを訴えている。
同園に移されたのは、長野原町の川原湯温泉周辺に自生する原種。上品な淡い青紫色をした、手のひらほどの立派な花をつけている。温泉の一帯では道路などの周辺整備が進んでいる。
さまざまな園芸品種のもとになるカザグルマは、国内では乱開発のために姿を消しつつある。日本や朝鮮半島に分布し、日本の原種は19世紀の初めにドイツの医師シーボルトらによって持ち出され、欧州で他のクレマチスの原種と掛け合わされて、園芸品種の開発が進んだ。それが日本にも逆輸入された。
原種は今も新品種の開発にかかせない。国内で自生が確認されているのは本州、九州を中心に二十数カ所といい、準絶滅危惧(きぐ)種に指定されている。
同園の松本定研究主幹によると、カザグルマは同じ種でも地域によって濃い青や白、ピンクなど様々な色や形の花が咲く。「同じ種でこれほど変わりだねが多い植物は珍しい」という。遺伝子解析により、地域ごとに塩基配列が違うこともわかってきた。
三池田さんは「地域や人種によってヒトの遺伝子が違うように、カザグルマの遺伝子も多様だ。別の地域に同じ種が残っているからといって、この地のものを滅ぼしていいことにはならない」と話す。
寄贈されたカザグルマは、同園のクレマチス展で展示されている。6月7日まで。
わが国では、公共事業による自然破壊を食い止めることを目的に、1997年に環境影響評価法(環境アセスメント法)が導入されましたが、この法律には多くの問題があり、本来の目的を叶える手段とはなりえていないのが実情です。
八ッ場ダムの本体工事は2015年になってようやく着手されましたが、環境アセス法導入以前の1986年にダム基本計画が策定されたことを理由に、1997年に制定された環境影響評価法に基づく環境アセスメントの対象外とされています。
八ッ場ダム事業では1985年12月に建設省の通達(1978年)に基づく環境アセスメントを行っただけです。
環境影響評価法案は1981年に国会に提出されましたが、1983年に廃案となり、1984年、法律の代わりに政府内部の申し合わせにより統一的なルールを設けることとなり、「環境影響評価の実施について」が閣議決定されました(この閣議決定による制度を「閣議アセス」といいます)。1985年12月時点では閣議アセスがすでに動き出していましたが、八ッ場ダムは閣議アセスも行わず、1978年の通達アセスで終わらせています。
ただ、八ッ場ダム事業は事業費がふんだんにあるので、環境調査に多額の予算をつけて、調査会社に大量の仕事を発注してきました。
国交省八ッ場ダム工事事務所ではこうした環境調査に基づいて、2015年4月、「八ッ場ダム 環境保全への取り組み」と題する報告書を公表しています。目次に見られるように、八ッ場ダム事業による環境影響を多面的に調査した結果をまとめたものです。環境保全という観点から見るときわめて問題のある報告書ではありますが、八ッ場ダム事業による環境破壊の大きさを知る上で参考になります。
「八ッ場ダム 環境保全の取り組み」(国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所、平成27年4月)国土交通省はダム完成後も環境影響を調査しており、調査結果を検討するために専門家によるモニタリング委員会を設置しました。
同委員会の説明資料には、調査結果がまとめられています。
国交省、八ッ場ダムモニタリング委員会を設置
https://yamba-net.org/20163/
国土交通省利根川ダム統合管理事務所ホームページより
八ッ場ダムモニタリング委員会
https://www.ktr.mlit.go.jp/tonedamu/tonedamu00563.html
第二回八ッ場ダムモニタリング委員会 説明資料(2021年2月9日)
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000799640.pdf
これは、ダムによって堰き止められる吾妻川の水を人工的に放流することにより、名勝・吾妻渓谷の水枯れを防ぐというものです。
吾妻渓谷はダムがなければ水枯れにはなりません。
また、ダムからの人工的な放流は川の自然な流れとは異なります。
ダム直下の吾妻渓谷は、時折流れる洪水によって岩肌が洗われ、現在の美しい景観が保たれていますが、八ッ場ダムができれば、美しい岩肌にコケが生え、草木が生い茂って、下久保ダム(利根川水系・神流川)直下の三波石峡のように無残な姿になることが予想されます。