2009年10月12日
《八ッ場ダム本体は周辺域の自然環境、ことに地形・地質にどのような影響を与えるか》
国の政治が50余年続いた政党から新政権に変わった。新政権の政策により、さまざまな方針転換が図られ、「八ッ場ダム」中止が論争の渦中となっている。
テレビの放映や新聞等の記事の大部分は、ダム本体の建設を継続するか中止するかの議論で、地形、地質、動物、植物、気象などの自然環境についてはまったく触れられていない。
ところで、ダム堤を完成させ、水を溜めはじめると、どうなるか。このことについて、ダム建設賛成者は考えているのだろうか。地元住民の声を聞くのは当然だが、大昔より地域の人々の生活地盤となっている、足元の地球の声を聞いてほしい。
そこで、ダム予定地の地形・地質情報を紹介し、ダム完成後に予想される地質的事態について論考する。
◆八ッ場ダムが引き起こす災害の可能性◆
吾妻渓谷を含む地域は、長い地球の歴史のなかで、後述するようにさまざまな試練を受けてきたことによって、地形や岩石に多種多様な情報が秘められるようになった地帯でもある。これらのことを念頭において、八ツ場ダムが完成した場合の直接的、かつ、間接的な災害の予測をする。
①漏水
ダム堤の直下や側壁およびその近接域には多数の断層が存在し、ダム完成の数年後から漏水問題が発生する可能性が高い。
事例として、群馬県内では、利根川支流の赤谷川(あかやがわ)に1956年にダム本体が完工した相俣ダムや,利根川支流の神流(かんな)川に1968年に完成した下久保(しもくぼ)ダムなどがあげられる.この下久保ダム下流域には多くの地すべり地区が存在している。 1990年代に入ると一部で地すべりの再活動が始まった。この原因の一つに、上流のダム湖からの漏水が考えられている。その根拠は,ダム直下の小さな沢は冬季になると涸れ沢となっていたのに,今は冬でも一定量が流れていること,この地域の地質は,日本列島では比較的古い時代に造られた中生代や古生代の地層からなり,地層中に多数の断層や断裂が切り刻まれていることなどによる.
②地すべり
ダム湖の湛(たん)水により、ダム堤上流域の川原畑、湯原、林、横壁など各地区の地すべり地が再活動を起こす可能性が高い。これらの地域には地すべりを引き起こしやすい地層も堆積している。
事例として、奈良県の吉野川上流に建設された大滝ダムの上流域の白屋地区があげられる.地すべりの危険性が専門家によって指摘されていたにもかかわらず、国は聞く耳を持たずに湛水を開始した。その結果、2003年4月25日白屋地区内に亀裂が発生した。現在、地すべり対策の護岸工事が費用を度外視して行われている。
2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震による荒砥沢ダム湖岸の大規模地すべり(斜面崩壊)は、地下水位がすべり面まで上昇していたことが大きな要因との見解もある。イタリアのバイオントダムでは、湛水後の1963年に地すべりが発生し、その洪水により下流域の住民約2000人が死亡している。バイオントダムは湛水の開始により誘発地震が発生したとのことである。
八ツ場ダムでは、ダム湖岸の地すべりは、あくまでダム完成後の可能性である。湛水後に地すべりが発生しない安全対策が、現在知られている10数カ所に施されるまでダム堤の工事に入るべきでない。
③水量調整による渓谷美の消滅
昭和10年に国指定名勝となった吾妻渓谷は、洪水が発生するごとに岩肌が磨かれ、リフレッシュする。もし洪水がなくなれば、岩肌はコケむし、岩のすき間から植物の種が芽生え、あっという間に渓谷はうっそうとした森林に移り変わってしまう。
事例としては、先に漏水の一例として取り上げた神流川流域の下久保ダム。この直下に位置する「三波石(さんばせき)峡」があげられる。赤、青、緑と色とりどりのみごとな三波石は、ダム完成後に表面が全てコケむし黒くなってしまった。昨今では、昔の美しさを取り戻すために、地元の高校生がボランティア活動として石磨きをしたり、下久保ダムの放水時に合わせて、わざわざダンプカーで放水地点の直下に砂利を運んで置いたり,滑稽とも思われる行動がとられている。
④ダムの湛水による誘発地震
八ツ場ダムの堰き止めによる水量は約1億トンとなる。これほどの膨大な水量であっても、湖水域の地盤が安定していれば、とくに問題はないと思われる。しかし、八ツ場ダム予定地は、人類紀の急激な隆起運動によって形成された地帯である。また、無理やり地下から持ち上げられてきたために、いたるところにひび割れや断層が生じている。このような場所で地盤に大きな負荷がかかって、何らの影響がないはずはない。
ダムの湛水によって誘発地震が発生した事例は、日本では長野県の牧尾ダム、海外ではアメリカのフーバーダム、インドのコイナダムなどが挙げられる。コイナダムではマグニチュード6.5の地震が発生し、ダム域の住民180人が死亡し、ダム堤にも亀裂が生じた。
■地すべりや誘発地震のほかに、浅間や草津白根の二つの活火山の噴火にともない流れ下るとされる土石流の影響も専門家により指摘されている。これらの発生によるダム堤の破壊はあくまで予測であるが、その時の被害の大きさで判断したいものである。ダム下流域の利根川近接域で生活している人々の見解はいかがなものか?
■ダム本体に関連する災害以外にも、住宅や施設が移転する地域では、その裏山の急傾斜地からの岩塊崩落、ダム湖周辺域の気温、風向き、風速などの気象変化なども危惧される災害要素である。
■ダムの近接域に生息するイヌワシに目を向けると、平成11(1999)年まで地元の岩場での子育てが確認されていた。ところが、ダム関連の付け替え道路工事や移転地造成が進行するなかで、その姿が見えなくなった。イヌワシは、レッドデータブックに絶滅危惧種として取り上げられている、地元の愛鳥家の調査によると、この地域で誕生しこの地の家系を継承するイヌワシはすでに絶滅したとのことである。
絶滅したと断定できる理由は、
・仮にヒナが巣立ち飛び去ったとしても近接域に広い縄張りがないこと、
・実際に近接域でイヌワシの子育てが確認されていないこと、
・イヌワシの寿命が5~6年ほどしかないことなどからである。
これから先、さらに想定外の生態系の変化や多くの絶滅種が出ることであろう。山間地の巨大事業は、自然環境や生態系に大きな影響をおよぼし、将来に大きな負の自然破壊遺産を背負わせることになる。
◆八ッ場ダム予定地はどういう場所か?◆
群馬の屋根といわれる谷川連峰や、日本の屋根とされる中部山岳地域の山脈列と同様に、第四紀(人類紀ともいわれる)の100万年前から急激に隆起した地域に、ダムの名前で知れわたることになった八ッ場がある。八ッ場とはもともと地元の人にしかわからないローカルな地名である。八ッ場は、岩と紅葉がみごとな自然美をつくり、風光明媚な吾妻渓谷の一部に含まれる。吾妻渓谷は吾妻峡とも呼ばれ、昭和10年に国指定名勝となった自然景観のすばらしい峡谷であり、観光名所として広く知れわたっている。
地形図を開いて群馬県を見れば、吾妻渓谷を含む群馬県西部は、群馬・新潟・長野にまたがる三国山脈を出発点とし、この吾妻渓谷地域を通り、南の碓氷峠まで、稜線が連続する山地帯または山脈状地形をとってつながっているのがわかる。この山地ないし山脈状地帯は、人類紀の100万年前から地下のマグマ活動が活発となり、多くの火山が誕生し、南北にならぶ火山の列をつくった。この火山列は碓氷火山列と呼ばれている。
碓氷火山列は、すでに活動を終えたいくつもの火山から構成されているが、今でも地殻変動の活発な地帯であ。一方、自然の恵みという観点から見ると、現在は死火山となった火山の余熱によって、多くの地点で温泉が湧出する地帯でもある。火山列を背負うこの地帯は,標高1500m前後の山並みからなる。さらに、南の関東山地まで連続し、太平洋へ注ぐ利根川と日本海へ注ぐ信濃川の分水嶺をなしている。
吾妻渓谷は、吾妻川が碓氷火山列に直交するように西側から流れ込み、長年にわたる絶え間ない下方浸食作用のもとで形成されてきたV字形の峡谷である。そればかりでなく、吾妻川は、本来、日本海に運ばれるべき雨水を太平洋にもたらす唯一の切り込み河川でもある。
吾妻渓谷の南に位置する碓氷峠では、国道18号線ぞいに設置されている水準点測量によって、明治時代以降、毎年約2mm隆起していることが知られている。この隆起量は、先に述べた群馬の屋根の谷川連峰や日本の屋根の中部山岳域の山脈列に引けをとらない数値である。吾妻渓谷には隆起量を知るための計測機等は設置されていないが、碓氷峠から連続する碓氷火山列の延長線上に属している。ここ吾妻渓谷は、段丘面の河床からの高さや吾妻川ぞいの段丘面対比、また、地層中に挟まれる古い時代の河床礫層の分布高度などの研究からも、急激な隆起が推定されている。見方をかえれば、吾妻渓谷は、碓氷火山列を載せる隆起地帯の一郭に割り込み、山脈を南北に分断した峡谷としてとらえることもできる.この隆起地帯は、この地の地質を研究した学者によって荒船隆起区とも呼ばれている。
碓氷火山列ないし荒船隆起区と呼ばれる南北方向に続く山脈状地帯には、地質調査によって多数の断層や断裂が発見されている。これらの断層や断裂は、現在は動いたり広がったりすることなく静かにしている。しかし、この地域の地殻は急激な隆起運動によって浮上し、無理してつくられてきたために、ほんの少し別の方向や別の系統の外力が加わることにより、断層が動き出す潜在的エネルギーは十分にたくわえられている。具体的には、ダム湖に溜まる水自体の重さによる水圧や断層ぞいに浸透する地下水圧などが考えられる。