2005年9月24日 讀賣新聞群馬版より転載
「ダム湖畔に生まれ変わる街」
高崎から普通電車に揺られて一時間余り。山伝いに走る車窓から「関東の耶馬溪」と称される吾妻渓谷を眺め、短いトンネルをいくつも抜けると、大きな看板が目に飛び込んできた。
〈ようこそ ダムに沈む川原湯温泉)
一帯で建設中の八ッ場ダムは近い将来、駅も温泉街も水底に沈める。付け替え道路や住民の移転代替地の造成工事が進み、周囲の山々は山肌の露出が目立つ。
駅を出て緩やかな坂道を歩くと、10分ほどで小さな温泉街が見えてきた。車がようやくすれ違えるほどの狭い道の両側に、古びた旅館や商店が軒を連ねる。道端の苔むした石垣が風情を加え、イワタバコがかれんな花を咲かせる。
「自然に囲まれた素朴な街並みが川原湯の売り。固定ファンが多いんですよ」。温泉街で食堂を営む水出耕一さん(51)が迎えてくれた。
13軒ある旅館は一部を除き、宿泊客数20~50人ほどの小さな宿。いずれは水没するからと、改修されることもないという。だが、それが逆にレトロ感を生み、「昔懐かしい雰囲気を味わえる」と評判だ。
温泉街のシンボルは共同浴場「王湯」。源頼朝の発見と伝えられ、笹竜胆の紋所が目印だ。内湯は天井が高くゆったりとし、露天風呂は小川のせせらぎが心地良い。70度を超える源泉を適温にしてのかけ流し。「温泉通にも2度、3度と立ち寄ってもらえます」と水出さん。
ダムの完成予定は2010年度。温泉街は、ダム湖畔となる高台の代替地で生まれ変わる。川原湯温泉観光協会の事務局も務める水出さんは、看板に掲げる新たなキャッチフレーズを募っている。
「いつまでも『ダムに沈む温泉』ではなく、子や孫へとつなぐ新しいイメージを考えたい」。水出さんの言葉を胸に刻み、温泉街を後にした。(武田泰介)