八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「脱ダムの重い教訓」(北海道新聞コラム記事)

 北海道新聞のコラムに、ダム行政の経過と現状について、わかりやすくまとめられた記事が載りました。

 民主党政権による八ッ場ダム中止の失敗は、政治ネタとしてしばしば取り上げられますが、「脱ダム」はマスコミが作り上げた一時の流行にしかなりえず、「ダム問題」の本質は世論やマスコミの関心を呼びません。しかし、「ダム問題」に対して、多くの人々は知らされていないだけで、問題そのものが消えたわけではありません。むしろ、先送りにされたことで、問題はますます深刻になっているとさえ言えます。今も全国各地で、名もない人々が巨大な権力と財力を持つダム行政に対して、ダム反対運動を続ける理由がここにあります。
 このコラム記事では、当会の主要メンバーである嶋津暉之さんへのインタビューが引用されています。まずは、ダム行政で起こっている事実を知ることから、すべてが始まるのではないでしょうか。

キャプチャ ◆2016年1月24日 北海道新聞
ー異聞風聞 「脱ダムの重い教訓」 辻岡英信編集委員ー

 ひと頃は大きな関心を呼んだのに、時間の経過とともにすっかり影が薄くなってしまったテーマがある。その一つが「脱ダム」だ。
 熱しやすく冷めやすい国民性のせいばかりとも言えない。メディアも大きな責任を負っている。
 2001年2月、長野県の田中康夫知事が「できる限りコンクリートのダムを造るべきではない」と「脱ダム宣言」をぶち上げ、一躍注目を浴びた。民主党は「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げ、09年の政権交代後はダム問題の象徴だった「八ッ場ダム」(群馬県長野原町)について、前原誠司国土交通相が建設中止を表明した。
 「そんなこともあったなあ」という懐かしささえ感じるが、過去の話として片付けてはいけない。ダム問題の「今」を聞いた。
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 「事業者(国や都道府県)がやりたいと思う事業はほとんど継続になってしまいました。残念です」
 嶋津暉之さん(72)は無念の表情を見せた。ダム反対運動の全国組織・水源開発問題全国連絡会(東京)の共同代表。1960年末から八ッ場ダム反対運動に関わり、以来、半世紀近く、ダム行政を問い続ける人物だ。
 ダム問題の経過をおさらいすると、民主党政権発足後、09年11月、国交省は「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」を設置。翌年9月にまとめた事業見直しの評価基準と手続きに基づき、全国84のダム計画の検証が行われてきた。
 嶋津さんによると、これまでに検証を終えたダムは72。このうち48が事業継続。24が中止となった。
 中止が3分の1。それなりの成果ーと思ったら大間違い。嶋津さんは「中止となったダムには、もともと予算がほとんど付いていません。財政事情などで、事業者自身が意欲を失っていたものばかりです」と語る。
 例外は、滋賀県の嘉田由紀子知事がリーダーシップを発揮した滋賀県の北川ダムなど3ダムだけという。
 道内で検証対象となったサンル(上川管内下川町)、平取(日高管内平取町)、新桂沢(三笠町)、みかさぽんべつ(同)、厚幌(肝振管内厚真町)の5ダムは、すべてゴーサインが出た。
 八ッ場ダムも11年12月に工事再開が決まり、現在は本体の基礎岩盤の掘削工事が行われている。
 検証の時点で本体着工済み、本体工事契約済みだった約60のダムは、検証対象にすらならなかった。駆け込みで契約を結び、検証を免れた例も少なくない。
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 嶋津さんは総括する。「検証とは名ばかりで、従来の計画にお墨付きを与えたにすぎません。有識者会議は推進派の専門家が大半を占め、脱ダム派は除外されました。民主党政権は国交省の役人をコントロールできず、役人の思うままの人選が通りました」
 水の需要は90年代から減少し、人口減少の中で今後もこの傾向は続く。昨年9月の鬼怒川の氾濫が示すように、治水はダムに頼らず、河川改修や堤防の強化の方が効果的だー。
 脱ダム派はこう指摘し、実施中のダム建設事業はすべて必要ないと主張する。だが原発を推進する産官学の「原子力村」と同様の「ダム村」が立ちはだかる。
 混乱と失敗の連続だった民主党政権だが、税金の無駄遣いにメスを入れようという意識は持っていた。翻って、現政権の予算案は、財政危機を忘れたようなけじめのなさだ。景気の先行きに確信を持てないことの表れかもしれない。
 国の政策をめぐる国会論戦が本格化する。政府にただすべきことは山ほどある。SMAPの話題に時間を費やす場ではない。