八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

荒瀬ダム撤去現場でラフティングツアー開始

 国内で初めて本格的なダム撤去が行われた球磨川流域の荒瀬ダムの現場からのニュースです。
 ダム撤去の研究者、溝口隼平さんは生活拠点を愛知県から現場に移してリバーガイドとして活動。ラフティングツアーの営業を8月に始めるそうです。
 
◆2017年7月30日 毎日新聞熊本版
https://mainichi.jp/articles/20170730/ddl/k43/040/235000c
ーこの人に聞く リバーガイド 溝口隼平さん /熊本ー

再生した川で暮らす 溝口隼平さん(36)

 県営荒瀬ダム(八代市坂本町)がほぼ撤去され、かつての流れが戻ってきた球磨川中流域で、リバーガイドの溝口隼平さん(36)がラフティング会社「リボーン(Reborn)」を設立、ボートで川を下るラフティングツアーの営業を8月に始める。元々、ダム撤去の研究者として2010年、ダムから約400メートル下流沿いにあった空き家(同)に移り住んだ。国内で初の本格的なダム撤去を現場で見守りつつ、ラフティング事業を始める思いを聞いた。【聞き手・笠井光俊】

 Q 移住を決めた理由は?

 溝口さん 荒瀬ダム撤去が議論されていた頃は、金曜夜に愛知から夜行バスで来て、ダムや球磨川の写真を撮ったり、調査をしたりして日曜夜の夜行バスで戻る日々でした。ただ、国内で最初にダム撤去される場所に住んで、自然の変化を体感したい、川が再生する喜びを住民と共有したいと思っていました。当時は他県でも複数のダム撤去の議論があったのですが、最終的に撤去が決まった荒瀬ダムにしました。

 Q 移住後は生活費をどう稼いで、どう暮らしていくかなど、大変だったのでは。

 溝口さん デイサービスの送迎運転手から始めて、青のり漁師や土木作業員など、ガイド業とは別にいろいろな仕事をいただきました。冬季の植林、間伐の仕事は今後も続けます。送迎運転手をやったことで、地域の人たちに顔を知ってもらい、昔の球磨川の写真などを見せてもらえるようになりました。現地に住んでいないと見聞きできないことに触れることができ、自分の研究にとっても良かったです。

 Q ダム撤去を研究するようになったのはなぜですか。

 溝口さん 小さい頃から川遊びが好きだったのが原点です。高校生の頃、鹿児島県出水市で砂防ダムを越える土石流災害があり、犠牲者の遺品を探す作業にボランティアで加わる中で、河川行政への疑問が膨らむとともに、自然の再生に興味を持ちました。荒瀬ダムに関しても球磨川の再生や地域の変化などの一部始終を記録したいと考えています。

 Q 研究とは別に、ラフティング事業を自分で始めるというのは、どんな考えがあったのですか。

 溝口さん ダム撤去によって再生した川を生活の場にしたいという思いがありました。何らかの形でお金が回って、苦労はあるけれども、ちゃんと生活していけるんだ、ということを見せたい。例えば、再生しつつある川で何十年ぶりかで出漁している川漁師さんを見ると、ものすごく尊敬する上に感動してしまいます。ここがちゃんと生活の場になることは、ダム撤去を願っている他地域の人たちへの発信にもなるかもしれません。

 Q 球磨川のラフティングは人吉・球磨地域の上流域が有名ですね。

 溝口さん 今後は中流域でも増えると思います。当面、川下りは瀬戸石ダム(芦北町、球磨村)の直下から坂本町の中心部近くまでの約10キロ内で、天候や水量、お客さんの要望を元にコースや遊び方を選びます。所要時間は2~3時間。「リボーン」という名は「再生」という意味で、川を巡るいろいろなものが再生し、生まれ変わってほしいという願いを込めています。
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 「リボーン」のラフティングツアーは完全予約制で7人まで。料金1人6000円。問い合わせは090・2516・3900。
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 ■人物略歴

みぞぐち・じゅんぺい
 鹿児島県出水市出身。高校まで地元で過ごし、愛知県の人間環境大学を卒業後、東大大学院農学生命科学研究科の付属施設「愛知演習林」(現・生態水文学研究所、愛知県瀬戸市)の研究員として全国のダム撤去事例を研究した。2010年秋、八代市坂本町に家族で移住。13年に一般社団法人ラフティング協会のリバーガイドに認定され、人吉・球磨地域のラフティング会社で経験を積んだ