2010年11月3日
「利根川治水計画の虚構 飽和雨量の問題」
嶋津暉之(水問題研究家・八ッ場あしたの会 運営委員)
○国の説明「森林が生長しても利根川流域の保水力は不変」
八ッ場ダムの裁判において治水面で大きな争点となってきたのは、利根川の基本高水流量22,000m3/秒に科学的な根拠があるかどうかでした。国交省は、1947年のカスリーン台風洪水が再来した場合の洪水流量を計算すると、八斗島(群馬県伊勢崎市)で最大22,000m3/秒にもなるので、それに対応できるように八ッ場ダムをはじめ、多くのダムの建設が必要だと主張してきました。
この22,000m3/秒は?マークだらけの疑惑の数字なのですが、特に大きな疑問が二つあります。一つは1947年当時の実績最大流量は17,000m3/秒(公称値で、正しくは約15,000m3/秒)であったのに、再来すると、なぜ22,000m3/秒に膨れ上がるのかということです。もう一つの疑問は、1947年は戦争直後のことで利根川上流域は多くのハゲ山を抱えていて、その結果として未曾有の洪水になったのであって、その後植林が行われ、森林が生長にしてきたのに、それによる保水力の向上をなぜ考慮しないのかということです。
前者については、国交省は「1947年当時は上流部で大量の氾濫があった。上流部の堤防が整備されれば、氾濫していた洪水が流れ込むので増加する。」と説明しています。しかし、当時そのように大量の氾濫があったという事実はなく、後からつけた理屈にすぎません。これについてはあらためて述べたいと思います。
後者については国交省は森林が生長しても流域の保水力は変わらないと説明してきました。その証拠として示したのが、植林後まもない1958年、1959年の洪水に当てはまる洪水流出計算モデルで、最近の洪水(1982年洪水、1998年洪水)の再現計算をすると、実績流量にぴったり一致するとしてその結果を審議会で示しました。
ところが、最近になってそれが虚偽の説明であることが明らかになったのです。
○国交省がひそかに変えていた飽和雨量 実際は保水力の向上を認識
洪水の流出計算で国交省が全国的に使っているのは貯留関数法という流出モデルです。この流出モデル自体の問題もあるのですが、それはさておき、貯留関数法で保水力を示す定数は「飽和雨量」というものです。これは洪水時に雨が降り続けると、累積雨量が飽和雨量になるまでは降雨の一定割合が流出し(残りは貯留)、飽和雨量に達したあとは、降雨の全量が流出するという定数です。飽和雨量を大きく設定するほど、降雨の流出量が小さくなりますので、保水力を表す指標です。
国交省は22,000m3/秒の計算で使った飽和雨量は48mmであると説明してきました。しかし、この値はハゲ山に近い状態で使うべき数字であり、森林が生長した現在の利根川流域に当てはまるはずがありませんが、国交省はこの48mmで最近の洪水流量も再現できたかのような説明をしてきました。
ところが、衆議院予算委員会で馬淵澄夫国交大臣が河野太郎議員の質問に対して、1958年32mm、1959年65mm、1982年115mm、1998年125mmと、洪水ごとに違う飽和雨量を使ったことを明らかにしました。計算流量を実績流量に合わせるために、植林して間もない昭和30年代前半は小さい飽和雨量を使い、森林生長後の最近の洪水に対しては大きい飽和雨量を使っていたのです。すなわち、森林の生長で流域の保水力が向上してきたため、最近の洪水は大きい飽和雨量を使用しないと、実績流量を再現できなかったのであって、国交省自身が森林の生長による保水力の向上を認識していたことを意味します。
今まで国交省は森林が生長しても流域の保水力は変わらないと主張してきたにもかかわらず、実際には保水力の向上を前提とした洪水流量計算を行っていたのです。
当然のことながら、飽和雨量として48mmではなく、最近の洪水で使った115~125mmを使って1947年洪水の計算を行えば、22,000m3/秒よりもっと小さい洪水流量が求められます。
裁判では八ッ場ダムをつくるために、きわめて過大な基本高水流量が恣意的に設定されていることをいくつもの証拠によって明らかにしてきましたが、ようやくその事実が白日のもとにさらされるようになってきました。