ダムは貯水を目的としていますが、水とともに上流から流れてくる土砂も貯めます。歳月とともに進行する堆砂は、ダムのある流域で洪水を引き起こす危険性があります。しかし、わが国では、ダムのマイナス面は殆ど取り上げられることがありません。
こうした中、福島県で発電ダムの堆砂を問題とする裁判が行われてきました。2011年7月の新潟・福島豪雨で只見川があふれ、浸水被害を受けたのは、発電用ダムの堆砂を取り除かなかったからだとして、金山町の住民が東北電力と電源開発の二社を訴えた裁判でしたが、判決の結果は残念ながら、住民側の敗訴でした。
水害被害を拡大させたのは、発電ダムの堆砂による河床の上昇であったことは明瞭であるにもかかわらず、その確かな事実を判決は認めませんでした。
只見川では、今回問題となった発電用ダムができて間もない1969年(昭和44年)に、2011年の洪水にほぼ匹敵する規模の洪水がありました。その時の痕跡水位を見ると、2011年洪水の痕跡水位より数メートル以上低い状態でした。
ダムの堆砂がまだ進行していなかった1969年の河床が元の河床に近い状態であることを考えると、堆砂による河床上昇が2011年洪水の水位を大きく上昇させたことは明らかです。それにもかかわらず、昨日の判決はそのことを認めませんでした。
わが国には全国各地に古い発電ダムがあり、上流からの土砂による堆砂が進行しています。ダムの堆砂による洪水の危険性を直視し、只見川の水害の教訓を生かさなければ、同じ悲劇が繰り返されることになります。司法の責任は重大です。
◆2018年3月27日 朝日新聞福島版
https://digital.asahi.com/articles/ASL3S3HFVL3SUGTB002.html?iref=pc_ss_date
ー福島)只見川ダム訴訟、住民側の請求棄却ー
2011年7月の新潟・福島豪雨で只見川があふれ、浸水被害を受けたのは、水力発電用ダム上流部にたまった土砂を取り除かなかったためだとして、金山町の住民ら34人がダムを管理する東北電力とJパワー( 電源開発)に約3億3700万円の損害賠償を求めた裁判の判決が26日、福島地裁会津若松支部であった。佐野信裁判長は「東北電力は浚渫(しゅんせつ)の義務を履行していなかった」と認定したが、仮に浚渫による水位の低下があったとしても、今回の水害による被害の程度に影響を及ぼさないとして、住民側の訴えを棄却した。
洪水の防止を目的とする「治水ダム」ではなく、水力発電を目的とする「利水ダム」で、「堆砂(たいしゃ)」と呼ばれる土砂の管理のあり方が裁判で問われたのは今回が初めて。電力会社側は、「積極的洪水調整義務」がある治水ダムと異なり、利水ダムでは河川管理者である国や県の指示に従って、堤防建設や浚渫などを行えば河川法上の義務を果たしていることになり、注意義務違反にはあたらないと主張していた。
判決はまず、1969(昭和44)年に只見川で、「50年に1回」の洪水を想定した流量を下回る豪雨でも大規模な水害が起きたことに着目。本名、上田、宮下、片門の4ダムを管理する東北電力に対し、「昭和44年以降の堆砂の進行を食い止め、浚渫などで昭和44年当時の河床高(川底の高さ)を維持する義務を負っていた」と指摘した。
電力会社が負う義務を広く認定し、その義務を「履行していなかったことは明らか」とした。
その上で、東北電力が義務を履行した場合に被害を回避・軽減できたかを検討。東北電力が提出した専門家による意見書で、昭和44年当時の河床高と、新潟・福島豪雨前の河床高を前提に豪雨時の水位を比較した場合、差が最大で0・68メートルにとどまるとされた点を引用。仮に昭和44年当時まで浚渫しても被害が発生したと判断し、「東北電力の注意義務違反と原告の被害の間の因果関係は認められない」と結論づけた。
また、原告側は 電源開発が管理する滝ダムに係留された作業船が豪雨でダムから落下し、下流の本名ダムのゲートをふさいで水位を上昇させたとも訴えていたが、判決はゲートを閉塞(へいそく)させたと認めるに足りる証拠はないとして、「因果関係は認められない」と判断した。(戸松康雄)
「裏切られた」原告側
「なぜこんな判決になったか理解できない」。
会津若松市内であった報告集会で、原告たちは無念の表情を見せた。
原告団副団長の横田正男さん(66)は新潟・福島豪雨で自宅の1階が流された。家を再建するのに老後の資金を使わざるを得なかった。「ダムの底に、あれだけ土砂がたまっていたんだから、洪水に影響しなかったわけがない」。そう考え、原告に加わった。「被害をあまりに軽く見過ぎている。非常に残念だ」
判決では、東北電力に土砂を浚渫(しゅんせつ)する義務があったことは認定された。原告側の市川守弘弁護士によると、利水ダムを管理する電力会社に浚渫の義務を認めた判決は初めてという。市川氏は「一歩前進にはなるだろう」と評価する。
ただ、浚渫しても洪水被害を防げなかったとする判決に「どうして防げなかったとなるのか納得できない。住民の被害に寄り添った判決を期待していた。裏切られた思いだ」と話した。
原告団長で2月に78歳で亡くなった斎藤勇一・元金山町長の長男恭範さん(46)も、斎藤さんの遺影を持って裁判の傍聴に訪れた。訴えが棄却されたことに「少しでも住民への損害を認めてほしかった。これでは父への報告もできない。父が一番無念だろう」と話した。(石塚大樹)
◆2018年3月27日 毎日新聞福島版
https://mainichi.jp/articles/20180327/ddl/k07/040/199000c
ー新潟・福島豪雨 只見川ダム訴訟 原告側の請求棄却 「被害は天災の結果」 地裁会津若松支部 /福島ー
2011年7月の新潟・福島豪雨で発生した水害は、只見川流域の発電用ダムにたまった土砂を適切に取り除かなかったのが原因だとして、金山町の住民ら34人がダムを管理する東北電力とJパワー(電源開発)に計約3億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、福島地裁会津若松支部であった。佐野信裁判長は「被害は天災の結果というよりほかなく、土砂との因果関係は認められない」として原告側の請求を棄却した。【湯浅聖一、宮崎稔樹】
訴訟は、ダムにたまった土砂と水害の因果関係や、電力会社が水害を予見・回避する責任の有無が大きな争点となった。
原告側代理人によると、治水機能を持たない「利水ダム」の土砂処理を巡る司法判断は全国初。原告側は控訴を検討している。
判決で佐野裁判長は、東北電力に水害を予見し、浚渫(しゅんせつ)などで回避する義務があるとして一部過失を指摘したものの、土砂と水害との因果関係については「土砂を除去すれば被害を回避、軽減できたとは認められない」とした。原告側は水害時、本名▽上田(うわだ)▽宮下▽滝--の4ダムの総貯水容量に占める堆積(たいせき)土砂の割合は19~37・7%で、全国平均の8%より高いと指摘していた。
Jパワーの浚渫船が流出して本名ダムの放流ゲートを塞ぎ、上流部にある川の水位を上昇させる要因になったという原告側の主張も「閉塞(へいそく)が生じたと認めるに足りる証拠がない」と退けた。
原告団の市川守弘弁護士は「水害を回避できないのに浚渫を義務づける矛盾した判決。ダム撤去に向けた提訴も考えなくてはいけない」と批判した。
◇
判決を受け、原告団は会津若松市内で記者会見した。副団長の横田正男さん(66)は「被害を軽くみられたような判決だ」と批判。「あれだけの土砂があって水害にならないわけがない。因果関係が認められないとは、常識とかけ離れている」と指摘した。
会見には原告団長を務め、先月78歳で亡くなった元金山町長・斎藤勇一さんの長男恭範(やすのり)さん(46)=東京都品川区在住=も出席した。
勇一さんは「住民の安全な暮らしを実現することが大事」が口癖で、原告団の精神的支柱だった。恭範さんは「地域のために闘った父の遺志を引き継ぎ、控訴するのであれば協力したい」と話した。
「想定外では済まされない」 自宅や田畑が水没 長谷川義晴さん
「水害は自然災害ではなく、電力会社がダムの管理を怠った人為的災害だ」。原告の一人で、新潟・福島豪雨により、自宅1階や田畑が水没した金山町越川の長谷川義晴さん(77)は法廷でそう訴えてきた。だが、26日の判決は、原告側の請求棄却となり、「このままで安全安心な生活ができるのか疑問だ」と悔しさをにじませた。
自宅は本名ダムの上流約2キロの只見川沿いにある。豪雨時は「大したことない」と思っていたが、川の水位は次第に上昇。町の避難勧告を受けて近くの神社に避難した。翌朝、集落一帯は水浸しになっており、自宅は床上約2メートルまで浸水。1階は家財道具がめちゃくちゃで、厚さ20~30センチの泥もたまっていた。ぼうぜんとするしかなかった。
本名ダム建設に伴って、現在の場所に転居を余儀なくされたのが1953年。事業者の東北電力に「安全」と言われたという。
2014年の提訴以来、毎回、裁判を傍聴した。15年9月には電力会社の過失を訴える意見陳述もした。初めての経験で、法廷に立つ前は、自宅で妻澄子さんを前に何度も練習した。「裁判長の前でうまく話せたらいいね」と励ましてくれたのがうれしかった。
その澄子さんは昨年12月に逝去。豪雨以降、心労もあってか体調を崩しがちだったという。勝訴を期待していただけに「判決を聞けず残念だっただろう」と思いやった。
提訴から約4年。原告団には高齢で亡くなる人や、負担の大きさを考えて訴訟の継続を諦める声も出始めている。だが、長谷川さんは決意を新たにする。「想定外の災害では済まされない。電力会社の過失が認められるまで闘いたい。理解してくれるよな」。妻の墓前でそう報告するつもりだ。【湯浅聖一】
只見川ダム訴訟判決骨子
・水害は天災の結果で、土砂と水害との因果関係は認められない
・浚渫船がダムの放流ゲートを塞いだと認める証拠がない
■ことば
新潟・福島豪雨
2011年7月27~30日に新潟・福島両県で発生した豪雨災害。只見町で24時間降水量が観測史上最大となる527ミリを記録し、三島、柳津、南会津3町の150世帯511人に避難指示、喜多方、只見、金山など7市町の2571世帯6486人に避難勧告が出た。只見川の氾濫で住宅や道路、JR只見線などが損壊。金山町の住宅被害は全壊23棟、大規模半壊33棟など計104棟に上った。豪雨災害を巡っては、只見町の住民も15年2月に国や県、Jパワーなどを相手取り、計約7億1600万円の損害賠償を求める訴えを福島地裁会津若松支部に起こしている。
◆2018年3月27日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180327_63016.html
ー<福島・只見川ダム訴訟>住民の訴え棄却 「堆砂」被害との因果関係を否定ー
2011年7月末の新潟・福島豪雨の只見川氾濫に伴う浸水被害を巡り、福島県金山町の住民ら34人が流域の発電用ダムを管理する東北電力と電源開発(Jパワー)に約3億3700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁会津若松支部は26日、原告の請求を棄却した。
判決はダムに堆積した土砂「堆砂」を取り除かなかった東北電の注意義務違反を認めたが、「天災だった」として被害との因果関係を否定した。
佐野信裁判長は、堆砂に伴う河床上昇による被害発生の恐れを認識できたとして「洪水被害があった1969年当時の河床高までしゅんせつすべき義務を負っていた」と東北電の注意義務違反を認定した。
その上で、しゅんせつをしたとしても「被害を回避できたとは認められない。天災の結果というよりほかにない」と結論付けた。
Jパワーのしゅんせつ船が上流のダムから流出し、下流のダムのゲートをふさいで水位を上昇させたとの原告側の主張は「証拠がない」と退けた。
原告団は「憤りを禁じ得ない。2社と国、福島県に浸水被害防止対策を強く要請する」との声明を発表。代理人の市川守弘弁護士は「住民生活を守るにはダム撤去しかない」と述べる一方、堆砂除去の義務を認めた点は「全国初の判決で一つのステップになる」と指摘した。
東北電の担当者は「当社の主張を理解していただいた。地域の安全・安心確保へ対策に取り組む」と話した。Jパワーは「安全第一の発電所運営に努める」などとの談話を出した。
判決によると、2011年7月29、30両日の豪雨で只見川の水位が上昇し、原告の住宅や田畑が浸水した。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201803/20180327_63015.html
ー<福島・只見川ダム訴訟>「責任明白なのに…」原告団、悔しさにじむ
只見川氾濫に伴う浸水被害で東北電力などの責任を問い続けてきた福島県金山町の原告団は、今年2月に78歳で急逝した元町長の斎藤勇一さんが団長を務めてきた。親族や原告は26日、請求棄却の福島地裁会津若松支部判決に「責任は明白なのに残念。良い報告ができない」と肩を落とした。
斎藤さんの長男の会社員恭範さん(46)=東京都=は父に代わり判決を聞いた。閉廷後の取材に遺影を抱えて「父が一番無念だろう。みんなが『ダムさえなければ』と思っている。(ダムの土砂除去を怠った東北電の)責任は明らかなのに」と悔しさをにじませた。
斎藤さんは訴訟で意見陳述に立ち、電力会社の過失責任を強調。ダムの管理状況を確かめるため、全国で視察を繰り返した。
会津若松市内で記者会見した原告側代理人の市川守弘弁護士は「(斎藤さんは)ダムの撤去に向けた活動にも力を入れていた。今後は撤去のための訴訟も考えなければならない」と語った。
一方、ダムにたまった土砂「堆砂」について、東北電が除去義務を怠ったことを判決が認めた点には、原告から評価の声も。世帯のほぼ半数が半壊した同町西谷地区の黒川広志さん(76)は「安心して住める河川沿いを守るため、判決をてこに、より厳しい管理を事業者などに求める」と強調した。