八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

川原湯神社で新嘗祭

 今年も川原湯神社で新嘗祭が行われました。川原湯神社の神楽殿では、4月の春祭りと11月のこの新嘗祭で地元民による神楽が奉納されます。
 川原湯神社の神楽は、昭和三年の春祭りのとき、吾妻町(現・吾妻町)の松谷神社に御嶽流(東京都青梅市・御嶽山の御嶽神社から伝わった)を奉納してもらったことがきっかけになって伝授されたといわれます。地元の男衆が古式ゆかしい衣装に身を包み、日頃鍛錬した囃子と舞いを披露する、大変見ごたえのある舞台です。
 川原湯が隆盛の時代には、神楽を旅館の誘客に活用するような工夫もあったようです。ダム問題に明け暮れる八ッ場ダムの水没予定地ですが、伝統ある行事が受け継がれていることに、一筋の光明を見る記事が群馬版に掲載されました。

2010年11月27日 朝日新聞群馬版より転載
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581011270001

神楽 住民の心結ぶ 川原湯神社で新嘗祭 あす「歓喜の舞」
 八ツ場ダム建設で水没予定の長野原町川原湯地区にある川原湯神社で28日、収穫に感謝する新嘗祭(にい・なめ・さい)(秋祭り)が行われる。奉納される神楽は82年前に始まり、住民の結びつきの象徴だ。ダム問題の結論は来年秋まで持ち越されたが、この日ばかりは「歓喜の舞」が演じられる。(菅野雄介)

 川原湯地区は、ダム建設に伴う補償基準がまとまった2001年以降、住民が激減した。01年3月末の176世帯508人から、いまは約50世帯、約160人に。18軒あった旅館も5軒になった。

 川原湯神社の例祭は1月の湯かけ祭り、4月の春祭り、8月の夏祭りが行われてきたが、新嘗祭は戦争で途絶えたとされる。04年、寂しくなり始めた地区の仲間を励まそうと、有志が復活させた。

 神社の「太々(だい・だい)神楽」は、吾妻渓谷を挟んだ東吾妻町の松谷神社で行われていた神楽が伝わり、1928(昭和3)年に始まった。戦中戦後は一時途絶えたが、54年に復活した。多いときは25人ほどが演じ、いまも30~70代の19人が面をかぶり、装束を身につけて舞い、笛や太鼓で調子を整える。

 その1人、飲食業水出耕一さん(56)は「郷土芸能を通じて結びつきを強める目的もある。そのせいか、神楽の仲間で他地区へ移転した人は少ない」と話す。

 神楽の演目は「古事記」を題材とした神話の世界。春祭りの演目は14座ほどあるが、新嘗祭ではこのうち「奉幣の舞(舞座の清め)」「酒造り(八岐大蛇(やまたのおろち)退治)」「二刀の舞」「稲刈り狐(ぎつね)」「余興(歓喜の舞)」が奉納される。祭りは午後2時から。

 今回は、神社の下手に並ぶ旅館3軒がほぼ営業していない状態での初めての祭りになる。最大規模だった柏屋旅館は今春休業し、日帰り入浴客のみ受け入れている。東隣の旅館「みよしや」は2年前に休業、10月末で閉鎖した。25日で高田屋旅館も休業した。

 住民の生活再建は、ダム建設の是非をめぐる議論の陰で後手に回る。水出さんは「現実は思うようにいかないが、祭りでは1年の無病息災を感謝したい」と話した。

◆2010年11月29日東京新聞群馬版より転載
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20101129/CK2010112902000059.html

「賛否」超え継承 八ッ場ダム予定地で秋祭り

 八ッ場(やんば)ダム問題で揺れる長野原町の川原湯神社で二十八日、秋祭り(新嘗祭(にいなめさい))が行われ、川原湯地区の住民十九人が地区に伝わる太々(だいだい)神楽を奉納した。ダムの問題が地区を二分したときも「お神楽には関係がない」と、問題への賛否を問わず住民が続けてきたが、舞い手やお囃子(はやし)は移転などで減っている。 (鈴木久美子)

 太々神楽は一九二八年、同地区住民が隣の東吾妻町で古くから行われていた岩島神楽を手本に指導してもらい、始まった。第二次大戦や台風で一時中断したが、五三年に再開。長らく四月の春祭りで行われてきたが、面や綺羅(きら)を新調した七年前から、秋祭りにも一部を奉納し始めた。

 この日は実りの秋らしく、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する「酒造り」や「稲刈り狐(きつね)」「二刀の舞」が披露された。ひょっとこや医者が登場する余興の「へそぬき」も舞われ、ユーモラスな話に見物人から「わっ」と笑いが起こった。

 舞い手やお囃子は、かつては二十五人ほどいたが、移転などで減った。それでも仕事が終わった週末の夜などに練習してきた。「先輩から受け継いできたが、何年練習してもなかなか上手にならない」と笛や太鼓で参加した旅館業の豊田拓司さん(58)。「皆互いに切磋琢磨(せっさたくま)している。面白がっているから続いてきた」

 初めて見物したという女性(37)は「こんな面白い神楽があるなんて、この地区はすごいな」と話した。

 ダム問題は膠着(こうちゃく)状態にあるが、豊田さんは「神楽はこれからも続くようにしないといけないね」と話した。