ゴールデンウイーク前に、札幌地裁でダム下流の水害を巡る訴訟の判決がありました。
訴訟の対象となったのは、北海道・沙流(さる)川に国土交通省北海道開発局が建設した二風谷(にぶたに)ダムが引き起こした水害です。
わが国のダムを巡る行政訴訟は、住民側に不利な司法判断が下されることが殆どです。その中で、数少ない例外として知られるのが、かつてこの二風谷ダムを巡ってアイヌが提訴した”二風谷ダム建設差し止め訴訟”でした。札幌地裁による1997年の判決は、アイヌ民族の聖地を強引に土地収用したことを違法としましたが、判決が下ったときにはすでに二風谷ダムは完成してしまっていました。
こうして事業主体の北海道開発局の望んだとおり、二風谷ダムは98年から運用を開始したのですが・・・2003年8月の台風による豪雨の際、大量の放流を行ったところ、下流に浸水被害が発生。当時、ダムに流木があふれた映像や、下流に深刻な水害を引き起こした状況はテレビを通じて全国に報道されました。
今回の裁判は、その浸水被害者の一部が国に対して賠償請求訴訟を起こしたもので、裁判を通じて水門の操作員が住民への避難勧告より先に退避していた事実、”人災”による水害の実態がクローズアップされました。7年余りたってようやく下された判決は、国の過失を認め、総額3000万円の賠償を国に命じるものでした。二風谷ダムを巡っての裁判は、またしても住民側の勝訴となったのです。
二風谷ダム建設の背景について、橋本努氏は『二風谷ダム問題を考える』において次のように解説しています。↓
http://snipurl.com/27t1sv
二風谷ダム問題を考える 連載 「自由」で「不自由」な社会を読み解く
第九回 『しゃりばり』2004年12月号 No.274. pp.56-57.より引用
二風谷ダム建設の背景には、政府の杜撰な苫東開発計画があったことが指摘されている。北海道の苫小牧東部地区に、アジア最大規模の工業基地を作るという構想であり、第2次全国総合開発計画の一部として、政府によって1969年に決定されたものであった。そして二風谷ダムは、この苫東開発のための「工業用水調達」の目的で計画されていた。
ところが苫東開発そのものが、結局、頓挫してしまうことになる。バブル経済の絶頂期(1989年)までに、苫東開発の目的で売却された用地は全体の10%に満たないという悲惨な状態が露呈する。86年に着工された二風谷ダムは、本来であればこの時点でその計画を見直すべきであったのだが、しかし、当時の開発局がとった行動は、ダム建設の目的を「工業用水調達」から「多目的(洪水対策・灌漑用水・発電など)」に変更して、新たな観点から二風谷ダムの建設を正当化する、というものであった。これはどうみても正当な手続きとは言えまい。ここには、日本の政・官・業の癒着によって公共事業の暴走を制御できなくなるという、「政府肥大化」の悪しき実態が見て取れよう。
~引用終わり~
二風谷ダム計画の不条理な経過は、社会状況の変化などおかまいなしに多くの犠牲を引き起こしつつ暴走する八ッ場ダム計画を彷彿とさせます。
国は二風谷ダムの上流に、さらに平取(びらとり)ダムの建設を予定しています。平取ダムも必要性が疑問視され、環境破壊を引き起こすとして反対の声が大きいダム計画です。政権交代により、現在、八ッ場ダムと同様、平取ダムも建設の是非を検証中です。
ジャーナリストのまさのあつこさんは、開発という名の下に北海道の風土や自然を破壊してきた北海道開発局について、
「北海道開発局をつぶして北海道との二重行政をやめるか、もしくは、用をなさない国土交通省観光庁をつぶすか、北海道開発局のミッションを自然再生と景観保護のみにして観光庁に所管させるかして、北海道の自然資源を開発から守らせるべき」と提案しています。
↓
http://dam-diary2.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-e58d.html
ダム日記2-「(祝)二風谷ダムで住民が2度勝訴」
以下に、二風谷ダムを巡る今回の裁判に関する記事を転載します。
◆2011年4月29日 毎日新聞より転載
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20110429hog00m040004000c.html
-裁判:沙流川水害、国に3190万円賠償命令 札幌地裁「水門閉じず被害拡大」-
判決後の会見で「雨が降っても安心して家にいられるようにしてほしい」と安全対策を訴える原告団代表の矢野さん(左) 03年の台風10号による豪雨災害で、北海道門別町(現日高町)富川地区の住民らが国に約9000万円の損害賠償を求めた沙流川(さるがわ)水害訴訟で、札幌地裁は28日、北海道開発局職員が水門を閉じていれば被害拡大を防げたとして、国に計約3190万円の支払いを命じた。橋詰均裁判長は「水門を閉じずに職員を退避させたのは誤りだった」と指摘した。
03年8月10日未明、道開発局が沙流川上流にある二風谷(にぶたに)ダムが大雨で決壊しそうになったため、ダムの水を放流。その結果、沙流川下流の支流で逆流が起き、富川地区の55ヘクタールが冠水。床上浸水などの被害をもたらした。原告側は「支流の3カ所の堤防にある水門を閉じないままダムを放水したのが被害の原因」と主張していた。
判決は、水門の操作員が住民への避難勧告より約50分早く退避していた点について「先に退避させるだけの理由はなかった」と指摘。「逆流は予見できなかった」とする国側の主張は「放水で確実に水位が上がることが分かっており、予測可能だった」と退けた。
一方、水門を閉めていても浸水は起こっていたとして、賠償額は逆流で被害が拡大した分だけを認め、原告1人の請求は退けた。
二風谷ダムは計画当初、工業用水供給が目的だったが、後に洪水調整を中心とした多目的ダムとして着工され、94年に完成。建設に伴ってアイヌの聖地が水没し「アイヌ文化への配慮を怠ったダム建設は違法」との札幌地裁判決(97年3月)が確定している。
田中宏弁護団長は「国の判断を違法と明言した素晴らしい判決だ」と評価。道開発局の高松泰局長は「主張が認められず残念。判決全文を検討して控訴するか決定したい」とコメントを出した。【金子淳】
◇二風谷ダム
平取町の沙流川上流にある多目的ダムで、堤高31・5メートル、総貯水量3150万トン。用地の地権者だったアイヌ民族初の参院議員、萱野茂氏(06年に死去)らが用地収用裁決の取り消しを求めて起こした訴訟で、札幌地裁はダム建設の違法性を認めたが、既に完成していたため使用は継続された。約20キロ上流にある支流では平取ダムの建設計画があるが、民主党政権が凍結を表明し、事業の必要性の検証が始まっている。
写真=判決後の会見で「雨が降っても安心して家にいられるようにしてほしい」と安全対策を訴える原告団代表の矢野さん(左)