読売新聞連載記事「八ッ場 描けぬ未来図」

 読売新聞群馬版で八ッ場ダム予定地の再生をテーマとした連載記事が掲載されました。対立する見解をバランスよく取り上げ、八ッ場ダムに関係する問題が多岐にわたることを伝えています。ここで取り上げられている問題は、八ッ場ダムができるできないに関わらず、解決しなければならない問題です。
 ネット上に掲載されていましたので、お知らせします。

■2010年1月31日 読売新聞群馬版
ー八ッ場 描けぬ未来図 1 「湖面1号橋 生活道路か景観阻害か」ー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1264862951543_02/news/20100130-OYT8T01157.htm

 29日午前、県庁を三日月大造国土交通政務官がひそかに訪れた。予算編成のさなかの急な来訪だったが、大沢知事と二人の副知事らが向かい合った。

 1時間半に及んだ会談の中、三日月政務官は「もし、湖面1号橋をやめたらどうなるか」と切り出した。週明けに迫った橋脚工事入札延期の打診だった。県側は、「1週間前に地元と大臣が意見交換をしたばかりだ。地元の感覚からしても、それはすべきでない」と、建設継続を主張した。
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 1号橋は、ダム湖を横切る県道が通り、川原湯・川原畑両地区の代替地を結ぶ。24日に長野原町で開かれた前原国交相と住民の意見交換会では、両地区住民から推進を求める声が相次いだ。

 「一部の人から要らないと言われているが、代替地に移れば川原湯と川原畑を結ぶ生活道路になる」。川原畑地区ダム対策委員長の野口貞夫さん(66)は、前原国交相に、とつとつと訴えた。

 今月14日、地区内の神社で行われた鳥追い祭りに、野口さんの姿はあった。午後9時過ぎ、真っ暗闇の中、太鼓に合わせて「鳥追いだー」と歌いながら集落を練り歩く。参加した22人中、住民は9人。あとは国交省の職員や工事に携わる建設業者ら。「さみしいねえ。こんな状況になるとは」。神社総代も務める野口さんは、ぽつりとつぶやいた。

 2001年に国と補償基準合意したのを機に地区では住民の転出が続き、当時の93世帯から現在は20世帯弱にまで減った。同地区の無職男性(68)は、「人口減で近い将来、川原湯と川原畑の集落は一緒になると思う」と言い、「若者は橋が無くても車で行けるが、年寄りは橋が無ければ歩いて1時間かかる」と訴える。

 一方で、民主党県連や市民団体は「橋が本当に生活再建に役立つのか」と疑問視する。

 「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」の事務局長を務める角倉邦良県議は「1号橋はダム無しの生活再建の支障になる可能性が高い。国はその分の予算を補償に回すべきだ」と主張する。橋ができれば、現在の川原湯周辺の景観を阻害し、温泉街の再建にも妨げになる、との声は市民団体からも強い。前原国交相も27日の参院予算委員会で「必ずしもダムを前提としたインフラ整備を続けるのが真の生活再建ではない」と、従来の生活再建策を見直す考えを示唆していた。

 1号橋の事業費は約52億円。費用対効果への疑問も出される。ある民主党国会議員は「国が八ッ場に出せる金にはおのずと限度がある。使う人数に比べて費用がかかり過ぎ、他の生活再建事業に回したほうが地元のためだ」と訴える。
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 三日月政務官の来県から一夜明けた30日。地元では怒りの声が上がった。「会って何を言っても同じということか」(高山欣也・長野原町長)、「国は『生活再建』と口で言うだけで信用できない」(川原畑地区の女性会社員)。橋脚予定地にあった郷土料理店を閉めて昨年、中之条町に引っ越した茂木安定さん(74)は、ため息をついた。「今さら橋脚ができないと言われても。やり切れない」

 地元が地域の未来図の一部に位置づける未完の橋。国の対応いかんでは、開きかけた住民との対話の扉を再び閉ざす火種になりかねない。

■2010年2月2日 読売新聞群馬版
ー八ッ場 描けぬ未来図 2 「ダム湖観光 にぎわい戻るか見方二分」ー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1264862951543_02/news/20100201-OYT8T01311.htm

 1月10日、長野原町内の集会所で行われた町の成人式。色とりどりの晴れ着や、スーツに身を包んだ新成人60人が旧交を温めた。

 大学に進学して神奈川県で一人暮らしをしている同町川原湯出身の篠原真哉さん(19)は、久々に訪れた故郷に驚いた。「昔あった建物がなくなり、見たことのない橋ができていた」。さらに、将来への不安もよぎる。「八ッ場ダムを造って新しい温泉街ができて、観光客は来るだろうか。温泉地は古い旅館や街並みに人気が集まるのではないか」

 ダム湖畔の温泉宿の泊まり客が、エクササイズセンターで汗を流し、湖面には水陸両用バスが往来する。国道沿いの道の駅では、地元の農産物を販売――。住民の多くは、ダム湖を柱とした観光振興の未来図を描いてきた。

 「二十数年間、ダム湖を中心とした町づくりに日夜、励んできた。突然、ダム湖無しの観光と言われてもすぐに切り替えられない」。川原湯温泉観光協会の樋田省三会長は24日、意見交換会で町を訪れた前原国土交通相をまっすぐに見つめて訴えた。温泉街で商店を営む女性(80)は「国が再建してくれると信じて、みんなボロボロの家で我慢してきたのだからダムは造ってもらわないと困る」と悲鳴を上げる。
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 水陸両用バスをダム湖観光に活用している例は、すでに栃木県日光市にある。同市などは2012年完成予定の湯西川ダムを観光資源にするため06年から、近くの川治ダムで水陸両用バスを実験的に導入した。

 湯西川温泉駅を出て、川治ダムの湖面を横切り、再び駅に戻る約1時間半のコース。年5か月の運行で、利用客は07年から3年連続で1万人を超えた。市は「こんなに利用してもらえるとは思わなかった」と手応えを示す。

 だが、ダム湖観光は地元の思惑通りにいかない例が多いのも事実だ。

 神奈川県相模原市の相模ダム。1947年に、神奈川県で最初の大規模な人造湖として完成、旧相模湖町には73年に年間約390万人が訪れ、観光収入で潤ったが、今、同地域の客数は6分の1以下に減った。「かつてダムは観光資源だったが、観光客の好みが変わって湖だけでは難しくなった」(相模原市)。飲食店や射的場などの娯楽施設でにぎわった湖畔は徐々にさびれた。

 松蔭大学観光文化学部の古賀学教授(60)は「ダム湖での観光は難しい」と指摘する。「よほど取り立てたものがなければ、立ち寄って10分湖面を眺めて帰って行く。八ッ場はダムにこだわらず、自然環境か、水辺の環境か、温泉か、何を観光に生かしたいのかをしっかり考えたほうがいい」と言う。

 群馬大学社会情報学部の寺石雅英教授(48)のように、ダム中止問題で一躍注目を浴びたことを「千載一遇のチャンス」として、八ッ場の将来を前向きにとらえる向きもある。寺石教授は「悲観的になって萎縮していたら何もできない。考え方をまとめればきっと成功する」と、早期に観光への意識を集約する必要性を強調する。

■2010年2月3日 読売新聞群馬版
ー八ッ場 描けぬ未来図3 中和事業 「死の川」改善も岐路にー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1264862951543_02/news/20100203-OYT8T00101.htm

 「紅の川 青き空 木々緑なる大洞(おおぼら)に」

 1月15日、長野原町立東中で行われた3学期の始業式で、生徒たちの歌声が響いた。校歌に残る「紅の川」の文句は、かつて「死の川」と呼ばれた吾妻川流域の様子を今に伝える。

 吾妻川上流の湯川や万座川。活火山の草津白根山近くに源を発し、周辺にはかつて硫黄や鉄などの鉱山が点在した。草津や万座の温泉も流れ込み、吾妻川の水は昔から強い酸性で、魚は住まず、コンクリートもぼろぼろにした。

 吾妻漁協組合長の木暮岩男さん(78)(中之条町)は、「昔はおできができると、川の水をわかした風呂で治した。温泉に入るようなものだった」と振り返る。

 だが、吾妻川は1960年代半ばから一転してアユ釣りの名所になり、漁協は最盛期約3000人の組合員を擁した。湯川上流の草津町で、64年に中和事業が始まったのだ。翌年には、より効率的に中和を進め、中和生成物をせき止めるための品木ダムも完成した。

 草津温泉街の外れに、巨大な3基のサイロが目を引く中和工場を備えた国土交通省品木ダム水質管理所がある。湯川など3本の川に毎日60トンの石灰を投入する作業を、24時間管理する。こうした大規模な中和を行っているのは、全国でも数か所にすぎない。

 半世紀近く静かに続けられてきた中和事業が、八ッ場ダム問題でにわかに脚光を浴びている。

 昨年、前原国交相が八ッ場ダム中止を表明して以来、不安が木暮さんの頭を去らない。「中和も止められるのではないか」。木暮さんの日課は、川の水素イオン指数(pH)を測ることだ。「今も、出水などで一時的に酸が強まるだけで、魚がダメになる。死の川に戻すことだけはやめてほしい」。木暮さんは表情を曇らせる。

 国交省は「中和は八ッ場ダムを造るために始まったわけではない」とするが、強酸性の川でのダム建設は不可能だったのも事実だ。
 八ッ場問題を抜きにしても、品木での中和は岐路に立っている。

 長年積もった中和生成物は、すでにダム貯水量約166万立方メートルの8割を埋めた。年に5万5000立方メートルの生成物が流れ込む一方、浚渫(しゅんせつ)量は2万~3万立方メートルにとどまり、もう後がない。「年間どれだけ浚渫できるかは予算次第だが、公共事業費削減の折、厳しい状態が続いている」(同管理所)。浚渫残土の処理場も、すでに3か所のうち2か所が満杯で、新規確保も難しい状況だ。

 前原国交相は昨年末、中和をより進めるための「吾妻川上流総合開発」を、全国88のダム事業ととともに、再検証対象とした。事業は、品木で中和している以外の吾妻川支川も中和し、現在pH5~6の川をより中性に近づける狙いで、実験用プラントでの調査の段階だった。

 関東学院大の宮村忠教授(河川工学)は「全国に酸性河川が多数ある中、中和をしている河川が少ないのは、費用対効果が合わないから。吾妻川の中和の今後は、必要性とコストを時代に応じて判断すべき」と指摘する。

 吾妻川に魚とダムを呼んだ中和の未来も、見えないままだ。

■2010年2月4日 読売新聞群馬版
ー八ッ場 描けぬ未来図4 「移転補償費 枯渇 買収継続か 国方針見えず」ー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1264862951543_02/news/20100203-OYT8T01387.htm

 「もうこの家も限界。雨が降れば2階は雨漏りするので、1階だけ使っている。移転するのだから修繕しても仕方ないと思って我慢してきたが……」

 長野原町林の男性会社員(56)は、築半世紀を過ぎた二階家の玄関先で、ため息をつく。

 男性の自宅は本来、八ッ場ダム建設事業に伴う移転対象ではない。だが、隣組の他の家は水没予定だったり、町道の予定地だったりして、すでに多くが移転。男性も一緒に移転を希望し、国土交通省八ッ場ダム工事事務所に申し出た。だが、昨年9月の政権交代の後、何の音さたもない。

 昨年10月、同事務所の予算のうち、今年度分の移転補償費が底をつき、住民が土地の買い取りを希望しても応じられない異常事態になった。

 例年は、年度末で補償費を使い切るよう買い取りを進めているが、「8、9月に予想を上回るペースで買い取り希望があった」(同事務所)。地元関係者は、「衆院選で民主党が勝つと言われた頃から町の雰囲気が変わった」と言う。ダム計画中止で、国が用地買収をストップするかも知れない、との憶測が流れた。
 先月24日、長野原町を訪れた前原国交相にも不満がぶつけられた。

 「来年度予算案に150億円を計上したが、水没予定地を買い上げる原資として、本当にやってもらえるのか」(川原湯地区住民)

 「生活関連事業は、必要なものは行っていく。その中で優先順位を付けなければ」。国交相は明言を避けた。

 今年度、予算が尽きるまでの半年間で国が買ったのは約20ヘクタール。ダム計画による買収予定はまだ約80ヘクタールが残っており、すべてを買うには今年度の数倍の予算が必要とみられる。新年度に国がどれだけの用地補償費を確保するかに注目が集まる。

 一方で、林地区の男性(47)は淡泊だ。「ダムは、できてもできなくてもいい。うちの土地さえ買ってくれればいいんだ」。すでに移転先の土地を確保し、生活への不安は感じさせない。だが、男性も町の将来に対しては、「ダムができなければ町に金が落ちないから心配」と不安をのぞかせる。
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 町財政にとっても、ダムは貴重な「財源」だ。

 町では、水没予定地の81%にあたる257・6ヘクタールがすでに国有地になった。国有地には固定資産税が課税できないため、移転する前の家屋や土地に課されていた分は、町にとっては減収につながる。町の固定資産税は1999年度の8億4400万円から、08年度には、6億4000万円に減少した。代わりに町はダム完成後、減収分を補う規模の交付金を国から受けることになっていた。しかしダムができなければ、交付されない。

 前原国交相は昨年末、ダム中止後の建設予定地住民などへの補償のための新法案について、「スケジュール的に難しい」と、今国会への提出見送りを表明した。ダム中止を求める市民団体からも「地元が放っておかれるのでは」と懸念の声が上がる。

 水没予定地に広がる広大な国有地。住民が苦渋の末に手放した故郷の土は、行く末が決まらぬまま野ざらしになっている。

■2010年2月5日 読売新聞群馬版
ー八ッ場 描けぬ未来図5 「予定地住民複雑な思い 各地で着工凍結」-
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1264862951543_02/news/20100205-OYT8T00035.htm

 前原国土交通相は昨年末、全国143のダム事業のうち、本体工事に未着工のものなど89ダムを再検証の対象にすると発表した。このうち11ダムは八ッ場と同様、本体工事直前に凍結され、地元関係者に波紋が広がっている。

 栃木県鹿沼市上南摩町。市の中心部を抜けて山あいの県道を進むと、茶色い地面がむき出しの山が姿を現す。水資源機構が進める南摩ダムの建設現場だ。

 首都圏の治水・利水を目的とした思川開発事業で、貯水量5100万立方メートルの南摩ダムと地下導水路からなる。1969年に調査が始まり、長い反対運動を経て、水没予定の80世帯は2008年までに移転を完了した。15年の完成を目指し、本体工事の際に川の水を迂回(うかい)させる転流工工事まで進んだ。

 「中止になれば、下流のためにと涙をのんだ我々の苦労が水の泡になる」。6年前に水没予定地から市内の別の場所に引っ越した駒場偉男さん(70)は語気を強める。20年前に亡くなった父の利左衛門さんは、反対運動初期のリーダーだった。「家に(水資源機構の前身の)公団の人間が来ても話をするな」と厳しく言っていた父の記憶が今も残る。同市内の代替地に住む女性(52)も、移転後に世を去った父親をしのび、「何のために故郷を出て来たかわからなくなる」とやり切れない表情だ。

 一方で「ダム反対」の声も再び頭をもたげ始めた。計画変更までの一時期、移転対象になっていた広田義一さん(75)は、今は数少ない反対派の一人。「検証で不要と判断されれば、私が正しかったことの証明になる」と、ダム中止を求める市民団体などとの連携を強めるつもりだ。

 三重県伊賀市の川上ダム。建設促進期成同盟会会長を務める元公務員の西山甲平さん(73)は「検証は十分にしてきたのに、また凍結して検証とは。何十年検証に時間を費やすつもりなのか」と憤る。

 同ダムは、国交省近畿地方整備局長の諮問機関・淀川水系流域委員会が01年から議論を重ね08年4月に「不要」と結論づけたが、同局が同年6月、これを無視する形で整備計画に盛り込んだ経緯もある。西山さんは、工事が延びるほど、工事事務所維持などの費用が膨らむと指摘。「凍結の間にも費用は膨らみ、いずれ水道料金値上げとしてはね返る」と、早期完成を主張する。

 こうした人々が「八ッ場」を見る目も複雑だ。

 南摩ダムには反対の広田さんだが、八ッ場ダム中止表明には批判的だ。「このまま中止となれば、地元は不安だろう。無駄を止めるのは当然大事だが、八ッ場はここと違い、補償だってまだ中途半端」

 一方で、秋田県の成瀬ダム中止運動にかかわっている奥州光吉(57)さんは「コンクリートによる公共事業をやめていくのを国民が支持している限り、前原大臣の八ッ場ダム中止も揺るがないだろう」とみる。

 政権交代直後、全国的に注視される中で、中止表明された八ッ場ダム。未来が見通せなくなったいくつものダムの地元住民が、複雑な思いで八ッ場の行方を見つめている。(おわり)
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 この連載は、清岡央、武田潤、石川貴章が担当しました。