八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

店ざらしにされる川辺川ダム計画

 2009年の総選挙において、民主党がマニフェストに八ッ場ダムと並んで中止を掲げた川辺川ダム。八ッ場ダム同様、長期化した国直轄のダム計画により、水没予定地域の衰退が大きな社会問題となってきました。
 当時の前原国交大臣は、すでに国に中止を求めている熊本県に流域もダム予定地も含まれている川辺ダム計画は首都圏一都五県にまたがる八ッ場ダム計画より取り組みやすいことから、川辺川ダム計画の中止手続きを速やかに進め、地元を救済する補償法の制定に取り組むとしていました。

 けれどもその後、川辺川ダム計画は店ざらしにされたままです。
 川辺川ダム計画を推進してきた国交省九州地方整備局は、いまだに現地に事務所を設け、人件費を費やしているものの、ダム計画によって疲弊した地域の再生という地元民が望んでいる課題に取り組む意欲が一向に見えないといわれています。川辺川ダム計画の中止は他のダム計画にも影響を与え、国交省河川局にとって八ッ場ダム同様、組織の存亡がかかっているとされています。
 熊本県からのニュースは、川辺川ダム計画に反対してきた市民らが水没予定地域への支援の一環として、政府が一向に進めようとしない生活再建支援法の制定を目指す活動を本格化させる一方、統一地方選では自民党政権復活を視野に入れたダム推進派の巻き返しがあったことを伝えています。
 

◆2011年4月15日 熊本日日新聞より転載 
http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20110415001.shtml

 -中止後補償法実現を支援 市民団体発足―

 川辺川ダム建設中止後の五木、相良両村の地域振興を支援する市民団体が14日発足し、中止に伴う地元補償法の実現に向け、提言していく考えを発表した。
 団体は「住民による公共事業地域振興・再生プロジェクト」で、学識者や弁護士ら11人で構成。県立大環境共生学部の中島熙八郎教授と、同ダム反対派団体代表の中島康氏が共同代表に就いた。
 川辺川ダムをめぐっては、民主党政権が発足直後の2009年9月に中止を表明。しかし、水没予定地を抱える五木村や建設予定地の相良村について、住民の生活再建を財政支援する補償法案の国会提出を見送っている。
 こうした現状を踏まえ、県庁で会見した中島教授は「両村の再生のために、調査研究や提言を通じて法制度創設を支援したい」と述べた。(潮崎知博)

◆2011年4月26日 熊本日日新聞より転載
http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20110426001.shtml

 -人吉市長選 「ダム問題」ねじれ再び―

 人吉市長選で再選が確実となり、事務所に集まった支持者らの拍手に応える田中信孝氏=24日午後10時半ごろ 24日投開票の人吉市長選は現職の田中信孝氏(63)が前市議会 議長の大王英二氏(54)ら2新人を退け、再選を果たした。しかし告示直前、自民党の金子恭之衆院議員(熊本5区)と溝口幸治県議(人吉市区)が大王氏支持を打ち出し、一時は田中氏追撃の勢いを示した。地元政界の複雑なねじれの深部には、表向き争点にならなかった川辺川ダム問題への距離感が横たわっていた。

 田中氏は金子氏の人吉市後援会長を務め、金子、溝口両氏とは支持層の重複もある。両氏はなぜ、田中氏とたもとを分かったのか。

 開票から一夜明けた25日朝、金子氏は「人吉市長には人吉・球磨地域のリーダーとして、球磨郡の町村と連携して地域振興を図る必要があるが、田中氏は周辺町村への配慮が足りなかった」、溝口氏も「もっと人吉・球磨の協力関係を強化しないといけないという思いで大王さんを支持した」と口をそろえた。

 実際、選挙中、大王陣営は田中氏の市政運営を「独善的」と批判し、田中氏は「市民と共に歩んできた」と反論した。では、この選挙で川辺川ダムはどう作用したのだろう。

■水力を軸に

 大王氏は5期20年の市議時代、一貫してダム推進。市長選では言及しなかったものの、敗戦が決まった24日夜、「球磨川流域の80年に一度の治水対策としてダム以外に何があるのか。田中市長が白紙撤回と言っただけで、治水の手段手法を示さないのはまやかしだ」と持論を述べた。

 大王陣営の幹部も選挙中、「ダムは腹の中にある」と明かした。「ダム中止を表明した民主党がいつまで政権にいるか分からない。福島の原発事故で原子力には頼れなくなったし、火力も温暖化を招く。水力を軸に新たな計画にすれば、ダムが息を吹き返し得る」

■微妙な空気

 金子、溝口両氏は大王氏支援とダムの関連性を全面否定する。金子氏は「中止方針に沿ってダムによらない治水協議が進んでおり、今後の治水の在り方は流域で決めること。大王氏支持で、ダムの議論を蒸し返すつもりなど毛頭なかった」。

ところが、金子氏の人吉市後援会の山本安幸会長代行は「無関係ではない」 と言い切る。「私が金子さんに大王さん支持の理由を尋ねたら、一番に『田中市長はダムの白紙撤回を表明したでしょ』と返ってきた」。山本氏は今回、田中陣営の中枢に座った。

 ダム推進派と対立してきた反対派は、微妙な空気を感じ取っていた。市民団体の木本雅己さんは「大王さんの陣営には、推進派の顔触れがそろっていた。目的や形を変えて新たな川辺川ダム計画が浮上するのではないかという懸念があった」と話す。田中氏が終盤、大王氏を突き放した背景には、ダム反対票の上積みがあったとみられる。

■「白紙貫く」

 24日夜、田中氏が記者会見で、戦いを振り返った。「私のダム白紙撤回表明、その後の知事と国の中止表明で、市民の中ではダム問題は終わったという認識だった。しかし今回の選挙で、いまだにダムに執着する勢力がいることを感じた。中央政界の構図がどうなろうが、私は政治生命をかけて結論を貫く」

 国が進めた巨大公共事業が地域にもたらした軋轢[あつれき]は、容易には消えない。(山口和也、岩下勉、原大祐)