2007年6月26~30日、読売新聞紙上に連載された記事を転載します。
[逆流・岐路の河川行政](1)流域住民の声、ダム派拒絶(連載)
高さ10メートルを超える堤防のすぐそばに、びっしりと立ち並ぶ民家−−。元河
川官僚の宮本博司さん(54)が、旧建設省淀川工事事務所長だった1999年、京
都府南部を流れる木津川など、管内の流域で目にした光景だ。
水害の度に増築されてきた堤防。川底の砂を積み上げただけのものも多く、工学的
に安全は保証されていない。にもかかわらず、河川行政は長年、この状況を見過ごし
てきた。
「いったん大雨が降れば、堤防はいつどこで決壊するかわからない。そう感じた以
上、現状を変える努力をしなければ」
その思いが、後に「淀川モデル」と評価された、住民参加型の淀川水系流域委員会
(淀川委)の設立へとつながった。
◎
90年代初め、環境保護を求める意識の高まりから、河川行政が激しい批判を浴び
た三重県の長良川河口堰(ぜき)問題などを教訓に、河川法が改正されたのは97年
6月。「治水」と「利水」という河川管理の目的に「環境保全」が加わり、河川整備
に住民意見を反映させることになった。
宮本さんも長良川河口堰では、「ダム屋のエース」として現場責任者に派遣された
が、激しい批判を浴び続けた苦い経験がある。
河川行政は信頼を失っていた。「自分たちがやってきた事業は、住民に説明できな
いものなのか」。生まれ故郷の淀川に戻った宮本さんは、そんな疑問を感じるように
なった。
◎
明治以来の近代治水は、100年に1度の雨などにも耐えられる川を目指し、長大
な連続堤防と上流のダムで川の中に洪水を押し込めようとしてきた。河川が氾濫(は
んらん)すれば、新しいダムを造り、ひたすら堤防を築いた。やがて、ダムと堤防を
過信し、水害の危険を感じない人が増えた。
「堤防を造れば造るほど、下流で決壊した場合の被害リスクを増やすという、悪循
環に陥っている」
制度疲労を起こした河川行政の姿をありのまま伝え、流域の課題を共有できなけれ
ば、行政も住民の意識も変わらない−−。
河川工学、環境の専門家、市民団体の代表や主婦ら、50人以上に及んだ淀川委の
委員らは、淀川事務所長だった宮本さんの訴えに耳を傾けた。
「そんなことを私たちは聞かされていなかった。川の仕組みを変えなければ」。委
員らが本気になった。
◎
淀川委は2003年1月、「新たな河川整備をめざして」と題した「提言」を公
表。生態系を壊してきた過去の歴史を反省して「原則、ダムは建設しない」としたう
えで、環境回復を優先し、治水、利水との両立を図りながら、「堤防補強」を最優先
に進めるよう、河川行政の転換を強く促すものだった。
淀川水系には現在、5か所にダムの建設計画がある。
宮本さんら当時の国土交通省近畿地方整備局は、どんな大雨で水があふれても粘り
強く壊れにくい堤防補強を実行に移そうとしたが、本省は受け入れなかった。
「ダム反対派に利用される」。堤防補強や環境との両立などの理念について、一部
の河川局幹部やOBはそう言ってはばからない。ダム推進派のOBの逆鱗(げきり
ん)に触れ、淀川委は今年1月、一時休止に追い込まれた。
宮本さんは05年6月に防災課長として本省に戻ったが、1年後の昨年7月、自ら
職場を去った。
「川の姿を現場に来て感じれば、優先すべきなのが何なのか見えてくるはず。机上
で計算しているだけでは、何も見えてこない」
◇
多様な価値観を川に求める流域住民。増大する水害リスクを前に、従来通りダムと
築堤にこだわる国。河川法改正後の10年は、理念に逆行したかにみえる。岐路に立
つ河川行政を問う。
〈淀川水系流域委員会〉
琵琶湖・淀川水系の今後20〜30年の河川整備計画に意見する国交省近畿地方整
備局長の諮問機関で、2001年2月に発足。会議や資料などを全面公開した情報開
示と、事務局を民間機関に置くなどの独立性、透明性、住民参加の精神でダム問題な
ど流域の課題を活発に議論した。現在、再開に向けた新委員の選定が進む。
————————————————————-
[逆流・岐路の河川行政](2)議論の場から住民排除(連載)
「河川整備計画作りは、吉野川第十堰(ぜき)の対策を除いて進めます」
昨年5月、国土交通省四国地方整備局の発表に、徳島市のNPO法人「吉野川みん
なの会」代表の山下信良さん(56)らは耳を疑った。
その半年前、同会のメンバーが、吉野川の今後20〜30年間の整備メニューを決
める計画の作り方について国交省に要請した際、渡辺和足(わたる)・河川局長(当
時)は、「第十堰の文化的価値と治水を総合的に考える」「徹底した情報公開と住民
参加で議論を進める」と明言していたためだ。
誰もが、学者と住民、行政が同じテーブルにつく「流域委員会方式」が採用される
ものと期待していた。だが、国交省は、住民と学者の議論の場を切り離し、さらに住
民の最大関心事といえる第十堰については、議論の対象外にした。
◎
吉野川では、旧建設省が、伝統ある第十堰を「治水上の障害になる」として取り壊
し、洪水時は水門が開いて水を流す「可動堰」にする計画を進めた。だが、2000
年、巨大事業への批判が高まる中で行われた徳島市の住民投票の結果、投票者の9割
の反対票を集め、建設計画は白紙に追い込まれた。
国交省が昨年7月以降、吉野川の河川整備計画に向けて徳島、高知、愛媛の各県で
開催した「流域住民の意見を聴く会」では、「第十堰の議論をなぜ先延ばしするの
か」「説明に意欲が感じられない。こんな会では何十回やっても同じだ」と強い不満
が噴出した。
中立な立場で「聴く会」の司会・進行役を任されていたNPOも今年5月末、「議
論の方法が抜本的に改まらなければ、司会進行を休止する」と、国交省に“最後通
告”を突きつけた。
大学の研究者と協力するなどして可動堰の代替案の検討を進めてきた山下さんは、
「自分たちが100点だなんて思っていない。立場の違う住民や行政が、どこで折り
合いを付けられるのか、議論を深める場がなければ合意なんてありえない」と訴え
る。
◎
流域委員会に代わる「吉野川方式」は、他の川にも波及した。八ッ場(やんば)ダ
ム(群馬県)計画などに反対運動が起きている関東の利根川では、計画策定に当たっ
て、学者を中心とした「有識者会議」に住民代表の姿はない。住民向けに「公聴会」
を各地で開催しているが、質疑応答の場さえない。吉野川よりもさらに後退した形だ
が、国交省は「いろんなやり方がある」と繰り返すばかりだ。
先月、1997年の河川法改正当時の建設省河川局長で、NPO「渋谷川ルネッサ
ンス」(東京)代表を務める尾田栄章(ひであき)さん(65)が、国交省所管の公
益法人の機関誌に寄せた一文が、波紋を呼んでいる。
「行政側に主体的に取り組む気概がなく、形式的な場に同席させられるだけの住民
参加は決して愉快なことではない」
法改正10年を機に、当時の河川局幹部の寄稿を集めた特集。他省庁の反対に遭い
ながら、環境保全と住民参加の理念を法制化した当時の苦労を回顧したうえで、「か
つての密室作業に舞い戻っていなければ幸いだ」と結んだ。
尾田さんは言う。「計画段階から住民意見を反映し、川づくりから日本の公共事業
をリードするつもりだった。今は法改正の理念を見失っているのと違うかな」
〈吉野川第十堰〉
河口から14キロ付近の川を斜めに横断する、総延長1・8キロの固定堰。旧第十
村にあり、旧吉野川への分流堰として約250年前の江戸中期に下堰が建造された。
後に上堰が増築され、珍しい二段構造に。特産の石を利用した青石組みの伝統工法で
造られたが、戦後、下堰の大部分がコンクリートで覆われた。
————————————————————-
[逆流・岐路の河川行政](3)環境より治水、薄れる情熱(連載)
霞ヶ浦に面した茨城県稲敷市境島。今年5月、湖岸から沖合約100メートルの場
所で、木の杭(くい)で囲われた「消波堤」の改修工事が行われ、堤の中身が、雑木
を束ねた「粗朶(そだ)」から、袋詰めの石へと替わった。
国土交通省が、地元のNPO法人「アサザ基金」などと連携して進めてきた、湖岸
の生態系の再生事業。地元の間伐材を活用するという市民グループのアイデアを、国
が総額35億円を投じて後押しした、前例のない「市民型公共事業」として注目され
た。だがいま、官民連携のモデルが崩れようとしている。
波が荒い日に、消波堤の金網を抜けて流れ出す木枝に手を焼いた国交省霞ヶ浦河川
事務所は、管理の手間が省ける石を詰め込んだ。
「湖の再生はこれからが正念場。なぜ、楽な方法を選ぶのか」。アサザ基金代表の
飯島博さん(50)は寂しさを隠せない。
◎
湖面に黄色い花を咲かせる「アサザ」をシンボルに、飯島さんらの「アサザプロ
ジェクト」が始まった1994年当時、湖岸の植生は壊滅的な状況だった。
治水、利水のため、霞ヶ浦総合開発でコンクリートの湖岸堤が張り巡らされ、ヨシ
などの植生は、かつての6分の1になっていた。特にヨシ原は、魚が産卵し、稚魚が
育ち、鳥や昆虫が生息する“命のゆりかご”。水際で波消しの役目を果たすアサザを
増やそうと、飯島さんが思いついたのが粗朶の活用だった。
幅20〜80メートルに及ぶ、雑木の枝を沈めた消波堤は、適度に波を弱めて植物
の生息を助ける。枝のすき間が魚礁となり、間伐材を利用することで荒廃した水源地
の森林保全にもなる。さらに、アサザやヨシの植え付けに流域の小学校など170校
が、ビオトープで育てた苗を持ち寄るなど、地域を巻き込み、生きた環境学習の場に
なった。
消波堤が設置された湖岸11か所(延長11キロ)では、ヨシが厚みを増し、メダ
カやタナゴにタニシ、オオヨシキリ、トンボなど多様な動植物が戻るなど大きな成果
を上げている。
◎
だがここ数年、金網から抜け出す木枝に漁協などから苦情が寄せられたことなど
で、国交省は粗朶を見切り始めた。
霞ヶ浦河川事務所では「枝の抜けが激しく、波消し効果が薄れた」と説明するが、
大規模に消波堤を設置した2000年以降、一度も粗朶を補充せず、何ら対策も講じ
なかった。以前は、消波堤の設置位置や粗朶の詰め具合など、飯島さんらと徹夜で検
討したこともあるが、今はそれもない。
追い打ちをかける出来事も起きた。
アサザの育成に協力する学校のビオトープの維持管理などに充てられてきたアサザ
基金への助成について、国交省は「学校教育は、河川管理者の仕事ではない」とし
て、今年度での打ち切りを通告してきた。
公共事業予算が削られる一方で豪雨の被害も相次ぐ。河川行政を取り巻く環境は厳
しさを増すが、国交省幹部が「環境はあくまで治水事業の二の次」というように、環
境保全に傾ける情熱は薄れている。
「環境の回復や子供たちにその大切さを教えることは行政の縦割りでは完結しない
仕事。今の河川行政は自分たちの殻に閉じこもり、外に出ていくのを怖がっているの
ではないか」
飯島さんの目にはそう映っている。
〈霞ヶ浦総合開発〉
旧建設省と旧水資源開発公団が1970〜96年、西浦、北浦の周囲約200キロ
にコンクリート湖岸堤を築造し、常陸川水門で水位を調整することで湖をダム化し
た。総事業費2864億円。首都圏の農、工業、水道用水の確保と周辺の治水対策に
寄与したが、魚介類や植生など生態系に深刻な影響を与えた。
————————————————————-
[逆流・岐路の河川行政](4)ダムありき 知事も反発(連載)
「取りまとめ案は了承しがたい」−−。東京・霞が関の国土交通省で今年3月、国
交相の諮問機関「河川整備基本方針」検討小委員会の審議最終日、熊本県の潮谷義子
知事が強い口調で異論を唱えた。
治水と利水を兼ねた、九州最大級の多目的ダム「川辺川ダム」(熊本県相良村)計
画を抱える球磨川水系。他水系では通常、2〜3回の会合で答申となるが、根強い反
対運動に、国交省は昨年4月から11回の審議を重ねてきた。
「この川でダム以外はありえない」。委員からそんな発言も飛び出し、事実上、ダ
ム推進の計画案が承認されようとしていた。地方負担分の予算執行権を握る知事が、
基本方針の取りまとめに「NO」を突きつけるのは初めてのこと。
潮谷知事は、「県民には様々な意見があり、一致を見ていない。明らかにダムを想
定した文言もあり、県民の理解を得られない」と反発。自分の意見も答申に併記する
よう求めたが、検討委の近藤徹委員長は、「両方書いたら、どちらを見ていいかわか
らない」とはねつけた。
◎
ダムに中立的立場としている潮谷知事が反発したのは、「ダムありき」で議事が進
んできたためだ。
これに先立つ2月の審議で、近藤委員長が「治水に特化した『穴あきダム』を検討
すべきだ」と発言した。
多目的ダムは、水や土砂、生き物の流れを遮断し、環境への負荷が大きい。その
点、洪水時だけ水をためる「穴あきダム」は比較的、影響が小さいとされる。
「ダムは環境破壊」と訴える反対派を強く意識したこの発言は、「基本方針では、
個別のダムの可否を決めない」という“原則”を踏み越えるものだった。
潮谷知事も不快感を表明。国交省も当初、「現時点で全く考えていない」と困惑し
たが、元河川局長で水資源協会理事長という、最高実力者でもある近藤委員長の意向
は重かった。4か月後の今月15日、国交省は、発電用利水でダム計画に参画してい
た「電源開発」が撤退すると発表した。これにより利水目的は消え、委員長発言の通
り、「穴あき」化に前進した。
◎
関東の利根川では、周辺住民に何の説明もないまま、新放水路計画や既存ダムの目
的変更が登場するなど、基本方針を決める場が、個別事業推進の“起爆装置”の役目
を果たし、住民の意見が反映されなくなっている。
委員長発言が飛び出した2月の同じ日、超党派でつくる「公共事業チェック議員の
会」が衆院第1議員会館で開いたシンポジウムに、河川行政の姿勢に危機感を抱く全
国66の市民グループが集まった。
「基本方針はダムの必要性を強調した昔の計画を踏襲しているだけ」「住民参加は
『聴きおく』だけの形ばかり」と批判が相次ぎ、改善を求める要請書を冬柴国交相あ
てに提出した。
だが、河川局幹部は「ダムがなく、水害が起きたら、訴訟で負けるのは河川管理
者」「技術的なことを住民に説明してもわかるはずがない」と言うばかり。本当にそ
うだろうか。
長年、河川行政のあり方に警鐘を鳴らしてきた大熊孝・新潟大教授(河川工学)は
言う。「環境を破壊し、財政を逼迫(ひっぱく)させ、いつ完成するかもわからない
今の治水計画を後の時代の技術者が見たら、何と思うだろう。いまだに自分たちが一
番、川のことを知っていると思っているのではないか」
〈河川整備基本方針〉
全国109の1級水系ごとに洪水対応などを定めた長期的な将来計画。1997年
の河川法改正で、従来は一つだった基本計画が、霞が関で決める基本方針と、地元で
審議する「河川整備計画」の二本立てになった。河川工学などの専門家のほか、関係
知事も審議に参加。100〜200年に一度という、計画の前提となる雨量を決める
ため、ダムの必要性の根拠となる。
————————————————————-
[逆流・岐路の河川行政](5)大水害、住民参加で減災(連載)
史上最多の10個の台風が上陸するなどした2004年。中でも、同年7月、死者
15人を出した新潟豪雨は記憶に新しい。
24時間で400ミリを超え、地域の観測史上最大の雨を降らせた、新潟県中之島
町(現長岡市)の刈谷田川と、同県三条市の五十嵐川では、市街地に面した堤防が一
気に決壊。多くの住民が激流から逃げ遅れた。
避難勧告が遅れたり、高齢者の被災など、水害に対する社会の脆弱(ぜいじゃく)
性を露呈したりした。「住民も行政も、ダムができて安心しきっていたのではない
か」。県の担当者は今にしてそう語る。
信濃川水系にある二つの川では、1960〜70年代に水害が相次ぎ、上流に計3
基のダムが完成した。04年豪雨でも、計2000万立方メートル以上の洪水をせき
止めることはできたが、破堤という最悪の事態は防げなかった。ダムと堤防で洪水を
川の中に押し込める近代治水の限界でもあった。
◎
「ダムができたら安心」。河川行政を担う国土交通省などは長年そう説明してき
た。ダムや河川改修で、数年おきに浸水被害が発生していた地域は、何十年も被害が
なくなった。だが、その恩恵と引き換えに、川が人の命を奪う存在であることも忘れ
てしまった。
風水害の被害が頻発した04年、死者・行方不明者は全国で236人に上った。1
時間に100ミリ以上の猛烈な雨が観測されたのは、ここ10年で年平均4・7回、
95年までの20年間と比べ2倍以上に増えた。
「床下浸水と付き合うくらいの覚悟が必要」というのが持論の、京大巨大災害研究
センター長の河田恵昭(よしあき)教授は訴える。
「世界的な気候変動で、米・ニューオーリンズを襲ったカトリーナ級の台風がいつ
来てもおかしくない。その時は人命だけは何としても守る。水はあふれることを前提
に、防災から減災へと発想を変えるべきだ」
04年の豪雨被害を受け、国交省も治水の転換に踏み出そうとした。川の両岸に築
く連続堤防に代わり、集落だけを取り囲む「輪中堤」の建設などを優先し、危険な川
の近くに新しい家屋建設を制限する制度の立法化を目指した。
だが、「地元には輪中堤は暫定措置と説明します」「ダムなどのハード対策は従来
通り」という国交省の説明に、「それでは新法を作る意味はない」と、あっさり内閣
法制局や国会議員から突き返された。結局、いまだに法案の提出には至っていない。
◎
「あす起きるかもしれない大水害にどう対応するのか、その時の当事者はだれなの
か、行政にできることは少ない」。今月3日、大津市内で開かれた流域治水シンポジ
ウムで、滋賀県の嘉田由紀子知事が参加者に語りかけた。
環境社会学者として、山や川を歩き、水害の実態を調べてきた嘉田知事。住民が川
とのかかわりを取り戻し、流域全体で洪水に備える「流域治水」の重要性を訴え続け
る。
「自然の猛威に万能の水害対策はない。大規模施設に過度に頼ることなく、自分で
守り、地域で守る。行政と住民がリスクを共有しなければならない」
自然の恵みを享受しつつ、水害の危険にも向き合うのが、本当の〈住民参加〉。こ
うした流れに背を向けたままでは、河川行政は大水害の危機に対応できず、後退する
ばかりではないか。(おわり)(この連載は社会部・高田浩之が担当しました)
〈新潟豪雨〉
新潟県中越地方から福島県にかけて、活発化した梅雨前線による記録的な集中豪
雨。五十嵐川、刈谷田川など6河川の11か所で堤防が決壊し、広範囲に市街地が水
没。土砂災害なども含め、5000棟以上が全半壊した。死者15人のうち、65歳
以上の高齢者が12人を占めた。