八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「八ッ場ダム建設を問い直す」(毎日新聞インタビュー)

2011年11月12日

 八ッ場ダム本体工事の着工について、年内にも国交省の判断が明らかになるといわれていますが、八ッ場ダム問題についてダム推進、反対の学者が公開の場で議論したことはありません。
 反対の立場の学者は議論を求めてきましたが、推進の立場の学者がこれを受けて立たないためです。

 このほど毎日新聞紙上で、対立する立場の代表とされる二人の学者の見解が掲載されました。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111108mog00m040007000c.html

 この記事も、最初は紙上討論の企画だったようですが、推進者の代表格として紙上に登場した宮村忠氏が今回も討論を受けて立たなかったということです。

 自民党政権時代から国交省に重用されてきた宮村氏は、八ッ場ダムをPRする新聞広告などにしばしば登場してきました。さる11月4日に国交省関東地方整備局で開催された利根川・江戸川有識者会議でも座長を務め、議論を避ける采配ぶりが傍聴人の顰蹙を買ったのは記憶に新しいところです。

 紙上でダム反対の見解を述べている嶋津暉之氏は、八ッ場ダムの反対運動の理論的支柱と言われ、その見解は自民党議員らから「嶋津理論」と呼ばれ、攻撃の対象とされてきました。
 多くのダム問題の実態を技術的な解析により明らかにしてきた嶋津氏ですが、ダム問題との出会いは、1960年代後半、八ッ場ダムの水没予定地にある川原湯温泉といわれます。「嶋津理論」は緻密な論理の組み立てが特徴ですが、その根底には、水没予定地を犠牲にしたダム行政に対する深い憤りがあるといわれます。嶋津氏は長年苦しんできた水没予定地の人々の生活再建こそ、ダム問題解決の最終目標であるとの考えから、「ダム中止後の生活再建支援法案」にも取り組んできました。
 「嶋津理論」を採用して政権公約(マニフェスト)に「八ッ場ダム中止」と「生活再建支援法の実現」を掲げた民主党政権は、嶋津氏が提起してきたダム問題の解決に取り組もうとせず、官僚の暴走になすすべがありません。

 公開の場での討論は、問題のポイント、論者の見解の弱点を浮き彫りにします。公開の場での議論が実現した川辺川、淀川流域などでは、議論の公開性がダム事業見直しの契機となりました。行政がダム推進に固執する利根川流域で嶋津氏と宮村氏の公開討論が実現することはあるのでしょうか。

 以下に記事を転載します。

◆2011年11月8日 毎日新聞

 ー核心:八ッ場ダム建設を問い直すー

 嶋津暉之・市民団体「水源開発問題全国連絡会」共同代表 
 ◇過大な洪水想定、再検証を--市民団体「水源開発問題全国連絡会」共同代表・嶋津暉之

 民主党政権の発足を機に建設の是非を検討してきた八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)について、国土交通省関東地方整備局は9月、治水・利水面のコストや実現性で「ダム建設案が最も有利」との検証結果をまとめた。しかし、この検証は八ッ場ダム建設ありきで進められ、科学的・客観的な議論が全く行われなかったため、多くの問題点をはらんでいる。

 第一の問題は水需要の予測が実績とかけ離れ、過大になっていることだ。首都圏の都市用水の需要は10年以上前から減少の一途をたどっている。例えば東京都では、92年度に617万立方メートルだった1日最大配水量が2010年度には490万立方メートルと2割も減った。にもかかわらず、関東地整は都が03年度にまとめた「13年度に約600万立方メートル」という予測をそのまま使っている。首都圏では人口減でさらに水需要が減ることが予想されており、たとえ渇水が起きても、現状のままで十分対応できるはずだ。

 治水面の検証でも根拠とされた数値に疑問がある。関東地整は今後20~30年間で実施可能な治水計画として、群馬県伊勢崎市の基準点を毎秒1万7000立方メートル流れる規模の洪水を想定した。氾濫を防ぐために八ッ場ダムなどの事業が必要であるとした。だが国交省も把握しているように、利根川の最近60年間の最大流量は98年の毎秒9960立方メートルにとどまっており、国は過大な洪水想定でダムの必要性を作り出している。

 八ッ場ダムの治水効果は小さい。私が98年の洪水について試算したところ、もし八ッ場ダムができていたとしても、基準点の水位を最大で13センチ下げる程度の効果しかなかった。この時の最高水位は堤防の最上端から4・5メートルも下にあったため、八ッ場ダムがなくても何の問題もなかった。利根川の河道整備は進んでいるが、洪水時に壊れる危険性のある脆弱(ぜいじゃく)な堤防が各所にあり、補強対策を急がなければならない。ダム建設の費用はそちらに回すべきだ。

 八ッ場ダム建設は美しい吾妻渓谷など、かけがえのない自然を破壊してしまう。さらに、建設予定地周辺は地質が脆弱で、ダム貯水池周辺や水没予定地の住民が移転する代替地には地すべりの危険性もある。東日本大震災のような巨大地震や浅間山が噴火した際の安全性も担保されていない。

 国交省の有識者会議は昨年9月、ダム事業の検証手順を決めた中間とりまとめの冒頭で「人口減少、少子高齢化、莫大(ばくだい)な財政赤字という大きな不安要因に直面し、税金の使い道を大きく変えていかなければならないという認識のもと、『できるだけダムに頼らない治水』への政策転換を進めるとの考え」に基づき検証するとした。

 それにもかかわらず、実際の検証ではその目的が失われていると言わざるを得ない。そもそも事業主体の国自身が行った検証には客観性がない。第三者機関を設け、これまでの河川行政に懐疑的な専門家や住民も交えて、公開の場で検証してほしい。

 巨大な防波堤や防潮堤があった地域でも津波被害を防げなかったように、今回の大震災という想定外の災害を経験した私たちは、ハード面での防災・治水対策に限界があることを突き付けられた。利根川の治水対策においても、すぐに逃げられるような避難経路、避難施設を整備して住民に周知徹底するなど、ソフト面での対策を充実させるべきだ。

■人物略歴

 ◇しまづ・てるゆき
 1943年生まれ。東京大工学部卒。元東京都環境科学研究所研究員。著書に「水問題原論」、「八ッ場ダム 過去、現在、そして未来」「首都圏の水があぶない」(共著)など。

◇治水に有効、不要論は乱暴--関東学院大名誉教授・宮村忠
 利根川の特徴は日本の河川の中でも特に大きな支川が多く、平野を流れる地域が広いことだ。例えば、吾妻川は西日本を流れていれば大河川に相当する。そうした支川が関東平野で合流するので、流域のどこかで集中豪雨があると、合流後に氾濫してしまう。

 このため利根川では、下流域の平野部に堤防を造るだけで水害を防ぐことは難しい。降った雨を山間部で貯留し、洪水をコントロールする「拠点」が大きな支川にないと困る。だから吾妻川に八ッ場ダムが必要になる。

 ダム反対派の人は「コンクリートから人へ」と主張する。理念としてはいいのかもしれないが、ダム建設は今では有効な治水対策の一つとなっている。それを初めから「要らない」と排除するのであれば、乱暴な考え方だ。

 「丈夫な堤防を造ればいい」という意見の人には、河川史を理解してほしい。昔は山間部にダムを造る技術がなかったため、やむなく下流に堤防を設けてきた。利根川でも1910(明治43)年の洪水以降、高い堤防を造ってきており、高さ10メートル以上もの堤防が両岸に計400キロ以上も続いているのは異常な光景だ。

 しかし、堤防を造ると、増水した際にかかる水のエネルギーが強くなり、一気に決壊した時の被害が広範囲に及ぶ恐れがある。八ッ場ダムを中止するのであれば、現在ある堤防をもっと高くしなければならないかもしれないが、それはすべきではない。対して、ダムの技術は急速に発達している。

 堤防も一定の治水効果を発揮しているのは事実で、近年の豪雨でこんなに被害が少ないのは驚異的だ。とはいえ、さらに大きな豪雨を想定すれば、下流を堤防という「線」で防御するよりも、山間部で水をためる「点」で抑えたほうが治水策として非常に有効だ。

 また、八ッ場ダムは利水面でも重要だ。利根川流域では平野部の住民が水をたくさん使う。「水は十分にある」という意見もあるが、深刻な渇水がいつ首都圏を襲うかは分からない。安定して供給できる備えは必要だろう。

 私は東京都に住んでいるが、首都圏の住民は蛇口をひねるといつも水が出てくると思いがちだ。蛇口の向こうにも人がいる。堤防を維持管理して、洪水のたびに水防活動する水防団。地元のことだけでなく流域の治水・利水を考えダム建設を受け入れ、断腸の思いで水没予定地から移転した住民……。そういう人たちにも思いが至らなければいけない。

 今回、関東地整が出した検証結果について、八ッ場ダムに反対する人たちは「検証が不十分」「第三者機関を設置して検証をやり直せ」と主張する。しかし、計画から60年近くがたち、もう議論は尽くされたと思う。

 八ッ場ダムの建設事業が進む中で09年9月に民主党政権が誕生し、就任した国交相が中止を表明したことは、地元の人々を深く落胆させた。あれから後2年以上も先延ばしにされている住民が気の毒でならない。

 八ッ場ダムには治水・利水だけでなく、文化・経済圏をつなぐ役割も期待できる。吾妻川の上流は長野県境、下流は前橋に至り、その接点がダム建設地の吾妻渓谷にあたる。ダムを中心に上流と下流がつながれば、新しい文化・経済圏が形成される好機にもなる。さらに、ダム湖を観光資源とした温泉街の再生には、地元住民が大きな期待を寄せている。

 ■人物略歴

 ◇みやむら・ただし
 1939年生まれ。河川工学専攻。学識者でつくる「利根川・江戸川有識者会議」座長。都市と河川を考える「宮村河川塾」主宰。著書に「改訂 水害 治水と水防の知恵」など。

【聞き手はともに樋岡徹也】