八ッ場ダム問題を抱える利根川流域(関東)とくらべ、淀川(関西)の河川行政は、これまで一歩も二歩も先をいっていると評価されてきました。このほど朝日新聞関西版に長期連載された元国交省のキャリア官僚、宮本博司さんへのインタビュー記事は、河川行政の転換点にある現場をリアルに伝えています。
時代の流れに逆行する河川行政の硬直化ー八ッ場ダム問題を考える上でも参考になりますので、以下転載します。
朝日新聞関西版 2008年8月20日
企画特集【なぜ、どうしてもダムなのか ~宮本博司~】
みやもと・ひろし 京都市生まれ。78年に旧建設省に入省し、技官として河川政策一筋に取り組む。近畿地方整備局淀川河川事務所長、河川部長、本省河川局防災課長などを歴任後、06年に退職。淀川水系流域委員会に一市民として応募し、昨年8月、委員長に就任。
(1)住民無視 情けない
6月18日、淀川水系流域委員会と近畿地方整備局が関係正常化のためトップ会談し、宮本委員長(左)と谷本光司・河川部長(中)が会見に応じる。
6月19日、会社で仕事をしていた私のところへ、新聞社から電話がかかってきた。「国交省が明日、流域委員会の最終意見が出るのを待たずに、4ダム建設を盛り込んだ計画案を発表するそうです」
あぜん、とした。
7年前、「住民の意見を河川計画に反映したい」と、住民の代表や学者らでつくる「淀川水系流域委員会」を作ったのは国土交通省だ。それが委員会の意見を無視して、一方的に計画案を発表するというのである。
昨年8月に委員会が再開して以降、担当職員が委員の質問にまともに答えなかったり、黙り込んだりが繰り返されたあげくの見切り発車。憤りも通り越して情けなくなった。
◆かたくなな国交省
私は元々、国交省の職員としてダム建設に携わってきた「ダム屋」である。流域委ができた当時は淀川河川事務所長。淀川の責任者として、琵琶湖や淀川をどう再生するのか、住人の安全を守るにはどんな方法がベストなのか、ダムは必要かどうか、流域委とキャッチボールを重ねた。一昨年に国交省を退職し、今度は一住民として淀川にかかわろうと、委員として話し合いに加わった。
最初は、流域委も国交省も同じ認識だったのだ。
「ダムは他に実行可能な方法がない場合に、環境影響について慎重に検討し実施する」。これは、04年に国交省が出した文書である。長良川河口堰(かこうぜき)建設に対する全国的な批判を契機に河川法が改正され流域委ができたのだから、効果もあるがマイナス面も大きいダムの建設はみんなで慎重に考えようというのは当たり前のことだった。
だが流域委が「ダムは原則建設しない」と提言し、それを受けて05年、国交省が大戸川など2ダムの建設凍結を発表した後から流れが変わる。「川のことは国交省が一番よく知っている。本気でそこまで住民や学者の意見を聴くのか?」との反動だったのか。
流域委は突然休止され、国が委員を選び直して再開。07年、大戸川ダム建設が復活。「何が何でもダムをつくる」とひた走る国交省と流域委の議論はかみ合わなかった。
5月には「流域委は予算を使いすぎている」と審議打ち切りの話が出てきた。「なぜ、どうしてもダムを造りたいのか」と委員から疑問の声があがる中で打ち切りに向かっていった国交省は、どこまで本気で住民の意見を反映しようとしているのか。説明責任を放棄し、住民意見の反映を拒否したとみなされてもしかたがない。
◆600回開催の流域委
だが「国交省が強引に進めると言ったからもうどうしようもない」と引き下がるわけにはいかない。ことは住民の命にかかわる問題なのだ。
そのことを一体、どれくらいの方が認識しておられるだろう。
もしかすると皆さんは、こんなふうに考えているのではないだろうか。
「国交省には批判もあるが、これだけ治水事業をやって、たくさんダムも造ってきたおかげで、もう洪水で人がたくさん死ぬ心配はない」
「ダムがいらないと言っている人たちは、人間の命より魚や鳥の命を優先しているのではないか。確かに自然環境も大事だが、人命より優先するものはない」
こうした考えは、とんでもない誤解である。
ダムにこだわる国交省の洪水対策のやり方を変えない限り、3年前に「カトリーナ」の上陸で1千人以上が亡くなったニューオーリンズの悲劇は他人事(ひとごと)ではない。
流域委員会が600回の会合を重ね、調べ、話し合ってきたことを、改めてみなさんにお知らせしたい。そのうえで、果たしてどうしてもダムに頼らなければならないのか、他の道を探るべきか、考えていただければと思う。
朝日新聞関西版 2008年8月21日
(2)国の想定なら効果
「どうしてもダムが必要だ」と言い張る国土交通省の主張をわかりやすく言い換えると、つまりはこういうことになる。
「万が一の大雨が降ったとき、洪水を防ぐにはどうしてもダムをつくるしかない」
本当だろうか。まず、国交省の主張をおさらいしてみよう。
◆万が一の大雨とは
「万が一の大雨」とは、どんな雨か。
国交省は「200年に一度の大雨」を想定した。
過去の気象統計をもとに、計算式を使って「200年に一度の大雨」をはじき出し、この雨が降った場合の淀川の水位を計算。すると、国交省が「これ以下なら安全を保証したい」と設定した水位を、一部の区間で最大17センチ上回ることがわかった。そうなると、堤防が壊れ、膨大な被害が生じるおそれがある。
そこで、上流に大戸川ダムをつくる。そうすれば、水位を19センチ下げることができる。
「淀川流域に住むみなさん、大戸川ダムをつくれば、たとえ200年に一度の雨が降っても、水位に2センチの余裕が生まれます。堤防は壊れません」というのが国交省の主張だ。
「そうか。それなら、まあお金はかかるかもしれないが、ダム建設も仕方ないんじゃないの」
そう思ったあなた、「200年に一度の大雨」について、少し考えてみてほしい。
◆「200年」は国の目安
そもそも、「なぜ100年でもなく、300年でもなく、200年なのか」に明確な答えはない。200年はあくまで、国交省が洪水対策をとる上で設定した「目安」にすぎない。さらに、200年に一度の大雨の量自体、アバウトなものなのだ。学説によって何通りも計算式があり、どの式を使うかで雨量は大きく違ってくる。
さらに、この「200年に一度の大雨」よりわずか数%多く雨が降れば、たとえ大戸川ダムがあっても、設定した水位を上回り、堤防が決壊する危険性が大きくなる。つまり、確かに大戸川ダムは水位を下げることはできるが、極めて限定的な洪水にしか効果をもたらさないのである。
こんな声も聞こえてきそうだ。
「そうはいっても、200年に一度の大雨を超える雨なんて、現実には降らないんじゃないの」
だが残念ながら、自然現象は人間の想定内には収まってはくれない。2000年の東海豪雨では、それまで観測された最大降雨量の約2倍の大雨が降った。自然現象は常に異常である。
淀川流域では1953年の台風13号のとき記録が残る中で最大の洪水量を記録したが、もし、このときの2倍の雨が降れば、いや、たとえ1・5倍の雨であっても、国交省が計算した「200年に一度の大雨」をはるかに上回る降雨量となる。仮に大戸川ダムを建設したところで、堤防は決壊し、多くの人命が失われることになる。
洪水対策とは、「いつ、どのような規模で発生するかわからない大雨に対して、住民の生命を守ること」だ。
だが国交省が主張する洪水対策は、「国交省が想定した範囲内の大雨に対してなら、住民の生命を守りたい」。
あなたは、これで納得できるだろうか。
朝日新聞関西版 2008年8月22日
(3)悲劇 他人事でない
3年前、アメリカのニューオーリンズにハリケーン「カトリーナ」が上陸した。
ニューオーリンズはミシシッピ川とポンチャートレーン湖にはさまれている。町は、堤防の下7~8メートルの低地に広がっている。
この堤防が一気に決壊したから、たまらない。一瞬にして1千人を超える方が亡くなった。
このニュースを見て、みなさんはどう思われただろう。「かわいそう」「大変なことが起きた」とは思っても、果たして自分たちにも同じことが起こりうると思った人が、どれくらいいるだろうか。
ニューオーリンズの地形と大阪の地形を比べると、決して他人事(ひとごと)ではないのである。
◆大阪の地形は怖い
もともと海の底だったところに土砂が堆積(たいせき)してできた土地に広がる大阪の町は、淀川の堤防のてっぺんから10メートル、大和川のてっぺんからは20メートル下にある。あの一気にやられたニューオーリンズの地形より、もっと怖い地形に大阪の町はできている。
しかも大阪には地下鉄が走り、地下街が広がっている。国交省のシミュレーションによると、もし、JR京都線が淀川を渡る地点で淀川の左岸堤防が決壊したとすると、天神橋6丁目の地下鉄入り口から氾濫(はんらん)した水が流れ込み、約7時間で、大阪のすべての地下鉄、地下街が水没するという。堤防が決壊したときの深刻さは、ニューオリンズをはるかにしのぐことになる。
だがどれだけの大阪の住民が、堤防が決壊し、押し寄せる氾濫流に自分が流されて死ぬおそれがあると思っているだろう。
ニューオリンズでもカトリーナの上陸前夜、近づいてくるハリケーンで堤防が決壊し、その氾濫流にのみこまれて死ぬかもしれないと思ってベッドに入った人がいただろうか。誰もそんなことはあり得ないと思っていただろう。大災害は実際に起きて初めて、それが現実に起きるものだと実感させられるものなのだ。ニューオリンズの悲劇は決して他人事ではない。
◆たまたま被害なし
でも、あなたはこう思うかもしれない。
「そんなこといったって、日本ではこのところずっと、ニューオリンズみたいな大洪水は起きていないじゃない」
日本でも、昭和20年代は台風がたくさん来て多くの方が亡くなった。昭和34年の伊勢湾台風は約5千人が犠牲となる惨事となった。だがその後、洪水による死者はぐんと減っている。自然災害で大勢の人が亡くなったといえば、阪神大震災が記憶に新しい。
地震で人が亡くなることはあっても、治水対策が進んだ日本では、もはや水害で人が亡くなることはない……そんなふうに、たくさんの人が考えているかもしれない。
だが本当にそうだろうか。
これまで洪水氾濫が起きるたびに、堤防のかさ上げが繰り返されてきた。確かに10メートルもある堤防はなかなかあふれない。だがいったんあふれて堤防が壊れたら、その被害は、堤防が低かった時代とは比べ物にならないほど壊滅的なものになる。
自然は人間の思い通りに治まってはくれない。私たちが自然から堤防決壊というしっぺ返しを受けるのは、50年後かもしれないが、明日かもしれない。たまたま、このところ淀川では、それほどの大雨が降っていないだけだ。
そして恐ろしいことに、淀川をはじめ、日本のほとんどの川の堤防は頑丈そうに見えるがその実、非常にもろいのである。
朝日新聞関西版 2008年8月23日
(4)堤防は脆弱なまま
みなさんは大きな川の堤防を見てどんな印象を持つだろう。草の茂った堤防は、まるで山のよう。いかにも頑丈に見えるのではないだろうか。
山が頑丈なのは、表層の土をのぞけば中は岩だからである。一方、日本の堤防の多くは土砂を積み上げただけだ。
信じられないかもしれないが、京都府を流れる木津川の堤防はほとんど砂でできている。海水浴で砂山を作った人なら、そのもろさが分かるだろう。そんな堤防のすぐそばに家が建ち、街がある。
淀川はどうか。
淀川の堤防は土。砂山ならぬ「土饅頭(まんじゅう)」。土は砂より粘りけがあるとはいえ、決して頑丈な山ではない。
◆想定外対策後回し
こんな川に大雨が降ると、どうなるか。
水がしみ込んだ堤防の強度は低下する。強い勢いで流れる水にも削られる。それだけで決壊することもある。なんとか持ちこたえても、いったん水流が堤防を乗り越えて流れ出すと、水は川の反対側の斜面をどんどんえぐり、決壊を引き起こす。
こうして一気にあふれる水のエネルギーはすさまじい。
4年前、兵庫県豊岡市で円山川の堤防が切れた。堤防を越えた水は反対側の地面を4~5メートルえぐり、決壊。上流の出石川では、決壊地点近くに立っていた家が一気に300メートル流された。翌日に現場へ行った私は背筋が寒くなった。決壊だけは防がなければならない。仮に水があふれても、決壊しにくい「しぶとい」堤防でなければいけない。
円山川では洪水の後、川と反対側の堤防斜面にブロックマットを敷いて上から土をかぶせた。これだけでも、あふれた水が堤防を削るのに抵抗できる。堤防をしぶとくする工夫は様々考えられる。
なぜ、こうした当たり前の対策が行われてこなかったのだろう。
これまでの洪水対策のやり方はこうだ。「ここまでの雨なら耐えられる川にする」と、まず雨の量を決める。次に、その水を「ダムでくい止める水」と「川に流す水」に分ける。その計算に従ってダムを造り、川では、想定した水位までは、水が流れる側の堤防をコンクリート護岸などで固める。
だが想定を超える水が流れたときの対策は後回し。その時は「決壊してもやむを得ない」ということになる。
◆堤防強化タブーに
いったん洪水になれば、最悪の場合は多くの命が奪われる。「やむを得ない」で済むはずはない。ところが国土交通省は、淀川において、自分たちが想定した水位を超えた水位を前提とした堤防の整備を行うことは考えていないと明言した。
なぜ、こんなおかしなことになるのか。
私もかつて国交省の職員として、雨を想定し、計算に基づいてダムを造ってきた。
だが一方で、「人間の勝手な計算どおりに自然が従ってくれるはずはない」とも感じていた。だいたい、ダム建設には時間も金もかかる。いつになったら多くのダムを造りきって計画が完成するのか見通しは立たない。常に「計画中」「整備中」。そうしている間にもいつ大雨が降るかわからない。
私以外にも、こうした疑問を口にする職員は少なくなかった。一部の川では、たとえ水が堤防を乗り越えても急激に決壊しないよう堤防強化が行われた。
だが次第に、国交省でその議論はタブーになっていく。堤防強化を推し進めることは、それまで「必要だ」と言ってきたダムの必要性を否定しかねないからだ。その結果、日本の川の堤防は脆弱(ぜいじゃく)な「砂山」「土饅頭」のまま、強化対策は本格的に実施されていない。
堤防決壊で住民の命が失われるのに有効な対策を行わない……それは、命をないがしろにする国の不作為ではないだろうか。
朝日新聞関西版 2008年8月25日
(5)減災へ転換 実行を
洪水から町を守るには、堤防強化や川底の掘削、ダム建設だけでよいのだろうか。
大阪の町が「天井川」に挟まれた底にあり、大洪水に見舞われたニューオーリンズよりも危険な場所に位置していることはすでに紹介した。なぜこんなことになったのか。
もともと、川は低いところを自由に流れていた。それでは人間にとって不都合なので、堤防を造って「あまり自由に流れてくれるな」と、川を固定した。
川を固定すると、いろんなところであふれていた洪水のエネルギーが全部川に集まってくる。一方、住民は「堤防ができたから安心」と、川の近くに住み始める。そこへ未曽有の大雨が降り堤防が壊れる。これではいかんと、堤防をかさ上げする。今まで以上に洪水のエネルギーは川に集中。人々はもう安心と、さらに周囲に町を築く。そこへまた大雨。洪水。堤防をかさ上げ……この繰り返しがずっと続いてきたのだ。
◆堤防どんどん高く
秀吉が淀川に最初に作った堤防の高さは2メートル程度だったと言われる。しょっちゅう水はあふれていただろう。だが周囲にはそんなに人も住んでおらず、たいしたことにはならなかったはずだ。それをどんどん高くして、現在は10メートル。そのすぐ横に、日本で最も密度の高い町ができている。10メートルの堤防はなかなかあふれないが、自然は人間の備えに応じて治まってくれるわけではない。もし壊れたら、町は一気にのみこまれる。のみこまれる町の一軒一軒には人が住んでいる。家族がいる。そして、この堤防は土でできている。
とりあえずは堤防を強くしぶとくすることが必要だ。さらに、洪水を川の中に押し込める考え方を変えなければならない。川だけでなく、できるだけ流域の中で水をためる方向へ転換していかなければいけない。
◆昔は田に水を分散
佐賀県の城原川には、「野越し」と呼ばれる工夫が残っている。所々でわざと堤防を低くして、そこから水が乗り越えても堤防が壊れないように堤防を強化している。洪水は、ある水かさまでは川の中を流れるが、それ以上になると一部を「野越し」から周りの田んぼに流してうまくエネルギーを分散している。昔からの知恵であろう。
こういう、水がじわっとあふれる場所を地域に作る工夫を取り戻さなければならない。もちろん、他の所に比べて水がつきやすいわけだから、農地にするとか公共の公園にするとか土地利用を変えたり、その土地にかかる税負担を軽減したりするなど、ハード、ソフト様々な工夫をして、洪水エネルギーを流域全体で分散して受け止めていく。目先の対策の繰り返しでは危険は増すばかりだ。
実はこのことは、国土交通省も十分認識している。
98年度の重点施策では、災害発生を前提として被害を最小限にする「減災」への方向転換を打ち出し、「想定を超える洪水が生じても被害を最小限に食い止めるため、たとえ越水しても急激に破堤しない」堤防の強化対策への推進を掲げた。さらに00年の河川審議会答申では、川の氾濫(はんらん)を前提とした土地の利用方法や、建物の建て方も含めた治水対策への転換が示された。
ところがその後、具体的な施策はいっこうに進まない。依然としてダムと川だけで洪水を処理する発想で計画が作られている。
国交省自身が限界を認識し、方向転換をうたったのに、舵(かじ)を切ることができない。このままでは、住民の生命を乗せたタイタニック号の氷山への衝突は避けられない。
朝日新聞関西版 2008年8月26日
(6)住民が行政の力に
私は建設省に入省し、辞職するまでの28年間のほとんどの期間、ダム事業にかかわってきた。
日本の川は水量の変動が激しい。急な地形と季節的に偏った雨の影響で、大雨が降ると洪水になり、日照りが続くと水が枯れる。ダムは、水量が大きいときは水をため、少なくなったら水を流す水ガメだ。ダムが住民生活に寄与してきたことは事実である。
問題なのは、ダムそのものではない。想定した雨量をもとに算出した洪水量を、机上の計算でダムと川で処理するという数字のつじつま合わせで、本当に住民の命を守れるのかということだ。
◆堤防強化急ぐべき
淀川のような流域面積の大きな川のはるか上流に千何百億円もかけてダムをつくっても、淀川で水位を下げる効果は小さい。ダムだけにこだわっていては、想定を少しでも超える雨が降れば、いつニューオーリンズの悲劇が起きてもおかしくない。それよりも、土饅頭(まんじゅう)である危険な堤防の強化を急ぐべきだ。堤防の強化は、多くの住民の命を守るための最低装備である。
なぜ、その当たり前の理屈が通じないのか。なぜ、何が何でもダムにこだわるのか。どうしてもダムが必要というなら、住民の命を守るためにダムがどのように貢献するのかを、他の方策と比較して具体的にわかりやすく説明することが不可欠だ。想定した洪水には貢献できるが、それを少し上回る洪水では貢献できません、うまくダムの上流で大雨が降れば効果を発揮するが、他の所での大雨には効きませんというのでは、多額の税金を使い、川の環境を破壊し、水没地域の人々を犠牲にする説得力はない。「従来の計画で決まっているから」「ここまでやってきたから」では通用しない。
◆職員は悩んでいる
私がそのことを思い知ったのは、岡山県の苫田ダムの現場を担当したことがきっかけだった。膠着(こうちゃく)状態に陥っていた建設予定地に入って地元の人とひざをつき合わせて、水没する地域の現実を知った。賛成の人も反対の人も「怨念(おんねん)」としか表現できないような深い痛みを抱え込んでいた。これほど人々に痛みを強いて造るのがダムならば、ダムを造ろうとする人間は、自ら水没住民の痛みを感じ、悩み抜き、多くの住民に徹底した説明を行い、ダム建設はやむを得ないと心から納得してもらわなければいけない。何のためにダムをつくるのか、とことん考え、悩んだ。
国土交通省は、決して従来の方法に固執しているガチガチ頭の集団ではない。職員の多くは、「今までのやり方は限界だ」「今の堤防では危険だ」と分かっている。200年に一度、150年に一度という大雨を想定した洪水対策にしても、河川局の中だけなら通用するが、一般の住民に納得してもらえるまでは説明しきれないことも、分かっている。私が近畿地方整備局の河川部長だったとき、住民と意見のキャッチボールをしながら大戸川ダムと余野川ダムの建設凍結を打ち出したが、悩みに悩んでこの方針を作り上げたのは近畿地整の職員であり、承認したのは河川局の職員であった。
その後の揺り戻しの中、多くの職員は真剣に悩んでいると思う。心が揺れているところなのだと思う。だが彼らの力だけでは前に進めない。分岐点にいる河川行政が新しい方向に行けるよう後押しできるのは、社会や住民の力しかない。一人でも多くの人にこの問題に関心を持ってもらい、自分たちの命、子どもや孫の命を守るために何が本当に必要なのか、ぜひとも考えてほしい。