「水利権の転用、余裕生む 」(日本経済新聞)-6/11

2006年6月11日 日本経済新聞より転載
「水利権の転用、余裕生む 水不足にはもうならない? 自治体が供給手法見直し」

 ファミリー経済 エコノ探偵団
 「最近は水不足にならないっていう話ね」。近所の主婦たちの立ち話が探偵、深津明日香の耳に入った。「確かに雨がちだけど、そんなことがなぜいえるのかしら」

需要減少続く
 気象庁によると今春は全国で雨が多く、6~8月も平年並みかそれ以上に降りそう。昨年は春から夏に雨が少なかったため東海から四国で夏場に渇水となったが、今年はその可能性が低いとみられている。
 国土交通省がまとめた国内の年間水使用量(河川・ダムからの取水量ベース)は2002年で約852億立法メートル。1992年の894億立法メートルをピークに減っている。農業用水が全体の2/3を占めるが、農地縮小を反映して頭打ちだ。
 2割弱が上水道の生活用水、1割強が工業用水だが、人口や国内の工業生産と連動してやはり減り気味になっている。「節水をうたう機器の家庭での普及の効果もあるようです」と国交省水資源計画課課長補佐の椙田達也さん(46)。
 明日香は早速衛生陶器大手のINAXを訪ねた。シャワー付きトイレの普及は家庭での水消費量を大きく増やしそうだが衛陶開発課グループ長の山道明さん(36)は「今は水を効率的に使えます」と説明する。
 同社は洗浄一回当たりの排水量が6リットルと過去最小の製品を4月に発売したばかり。「20年前の機種は20㍑も流していたのが、10年前からは13㍑。技術競争の成果です」

生産回復でも増えず
 家電大手の日立アプライアンス(東京・港)にも聞いた。家電事業企画本部部長代理の森川祐介さん(43)は「国内向けの機種では省エネ・節水のアピールが効きます。洗濯機では風呂の残り湯をいかに効率的に使うかがポイントで、10年間に7割も使用量が減りました」と話す。
 厚生労働省の水道統計でも、日本の水消費量は02年で一人一日316㍑。減る傾向なのは確かだ。
 「家庭での節水が需要を抑え、水不足のおそれも少なくなりました」。明日香の報告に所長が首をかしげた。「工業用水の減り方が大きいが、国内の生産回復でこれが増え始めないのかな」
 困った明日香は新聞記事を調べ、富士写真フィルムに向かった。同社は液晶テレビに必要な偏光板用フィルムの工場を静岡県吉田町と熊本県菊陽町の二カ所に持ち、どんどん拡張中。国内での工場増加の代表例とされていたからだ。
 「工場では、どれくらい川の水を引いてくるのですか」。明日香が意気込んで聞くと、富士フィルム九州(菊陽町)社長の山口光男さん(59)は「いえ、全然引いていませんよ」と笑った。
 静岡、熊本の両工場とも、製造したフィルムの冷却には地下水を使っている。「水量が安定し、他の場所から引くより安いのです」
 地下水は戦後、工業地帯で大量にくみ上げられて地盤沈下を招いたため厳しい規制がかかった。その後は河川からの給水が主流となったが、最近見直されているという。
 「でも、みんながまた地下水に戻ったら不足するのでは」。明日香の問いに山口さんは、工場が必要とする水の量は高度成長期などに比べてはるかに少ないと説明する。「工場内で再利用しているからです」
 両工場では、冷却に使って温まった水を浄化、温度を下げたり、冷却器についた水蒸気を集めたりするなどで再利用を進めている。経済産業省の04年の統計によると、従業員30人以上の事業所では水の8割近くを回収・再利用している。「工業用水も急に増えそうにないわね」
 ここで所長から携帯電話が入った。「すいりけんも調査してほしい」。明日香が反射的に名探偵シャーロック・ホームズを思い浮かべたのを察し、所長が付け加えた。「推理じゃない、水利権だぞ」

工業用水を用途転換
 気を取り直した明日香は国交省を再び訪問した。すると水政課課長補佐、金子実さん(46)が「水利権の転用が注目されています」と教えてくれた。
 水利権とは自治体が河川などからある量の水を自分の水道に引き込む権利で、多くの河川で国が許可権を持つ。最近、需要が見込めない量の権利を自治体が返上し、その分を別の用途に変更する例が増えてきたという。
 例えば埼玉県は1999年、現在のさいたま市などに向けた南部工業用水の2割強にあたる日量約8万㌧を水道水に転用した。この地域は宅地化で工場が減少。それでも需要を上回る量が工業用水に回され続け、生活用水は不十分なままだった。 
 転用で増えたのは地域の生活用水の3%程度だが、実際の効果は大きい。「転用したのは水不足でも安定的に使える水利権でした。これを確保したので、雨不足にもかなり耐えられるようになりました」と同県企業局の担当者は説明する。
 02年には徳島県が工業用水を鳴門市などの生活用水に転用。現在、兵庫県尼崎市も工業用水転用で周辺自治体などと交渉中だ。同市はこれらの自治体と進めていた二カ所のダム建設計画からの撤退も決めた。
 従来、自治体はいったん手にした用途別の水利権を変更することはほとんどなかったが、経済や人口が低成長に転じたことで水を合理的に利用する機運が高まった。財政難で納税者の目が厳しくなり、水源を増やすダムも建設しにくくなったためだ。「利害調整は難しいのですが、カベをなくして水源の利用を合理化する動きが本格化すれば供給にはかなり余裕が出るはずです」とある自治体の職員は話してくれた。
 国交省の椙田さんから再び連絡が入った。「近年は年や地域による少雨、多雨の差が大きいので、水不足への警戒も忘れないでくださいね」
 「水利権など供給側の手法も見直され、水不足が回避できる可能性が高まっています」。報告する明日香に、「人口はもっと減るし、いろいろ見直す必要があるな」と所長もうなずいた。
 「やっぱり共有するっていうのは大事なんだね」。同僚、加枝田孝造の無邪気な感想に、明日香が冷ややかな視線を向けた。「調査の依頼も同じように分担していただければ助かるんですけど」                  (林さや香)