八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

川原湯温泉の旅館5軒に

 川原湯温泉街の老舗旅館、高田屋旅館が長期休業に入ったニュースが群馬版新聞各紙に掲載されました。
 2005年の代替地分譲基準調印後、代替地計画を核とした八ッ場ダムの
生活再建事業の矛盾が噴き出し、川原湯温泉街を取り巻く状況は悪化の一途を辿ってきました。
 高田屋さんへのインタビュー記事は今週発売の週刊金曜日(11/26号)にも掲載されています。2000年に完成する筈だった八ッ場ダムの工期延期が繰り返されてきたことが旅館経営にとって致命的であったことがわかります。ダム予定地を翻弄してきた政治と行政の実態は、計画当初の半世紀前と何も変わっていません。

◆2010年11月26日 上毛新聞より転載
 
創業215年 高田屋旅館が休業 「代替地で必ず再開」

 八ッ場ダム問題の地元、長野原町・川原湯温泉の老舗旅館「高田屋旅館」(豊田明美社長)が25日から休業した。ダム問題の先行きが不透明で、赤字脱却に向けた長期的な経営戦略が立てられないとして、7月に休業を表明していた。豊田社長(45)らが同日朝、休業前の最後となる宿泊客を見送った。

長野原・川原湯温泉 営業5軒に

 24日は宿泊客が23人訪れ、12室が満室に。「多くのお客さまか『早く再開してほしい』『ダムに負けないで頑張ってほしい』と激励を受け、感激した」と豊田社長。25日朝に宿泊客を見送ると、「お客さまをお迎えできないと思うと寂しいが、高田屋の長い歴史からみれば一時的なこと。何年先になるかわからないが、ダム問題が落ち着いたら、移転先の代替地で必ず旅館を再開したい」と決意を語った。
 創業は江戸時代の寛政7(1795)年で、温泉街屈指の老舗旅館。温泉はもちろん、7代目となる豊田社長が砂塩風呂や岩盤浴などに積極的に投資して集客に努め、女性客らに人気が高かった。地元食材をふんだんに使った釜飯が名物だった。
 温泉街には最盛期に20軒以上の旅館があったが、営業を続けているのは5軒のみとなった。

◆2010年11月26日 毎日新聞群馬版より転載
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20101125ddlk10010207000c.html

八ッ場ダム・流転の行方:

川原湯温泉・老舗「高田屋」きょう休業 /群馬

◇「国に振り回されっぱなし」 計画変更続き赤字かさみ

 八ッ場ダム問題に揺れる川原湯温泉(長野原町)で江戸期創業の老舗旅館「高田屋」が25日から休業する。代替地への移転を目指していたが、2000年に完成予定だったダムの行方は、昨夏の政権交代で不透明に。老朽化した施設でしのいできた主人の豊田明美さん(45)だが、「国に振り回されっぱなしのまま赤字が増えていく」と休業を決めた。かつて22の旅館が軒を連ねた温泉街。5軒が残るのみとなった。【奥山はるな】

 高田屋は寛政7(1795)年創業で、7代目の豊田さんが経営に携わり始めたのは1990年ごろ。「あと10年で移転できると思っていた」という。昭和初期からの施設は老朽化が目立ち始めていたが、95年に当時珍しかった砂塩風呂を導入した際にテレビ取材が殺到。バブル崩壊後の不況に逆らって売り上げを伸ばした。98年は露天風呂を造るなど部分的に設備投資を進め、集客を図った。

 ところが、2001年から08年にかけてダムの基本計画は変更となり、完成予定は15年に延びた。その間もダムの関連工事は進み、春の新緑と秋の紅葉でにぎわった国指定名勝の吾妻峡周辺は景色が変わり、観光客の足は遠のいた。約1キロにわたった温泉街の旅館や飲食店は次々と廃業。高田屋も06年ごろから赤字がかさむようになった。

 そして09年9月、民主党政権がダム建設中止を表明。豊田さんは「これ以上、先の見えない経営はできない」と判断した。休業を告げた先代の父(74)は「経営は厳しい。仕方ない」と言ったものの「将来、観光地としての景観が保てるように」と代替地に通って桜や紅葉を植え続けている。今年7月、休業を正式表明すると、常連客の予約が増え、「いつか再開して」と多くの声が寄せられた。最後の宿泊客を迎える今月24日は、12室すべてが満室だった。

 「廃業は絶対にしない。けれど、再開は何十年先になるか。分からない」。豊田さんは来年、町外で新たな事業を始める予定だ。

◆2010年11月26日 朝日新聞群馬版より転載
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581011260001

川原湯温泉 老舗旅館、最後の見送り
 長野原町の八ツ場ダム建設で、全戸が水没予定の川原湯温泉街の老舗(しにせ)旅館「高田屋」が25日で休業した。来年1月には建物を取り壊す予定。最盛期には温泉街に20軒以上あった旅館は5軒になる。

 7代目の当主、豊田明美(あき・よし)さん(45)はこの日午前、名残を惜しむ常連を含め23人の最後の客を見送った。「本当は温泉街で最後になるまで営業するつもりだったけど……」と漏らした。

 豊田さんは旅館業とは別の新事業を準備しており、当面は旅館を再開する予定はない。いまは周りは工事現場ばかりで、観光地を取り巻く環境は厳しい。「ダムの行方に一喜一憂したくない。国の方針がどうなろうと、生活再建は自分で模索していく」

 とはいえ、旅館業への思いは強い。温泉の配管は、不動大橋(湖面2号橋)を望む高台に建築中の自宅近くへ引いておきたいと考えている。いつか温泉宿を再開するために。

◆読売新聞群馬版 2010年11月25日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20101125-OYT8T00043.htm

高田屋 最後の営業 川原湯温泉 常連客別れ惜しむ

 建設継続か中止かで揺れる八ッ場ダム(長野原町)の水没予定地の川原湯温泉で、「先行きが見えない」として、休業を決めた旅館「高田屋」が24日、最後の宿泊客を迎えた。全12の客室は常連客や団体客ら23人で満室で、江戸時代創業の215年の歴史をもつ老舗との別れを惜しんだ。

 5、6年前から10回ほど来ているという東京都台東区の飲食店経営大沢誠さん(51)、敏子さん(39)夫婦は22日の読売新聞夕刊で休業を知り、急きょ仕事を休んで駆けつけた。

 川原湯の軟らかい泉質と砂風呂がお気に入りで、大沢さんは「体の芯から温まり、日頃の疲れも一気に吹き飛ぶ」といい、休業には「さみしさを感じる。政治に振り回され、犠牲になるのは一般の人ですね」としんみりとつぶやいた。

 夕食の席では、親しい従業員茂木研さん(59)と思い出話に花を咲かせた。茂木さんが「一刻も早く再開できればいいですね」と言うと、「その時はまた来ます」と大沢さん。茂木さんは「お互い健康に気をつけてまた会いましょう」と深々と頭を下げた。

 同温泉街は現在地より約30メートル高台の代替地に移転する計画があるが、完成時期がずれ込んでいる。7代目社長の豊田明美さん(45)は「営業を続けたかったが、2006年以降、売り上げは減り、背に腹は代えられない。何代にもわたって利用してくれたお客さんの思い出がダム問題のねじれで無くなるのは申し訳なく、悔しい。いつか必ず再開したい」と語った。

 高田屋の休業で、温泉街にかつて22軒あった旅館は5軒になる。昨年秋の民主党への政権交代以降の休業は「柏屋」が3月に宿泊営業を休止して以来2軒目となる。

(写真)常連の大沢誠さん(左)、敏子さん(右)夫妻と話す従業員の山崎みつ江さん(中央左)と茂木研さん(同右)(24日午後6時22分、長野原町で)