●2009年9月24日 朝日新聞一面より転載
ー国交相、八ッ場を視察 住民は意見交換会欠席ー
前原誠司国土交通相は23日、群馬県長野原町の八ッ場ダム建設予定地を視察し、大沢正明知事や地元町長らと意見交換した。建設中止の撤回を求める知事らに対し、前原国交相は撤回する考えはないことを改めて示した。水没予定地区の住民らは「中止ありきでは話はできない」として意見交換会への出席を拒んだ。
前原国交相は地元の合意がなければ中止の手続きを進めない考えをすでに示しており、今後も地元との話し合いを継続したいと語った。
ダム本体の建設予定地や、水没予定地区の住民の代替住宅地などを視察した後、大沢知事、長野原町の高山欣也町長ら8人と意見交換した。前原国交相は冒頭、「政権交代があったとはいえ、政策変更で皆さんに大きくご心労を煩わせ、ご迷惑をおかけしていることに、担当大臣として率直に心からおわびを申し上げたい」と陳謝した。
その上で、中止の理由として、国交省が実施した洪水時の下流域の流量調査や水需要の現状から、八ッ場ダムの必要性がきわめて低く、すでにあるダムで対応できる点を指摘。水没予定地の住民向け代替居住地の整備や付け替え道路の整備は継続するとした。
さらに、「ダムに頼らない治水対策、河川整備を進めたい」とした上で、「政策変更に単に従ってくれというつもりはない。みなさんの意見を虚心坦懐に拝聴し、法的な枠組みとしての財政措置を含む補償措置を前提に実施していきたい」などと語った。
これに対し大沢知事は、「地元は国の執拗な説得で、首都圏を洪水から守ろう、水がめになろうと苦渋の決断をした。1都5県と協議をした上で今後の方針を決めていくべきだ」と中止の白紙撤回を要求。関係自治体との協議機関を設置するよう求めた。
地元住民との意見交換会では、水没予定の5地区の住民代表5人が、「まず『ダム中止』の御旗を降ろして私たちのテーブルまで降りてきてください」などとする文書を読み上げ、退席した。(木村和規、歌野清一郎)
●2009年9月24日 朝日新聞社会面より転載
ー「生活再建早く」 窓の張り紙 国交相を出迎え 推進派「本当は話したかった」
「生活再建 早期実現」「八ッ場ダム 早期完成」-前原誠司国土交通相を乗せたマイクロバスを出迎えたのは、窓ガラスに張られた張り紙だった。
群馬県長野原町の山村開発センター。23日朝、同町の職員4人が準備した。
「いつ完成するかわからないダムのせいで、賛成派と反対派、移住する人と残る人に分断された。ここまできて中止を受け入れられるはずがない」。張り紙を作った町職員は複雑な思いを明かす。
町内には水没予定地区が五つある。世帯が最も多い川原湯地区八ッ場ダム対策委員会の樋田洋二委員長(62)は「地元の意見を聞く前に、大臣が中止を明言したことに地元は怒っている。衆院選も、民主党は群馬5区で公認候補者を立てなかった」と話す。
「袋だたきに合う覚悟で臨む」。前原国交相はこんな覚悟を同僚議員に漏らしていた。だが、地元住民との意見交換会は実現しなかった。
「代替地の墓はすべてダム湖を見られるように建ててある。中止ありきで話し合いはできない」。読み上げられた文章には、不参加の理由がしたためられていた。57年でこじれた糸は簡単にはほぐれなかった。
元々、地元では誰一人としてダムを望んでいたわけではない。地元代表5人のうちの1人、野口貞夫・川原畑八ッ場ダム現地再建対策委員長(65)は「本当は話をしたかった。ダムをやめることが他の公共事業見直しの布石になって、私たちは生け贄になった」と話す。全戸が移転予定の川原畑地区で約10年間、ダム建設推進と地区の生活再建の訴えの先頭に立ってきた。
幼い頃から父・万作さんの反対闘争の背中をみて育った。ダム建設を見越して農業を継がず旧国鉄に就職した。
「こうしてこの土地で生きていくことをあきらめた人たちがどれほどいるか」
一方で、町がダム推進一色というわけでもない。「新政権といがみ合っているだけでは生活再建は遠のくだけだ」。前川原湯区長の豊田武夫さん(58)は意見交換会への参加を望んでいた。だが、町からは何の連絡もなかった。
ダムは地元の生活再建と引き換えに進んできた。国と地元の仲介役として群馬県は80年、生活再建策「ダム湖のほとりの温泉街」という青写真を示した。地元は青写真に夢を託してダムを受け入れた。
生活再建には、国内最高額となるダム建設事業費4600億円から1236億円、水源地域整備事業費997億円があてられる。国は道路や小中学校、家屋、田畑などの移転、移転先の代替地の上下水道の整備などを進めてきた。
08年夏には県が「ダイエットバレー構想」という観光振興策を地元に示す。エクササイズセンターを中心に、スポーツジムや足湯など、ダイエットに役立つさまざまなメニューを提供して観光客を呼び込もうというプランだ。
だが、高山欣也・長野原町長(66)は「維持管理費や地元負担。自腹を切ってまでやれない」と話す。住民の多くも消極的だ。最大の関心事は住民への補償だ。
水没地区に住む40代の男性は「道路や公民館に金を積まれても住民は納得しない。家の建て替えとか、生活に密着した補償でないと」と前原国交相の対応を批判した。
水没地近くに住む60代の男性は「年老いて後継ぎもいない。誰も買わない土地を国が高値で買ってくれる。またとない機会だと思っている人は少なくない。ダムのおかげで墓は豪華に、家もきれいになった」と話す。
だが、造成中の代替地の分譲価格は高値で、購入をあきらめて転出した住民も少なくない。転出が相次ぎ、集落は成り立たなくなっている。
「我々には時間がない」
高山町長は国交相との別れ際につぶやいた。世代交代は進み、ダム闘争の第一世代は80代、第2世代も60~70代だ。
ある男性は焦りを隠さない。「ダム建設か中止かは大きな問題じゃない。早く生活再建したいだけ」(菅野雄介、大井穣、木村浩之、渡辺洋介)
●2009年9月24日 上毛新聞社会面より転載
ー「57年の苦労に敬意」 ”ダムなき治水”検討 国交相一問一答ー
八ッ場ダム建設現場視察後の前原国交相の記者会見でのやりとりは次の通り。
-建設費の費用対効果を再検討する予定はあるか。
今のところ考えていない。今後、ダムによらない治水はどういうものがあるかを検討したい。
-地元と今後どう話し合うのか。協議機関などを設けるのか。
私はいつでも、また伺いたい。中止ありきでは議論に応じないという地元の意向は、重く受け止めさせていただいた。私はいつでも、肩書きを外してでも、話を聞けと要望があれば、喜んで伺いたい。協議機関は、一定の同意ができた後に考えるもので、まだその段階にない。
-視察の率直な感想は。
ダムサイトの下流域は非常にきれいな渓谷だった。そこは残るわけだが、巨大なダムサイトができて景観が損なわれる。水質も悪くなるのは必至。ダムによらない治水策に変えていきたいとあらためて思った。同時に、57年間の苦労や苦悩、さまざまなあつれきの上で、今の代替地の工事などが行われている。われわれは中止と申し上げているが、苦労された皆さま方に対する申し訳ない気持ちと敬意を表する必要があることを感じた。
-これから地元にはダムに変わるどんな選択肢を提示するのか。
まずは私を受け入れていただいて、地域の皆さん方と相談しながら決めていきたい。国が選択肢を押しつけてはならない。地域の方々がダムによらない地域の再生はどういったものがあるのか、どういったものを求めているのか、それを伺って、財政措置を含めて考えていくべき。われわれは提示をする立場にないと考えている。
-受け入れてもらうためには今後どうするのか。
大臣に任命されて最初の視察で八ッ場に来た。来て良かったと思う。もっと厳しい意見を賜わるかと思ったが、57年間苦労されてきた思いをわれわれは真摯に受け止める。中止という方針は変わらないので誠に申し訳ないが、まずは57年間のご苦労をひざをつき合わせてしっかりと聞く。そして将来について、頭を切り替えて話をしていただけるまで何度も何度も話をさせていただく。決して焦らないことが大事だと思う。
-どうして八ッ場ダムが中止なのか。
やめた方が費用がかかるという話があるが、維持管理費や水質汚染、生態系への影響なども含めてトータルで考えれば完成させる方が高くつくと思っている。工事価格以外の数値では計れない部分にも目を向けてほしい。
-継続を表明した生活再建事業は4600億円の事業費のほかに下流都県が拠出する基金などを使って行っている。ダムが中止になれば下流都県は拠出しないことが想定されるが。
これについては要検討課題と思っている。民主党のマニフェストとしてダム中止を約束して政権政党になったので、藤井裕久財務相は大きな枠でバックアップをしてくれると言っているので、あとは技術的にどうするかということ。
-地元自治体首長との面談で述べた「配慮に欠けていた面」とは。
いくつか頭に浮かんだ。たとえば、これまで八ッ場の視察をしなかったこと。そしてなにより、住民が「話を聞いてから中止を言ってほしかった」と言っていること。そういう気持ちを持っている方に(対して)、配慮に欠けていた。おわびをすべきと率直に思った。それ以外にも配慮に欠けていたところがあったかもしれない。