吾妻渓谷が一年中で最も輝く季節を迎えています。芽吹きのこの時期は、一日ごとに景色が、色彩が変化してゆくようです。
右の写真は4月23日撮影。
そして、左の写真は、
4月27日撮影。
例年通り、ゴールデンウイークを前にして、吾妻渓谷の山中の遊歩道が開放され、観光客が通れるようになりました。ただし、今季から、今年中に始まるとされる八ッ場ダムの本体工事の影響で、ダム予定地周辺の遊歩道は立入禁止です。
国道沿いの鹿飛橋入り口(東吾妻町)から吾妻渓谷の山中の遊歩道へ入れますが、鹿飛橋を渡って遊歩道を上流に向かって900メートルほど歩いてゆくと、小蓬莱のあたりで道がふさがれています。
標高555メートルの小蓬莱(しょうほうらい)の山頂は”見晴らし台”と呼ばれ、上流の山並みや吾妻川の流れがよく見えるビューポイントとして知られています。
昨年11月、小蓬莱に通じる遊歩道が冬季閉鎖になる直前に撮ったのが右の写真です。吾妻川は大半の水が東京電力の水力発電に使われているため、この時も水量が少なかったのですが、川には水が流れています。
左は4月27日に撮った同じ場所の写真です。
4月27日の写真を拡大すると、吾妻川の流路が干上がり、工事現場と化しているのがわかります。
小蓬莱の正面(上流側)には八ッ場ダム本体が造られることになっており、ダムが完成すれば、ここにコンクリートの壁が立ちはだかることになります。
吾妻川の水がこの地点で流れていないのは、
ダム本体工事のための準備工事、仮締切(かりしめきり)工事によって吾妻川の流れが遮られているからです。
周辺の渓畔林でも伐採が進んだため、これまでは木の間越しにしか見えなかった、川の流れを遮っている石垣が丸見えになりました。
石垣のすぐ下流側に滝があります。滝の水が吾妻川の流路に流れ込んでいるために、水溜まりのようなものができているのですが、この水がダム本体工事予定地にそのまま流れることのないよう、ポンプで汲み上げられているようで、灰色の管が石垣から水溜まりに垂れ下がっています。石垣の右側にコンクリート製の仮排水トンネルがありますので、そこに水を運んでいるのでしょう。
仮排水トンネルは、ダムの本体工事を行うために、川の流れを迂回させるバイパスとして造られたものです。
このトンネルは長さが389メートルあり、上流側の入り口(呑み口)が吾妻渓谷の滝見橋直下に造られ、下流側の出口(吐き口)は小蓬莱の脇にあります。ダム本体工事予定地の吾妻川の流れは、すでにトンネルに迂回しています。渓谷沿いの国道からは、トンネルの吐き口は岩かげに隠れていますが、吐き口から勢いよく水が流れている様子が見えます。
国の名勝・吾妻渓谷はこれまで長野原町の観光資源とされ、渓谷上流にある川原湯温泉とともに多くの観光客を集めてきました。しかし、長野原町に属する吾妻渓谷の上流部はほとんど八ッ場ダムで水没してしまうため、渓谷下流の東吾妻町が渓谷観光に乗り出すとされています。
小蓬莱のすぐ下流に長野原町と東吾妻町の町境があります。ここからは小蓬莱と大蓬莱(あわせて”新蓬莱”と呼ばれる)の絶景が間近に見え、駐車場が整備されています。トイレや洗面所も設置されているのですが、現在、この施設は閉鎖されています。ダムの工事でトイレに水が流れなくなったからという話も聞かれます。
ダム本体工事の影響は、吾妻渓谷の上流側にも及んでいます。
水没予定地である川原湯地区の移転代替地では、盛り土造成地の安全対策を検討するための地質調査が行われています。この代替地には、すでに住民が移転していますが、代替地の造成は完了からは程遠い状態です。
ダム本体が建設されることになり、ダム湖に水をはっても安全なようにと、地質調査が行われることになりました。現在はまだ水がはられていないので、安全性に問題はないということになっています。
水没予定地の川原湯温泉街では、八ッ場ダム事業による地域振興をうたった看板が風雪によって倒れそうです。看板には、「川原湯温泉は生まれ変わります」と大書されています。八ッ場ダム事業によって、川原湯温泉はこれまでよりすばらしい温泉街に生まれ変わるということになっていますが、代替地の温泉街が再建される前に、ダム事業に見切りをつけた住民が大量に流出してしまいました。
八ッ場ダムを推進する人々は、民主党政権のせいでダム事業も生活再建も遅れていると、まるでダム事業者(国土交通省と関係都県)には責任がないかのように言い逃れをしていますが、八ッ場ダムは2000年度には完成する予定でした。川原湯温泉の代替地での再建は、1990年代に終わっていなければなりませんでした。
ダム事業の遅れも、生活再建の見通しの暗さも、民主党政権とは関係ありません。
発掘調査はまだ始まったばかりですが、火山灰が積もった畑が出土しています。畑の畔と畔の間に灰色の筋のように見えるのが、1783年の浅間山の火山灰です。
八ッ場ダム予定地におけるこれまでの発掘調査から、災害当時、浅間山の不気味な火山活動に不安を覚えながら、当時の人々が農事暦にのっとって農作業を続けていたことが明らかになっています。
八ッ場ダム予定地はここに住んできた人々にとって大切な土地であるだけでなく、自然、歴史、文化の視点から見て貴重な土地です。
必要性のない八ッ場ダムを造るために、かけがえのない自然や遺跡が永遠に失われることを考える時、この国策の愚かしさに慄然とさせられます。