川辺川ダムの計画が頓挫したニュースが流れています。
世間では、「もう川辺は中止になったんだ」と思っている人が多いようです。ところが、どっこい、ダム計画は生き延びています。
東西双子のダム問題といわれる”川辺”と”八ッ場”。川辺川ダムの状況は八ッ場と酷似していますが、地質、水質、現地の状況、税金の投入額、どれをとっても、八ッ場の問題は川辺よりさらに深刻です。
2005年10月4日 毎日新聞より転載
■記者の目ーオピニオンワイド
「不明わびて計画撤回せよ 新堤防構想 なぜ消した
川辺川ダム・再挑戦する構えの国」ー福岡賢正(西部学芸課)
国土交通省は熊本県で進める川辺川ダム建設に伴って土地と漁業権を強制収用するための申請を取り下げた。それでも同省は「球磨川流域の生命、財産を守るためにダムが必要」として、計画を変更して再挑戦する構えだ。だが、15年前からこの問題を追いかけてきた私には、彼らが本気でそれらを守りたがっているとは思えない。なぜならダム計画があるがゆえに、人々の生命、財産が脅かされてきのたが現実だからだ。
川辺川ダムの主な目的は、80年に一度の大雨まで対応できる洪水調節と、かんがい用水の確保の二つ。1966年の計画発表以来、水没する道路や建物の移転などに2000億円が既に投じられたが、ダム本体には着工すらできず、治水面でも利水面でも何の機能も発揮できないまま40年の歳月が空費された。
一方、川辺川ダムができても現状では浸水を免れないとされる球磨川中流域は、川沿いの宅地かさ上げなどの改修予算が十分につかず、住民が水没する被害に見舞われ続けてきた。同様に、川底に堆積した砂利の除去などの河床整備も進まず、洪水時の川の水位を押し上げてきた。
流域最大の人口と資産を擁する八代市では、堤防が決壊すれば1兆円の被害が出るとして、国は川辺川ダムの洪水調節能力をはるかに超える200年に一度の大雨にも対応できるよう「フロンティア堤防」を32億円かけて05年度までに整備する計画だった。フロンティア堤防とは、堤防満杯まで水が来ても耐えられ、越水しても急には決壊しない堤防のことだ。詳細な実施設計も終わり、01年度には築堤予算も付いたが、この年、ダム反対派が「これができれば川辺川ダムなしでも八代の治水は万全」と指摘。国は着工を見送って翌年から予算も付けず、結局、計画自体を取りやめた。
問題は球磨川流域だけにとどまらない。国は98年度にフロンティア堤防設計の手引きを作り、全国の重要な堤防250キロをこの堤防にする構想を立てて整備に着手していた。00年6月にはそれをさらに進め、一般の堤防も満杯まで水が来ても耐えられる構造とするよう求める設計指針を出した。ところが八代の計画をダム反対派に指摘された翌年の02年7月、新しい設計指針を出し、満杯まで所定の余裕(通常1.5メートルか2メートル)を残した水位まで堤防が耐えられればいいように強度の基準を引き下げ、フロンティア堤防構想もなかったことにしたのだ。
その理由について国交省は「決壊しにくい堤防の技術が未確立なため」と繰り返す。しかし、整備済みの場所では決壊した例はなく、実験で過去のデータが覆されたわけでもないという。理由になっていないのだ。今本博健・京都大学名誉教授(河川工学)は「堤防の中に水を通さない鋼矢板やセメントの連続壁を設置するなどすれば技術的に可能。中国の長江では標準工法に採用されている」と言う。
昨年、全国で想定を超える大雨による破堤災害が相次いだ。ハリケーン「カトリーナ」によるニューオーリンズの壊滅的な被害も、堤防決壊が原因だ。いつできるとも知れぬダムに執着し、決壊しにくい堤防の整備に背を向ける国交省の態度は、国民への背信以外の何物でもない。
川辺川ダムが多目的ダムに変更された68年当時、国は総事業費を215億円と見積もり、5年後の73年度には完成するとしていた。ところがその10倍近い2000億円を投じてもなお本体に着工すらできず、計画は白紙に戻った。昨年の時点で総事業費を3300億円と試算していたが、それがどこまでふくらみ、いつ完成するか、見当もつかなくなった。国は希望観測的な数字を示して説得を試みるだろうが、当てにならないことはこれまでの経過が証明している。
国が3年前に示した治水代替案の事業費試算によると、堤防かさあげ案、河床掘削案ともに2100億円だった。川辺川ダムにはすでにそれに匹敵する額が費やされたが、何の機能も果たせないままだ。40年前にダムではなく堤防や河床の整備による治水が採られていたら、事業費はこの数分の1で済み、とっくに流域は安全になっていた。
ダムを推進してきた国と熊本県はまず、自らの不明を納税者と流域の人々にわびねばならない。そしてダム計画をやめ、そこに投じられるはずだった予算をダム以外の治水と利水に振り替えるべきだ。
その方がダムにこだわるより、早く、安く、確実に、生命、財産が守られる。しかも人々が愛してやまない清流も、そのまま残せるのだから。