2009年10月1日
八ッ場ダム予定地の「地質」の問題は、今まで殆どマスコミで取り上げられることがありませんでした。地元の人々はダム湖予定地周辺の地質が脆いことをよく知っていましたが、国土交通省はこれまで膨大な地質調査を行ってきながら、安全性について問題がないとしてきました。
地質が脆いことは、工事の難航、今後のダム湖予定地周辺地域の安全性を考える上で、見過ごすことの出来ない大きな問題です。群馬版の新聞に地質についての記事が掲載されていましたのでお知らせします。
2009年10月1日 朝日新聞群馬版より転載
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000580910010001
ー八ッ場 浅間山の因縁 ダムの安全性 「不安消えず」 天明の大噴火で泥流ー
前原誠司国土交通相が中止を明言して以来、賛否の声が渦巻く八ツ場ダム(長野原町)。前原国交相との意見交換会への参加を拒否するなど「地元はダム推進」とみられがちだが、ダム建設に疑問を持ち続けている人がいる。226年前にダム予定地を襲った泥流の伝承や、地滑りへの恐れが背景にある。共通のキーワードは「浅間山」だ。
(菅野雄介)
川原湯地区で、牛乳の製造・販売をしている豊田武夫さん(58)。自宅近くには、先祖代々の墓地がある。その一角に建つ石碑に「天明三年七月八日 浅間 有縁無縁三界萬霊 荒古碑流失依而造立之者」と刻まれている。幼いころから、豊田さんはこの碑に手を合わせるのを忘れないよう、教えられてきた。
天明3(1783)年に何があったか。
この年、5月(旧暦4月)から小規模な噴火を繰り返していた浅間山が、同年8月5日(同7月8日)午前10時ごろ、激しく噴火。土石なだれが嬬恋村鎌原の旧鎌原村を埋没させ、吾妻川に流入して泥流になった。
国の中央防災会議がまとめた「天明浅間山噴火報告書」などによると、火口から直線で約20キロ離れた八ツ場には、波高50メートルを超す泥流が時速72キロで押し寄せたという。下流域も含め約1500人が犠牲になったとされる。うち計400人以上が長野原町内の住民だったと町誌は記す。
映画「男はつらいよ」で知られる東京都葛飾区の柴又帝釈天の墓地にも、泥にのまれて付近の江戸川でみつかった犠牲者をまつる石碑が建っている。
天明クラスの大規模噴火は、700年に1度の割合で起きているという。
八ツ場ダムの完成後に天明泥流と同様の泥流が襲ったらどうなるか。県埋蔵文化財調査事業団の発掘調査では、ダムの水没地域とほぼ同じ範囲で、天明泥流の遺跡がみつかっている。
砂防フロンティア整備推進機構の井上公夫さんは、ダム予定地の吾妻渓谷で、天明泥流によって高さ70メートル程度の天然ダムが形成され、泥流が9分程度で5050万トンたまったとする試算を出している。八ツ場ダムの貯水容量は1億750万トンで、半分近くが泥流で一気に埋まる計算だ。
ダムの水位によっては、一気にダム湖へ流れ込んだ泥流がダム本体を越え、ダム湖の水と混ざって下流域に襲いかかる。あるいはダム本体が壊れるかもしれない。
そんな悪夢が頭をよぎった豊田さんが、万が一の泥流への対策を何度問いかけても、国土交通省の担当者から明快な答えは聞いたことがないという。
豊田さんが懸念するのは泥流だけではない。この地に生を受けてから7回、自宅近くで地滑りを目の当たりにしてきた。ダム完成後に湖岸になる場所で、地滑りの危険が指摘されるのは22カ所あるとされる。この地質の弱さも、浅間山に起因する。一帯は2万4千年前の巨大噴火の堆積(たい・せき)物でできているからだ。
奈良県川上村の大滝ダムは、ダム本体完成後の03年、試験的に水をためたところ、地滑りが発生。湖岸の集落が急きょ移転を強いられた。国はあわてて対策工事を追加し、いまも完成していない。
ある土木コンサルタント会社OBは「いきなり本格的に水をためずに試験的にためるのは、地滑りするかどうかを確かめるため。想定外のところで滑ったら、対策を取ればいい」とためらいなく話す。
豊田さんの自宅周辺の所有地には、吾妻川沿いから高台に移されるJR吾妻線の新ルートが通る予定で、新しい川原湯温泉駅も計画されている。
泥流の悪夢や地滑りへの懸念は、自分たちの家族だけではなく、下流に住む人々や鉄路の安全性にかかわる問題だと思っている。「ダムの安全性がちゃんと証明されない限り、土地は手放さない」。推進派の住民に非難されても、筋を曲げるつもりはない。
国は、八ツ場ダムの計画にあたって浅間山の影響を調べたことがある。
旧建設省の外郭団体「国土開発技術研究センター」が19年前、八ツ場ダム工事事務所の委託で「火山活動に関するダムへの影響調査委員会」を設置。ダム建設予定地から直線で約20キロに位置する浅間山と草津白根山の噴火が、ダムにどう影響するかを調べた。
「地元の人に言われたときにどう言うか、国会で出たときにどういう言い方をするか」。90年4月10日、東京・虎ノ門のレストランに集まった火山研究の専門家らを前に、当時の工事事務所長が、委員会の目的を述べた。
約3年を費やして93年3月、概要報告書が作成された。だが、そこには具体的な対策は何も書かれていない。いま、八ツ場ダム工事事務所に尋ねても「そんな報告書があるんですか」と言われる始末だ。
報告書の作成にかかわった関係者は「浅間山の観測体制はかなり進んでおり、天明の噴火でも大爆発まで3カ月かかっている。あらかじめダムを空にするなどの対策は可能」と話す。国土交通省も「一般論として、泥流を想定してダムの水位を下げておけば、一種の砂防ダムになる」と楽観的だ。
写真=天明泥流の石碑に手を合わせる豊田武夫さん=長野原町川原湯