球磨川の荒瀬ダム撤去完了 国内初、清流生かし自然再生へ

 日本初の本格的なダム撤去となる熊本県・荒瀬ダムの撤去事業がまもなく終了します。
 わが国では残念ながら、荒瀬ダムに続くダム撤去の話がありません。荒瀬ダムの撤去は河川行政にとって画期的なことですが、熊本県外では殆ど知られていません。荒川の中流にある玉淀ダム(埼玉県寄居町)について、5年以上前にダム撤去を求める運動がありましたが、その後の情報がありません。

 熊本県では撤去された荒瀬ダムの10キロ上流に、電源開発の瀬戸石ダムがあります。球磨川の再生には瀬戸石ダムの撤去が不可欠として、運動が続いていますが、今のところ展望は開けていません。
 荒瀬ダムの撤去を決めたのは熊本県知事が潮谷義子さんだった時です。潮谷知事は国が進めようとした川辺川ダム建設中止においても決定的な役割を果たしました。現知事の蒲島郁夫現知事は荒瀬ダムの撤去を取りやめようとしましたが、潮谷前知事が漁協の同意なしでダムの存続ができないように路線を敷いていましたので、蒲島知事はやむなく、撤去を進めることになりました。
 瀬戸石ダムは2014年に水利権の更新が行われましたが、蒲島知事が同意し、ダムの存続を容認しました。また、蒲島知事は県営の路木ダム(天草市)の建設を強引に進めました。

◆2018年3月27日 毎日新聞 環境面
https://mainichi.jp/articles/20180328/k00/00m/040/089000c
ー荒瀬ダム撤去完了 国内初、清流生かし自然再生へー

  国内初の本格的なダムの撤去となった熊本県八代市坂本町の県営荒瀬ダムの工事が終わり27日、現地で撤去完了式典が開かれた。初の撤去事例としてその過程が克明に記録された他、瀬や砂州などかつての清流が復活し、生態系への好影響が期待されている。

 荒瀬ダムは球磨川中流に1955年に建設された発電専用ダム(高さ約25メートル、幅約211メートル)。ダム湖にたまった汚泥による環境悪化などから、地元の要望を受けた潮谷義子前知事が2002年に7年後の撤去開始を決めた。

 その後、08年4月に就任した蒲島郁夫知事が「撤去費用が存続費用を上回る」と存続に方針転換。しかし、水質悪化で損害を受けたとする漁協が存続に反対したため蒲島知事は再び撤去を決め、12年に撤去工事を開始した。総事業費は約84億円で、うち16億円は国から補助を受けた。

 式典で蒲島知事は「国内初の撤去として貴重な財産であり、後世に確実に伝えていく」と述べた。

 この日は、ダム湖のあった区間をボートで下るラフティングのイベントもあり、代表の溝口隼平さん(36)は「撤去の終わりが川再生の始まり。再生した川がちゃんと生活の場になることを見てほしい」と話した。

 ただ、約10キロ上流に別のダム、河口付近には堰(せき)があり、それらで止められた土砂などの問題が残る。荒瀬ダム撤去を求める住民団体で会長を務めた本田進さん(84)は「昔のように子どもが飛び込んで遊べる川に戻れるか、まだまだいろいろと取り組まねばならない」と気を引き締めた。【笠井光俊】

ことば「荒瀬ダム」
 戦後の電力不足に対応するため、熊本県が球磨川の河口から約20キロの中流域に建設したコンクリート製ダム。総貯水量1014万立方メートルで、ダム湖の長さは10キロ近い。約600メートル離れた藤本発電所に送水して発電し、年間供給電力量は約7468万キロワット時。県内での電気供給割合は建設当初約16%だったが、撤去決定前は1%弱まで下がっていた。

◆2018年3月28日 毎日新聞 中部朝刊
http://mainichi.jp/articles/20180328/ddq/041/040/005000c
ー熊本・荒瀬ダム ふるさとの川に 全国初撤去ー

  国内初の本格的なダムの撤去となった熊本県八代市坂本町の県営荒瀬ダムの工事が終わり27日、撤去完了式典が開かれた。初の撤去事例としてその過程が克明に記録された他、瀬や砂州などが復活し、生態系への好影響が期待されている。荒瀬ダムは球磨川中流に1955年に建設された発電専用ダム(高さ約25メートル、幅約211メートル)。ダム湖にたまった汚泥による環境悪化などから、地元の要望を受けた潮谷義子前知事が2002年に7年後の撤去開始を決めた。

 その後、08年4月に就任した蒲島郁夫知事が「撤去費用が存続費用を上回る」と存続に方針転換。しかし、水質悪化で損害を受けたとする漁協が存続に反対したため蒲島知事は再び撤去を決め、12年に撤去工事を開始した。【笠井光俊】 

◆2018年3月31日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/eco/20180329-OYT1T50075.html
ー「日本初のダム撤去」完了、悪臭減って清流戻るー

  熊本県八代市の県営荒瀬ダムの撤去工事が今月下旬に完了した。

 本格的なコンクリートダムの撤去は全国初となる。悪臭や水質悪化の要因となっていたダム湖が姿を消して球磨川に清流が戻り、生物の種類も増えた。地元住民らは「ダム撤去の町」を掲げて地域おこしに乗り出した。

 ◆悪臭解消

 ダムがあった場所から約100メートル下流に住む下村勉さん(88)は「長年悩まされた悪臭と騒音から解放された」と喜ぶ。

 少雨の夏場は放水されずにダム湖はよどみ、悪臭が屋内まで流れ込んだ。雨の多い時には、放水のたびに窓が音を立てて揺れた。ダム湖に堆積たいせきした汚泥による環境悪化などから、地元で撤去を求める声が高まり、潮谷義子知事(当時)は2002年、ダム撤去を表明した。

 撤去工事で悪臭と騒音は解消された。県荒瀬ダム撤去室によると、撤去工事が始まった12年以降、県がダムの上下流4か所で行った水質調査で、汚染の指標となる生物化学的酸素要求量(BOD)の値は、国がきれいな河川の基準とする1リットル当たり2ミリ・グラム以下で推移している。

 県の調査では、流域の多くの地点で底生生物の種類が増えているという。ダム近くの調査地点では昨冬、カゲロウやカワゲラなど54種の生き物が確認され、04年度の調査時の約5倍になった。同室の担当者も「多様な生物を育む環境が整ってきた」と語る。

 川に流れが生まれ、瀬や砂州が姿を現した。アユの産卵に適した河床も増えた。下村さんは「豊かな球磨川を次世代に引き継いでいきたい」と話す。

 ダム撤去で土砂が流れ出し、河口域の干潟にも変化が起きた。干潟で生物を観察する環境カウンセラーの女性(68)によると、カニの仲間「ハクセンシオマネキ」など、希少生物の生息域も広がっているという。女性は「撤去の効果は大きい」と歓迎する。

 ◆「撤去の町」PR

 ダムがあった八代市坂本町の坂本住民自治協議会長、森下政孝さん(76)も「子供の頃に遊んだ球磨川が戻ってきた」と実感する。最近は、川遊びやゴムボートで川を下る「ラフティング」を楽しむ人が増えたという。

 市坂本支所によると、ダムが完成した1955年の坂本町の人口は約1万9000人。今は約3600人まで減り、高齢化率は5割を超える。

 「日本で最初にダムを撤去した町」を掲げた地域おこしの取り組みも始まった。森下さんらは昨夏、球磨川を眺めながらアユ料理を楽しめる「食処さかもと鮎あゆやな」を仮設店舗で開業した。来月には新店舗を設け、今夏から本格的な営業を始める。

 県はダム本体の一部を遺構として残し、展望スペースなどを整備する。

 森下さんは「ダム撤去で清流を取り戻した町として全国にPRしていきたい。今後は農家レストランの開店や特産品開発を進めて雇用の場を創出し、人口減に歯止めをかけたい」と意気込んでいる。(関屋洋平)

 ◆県営荒瀬ダム=球磨川中流に建設された水力発電専用ダム。幅210メートル、高さ25メートル、総貯水容量1013万立方メートル。2008年に就任した蒲島知事は、巨額の費用がかかることを理由に一度は撤去方針を撤回したが、10年に正式に撤去を決めた。12年から工事が始まった。環境調査などを含む総費用は約84億円。

◆2018年3月27日 朝日新聞熊本版
https://digital.asahi.com/articles/ASL3V5CPTL3VTLVB013.html?iref=pc_ss_date
ー熊本)球磨川再生、途上の声も 荒瀬ダム撤去、今月完了ー

 日本初の本格的なダム撤去となる県営荒瀬ダム(八代市坂本町)の撤去事業が、着手から約6年を経て今月末に完了する。ダム本体の撤去はすでに終わっており、かつての流れが戻った川では、水中の生きものが増えるなど環境の改善も見られる。だが、球磨川全体の再生にはいまだ課題が残ると指摘する声もある。

 県は27日、同市坂本町で知事や市長、国会議員らが出席して「撤去完了式典」を催す。「戦後の本県経済の復興と発展に寄与してきた荒瀬ダムと、支えていただいた地元への感謝の意を表すため」としている。ダム左岸部の展望スペースでは、完成を祝うテープカットも行う。

荒瀬ダムは1955年、球磨川中流に水力発電専用として建設された。約600メートル離れた県営藤本発電所に水を送って発電し、当時は県内の電力需要の約16%をまかなっていた。

 しかし、65年の大雨でダム湖があふれるのを防ぐために放流した際、たまっていたヘドロが流出して家屋を襲うなど、過去にない被害も発生し、地元住民や川漁師組合が水質の悪化や漁業への悪影響などを訴えて反対運動に立ち上がった。2002年末、当時の潮谷義子県知事が7年後の撤去を決定。建設が中止されている球磨川支流の川辺川ダム計画をめぐる反対運動が盛り上がっていたことも、追い風になったといわれる。

 だが、08年に就任した蒲島郁夫知事が高額な撤去費を理由に計画を凍結。住民らは反発を強めた。川の利用に必要な水利権の更新に影響力を持つ川漁師組合も反発し、蒲島知事は10年に凍結方針を撤回。発電を停止して水門を全開し、12年9月に撤去工事が始まった。

 県によると、工事開始のころは他の電源も増えた結果、荒瀬ダムでまかなう電力需要は1%を切っていた。建設費は29億円だったのに対し、撤去費は最新の見通しで計約84億円。撤去工事開始当時は88億円を見込んでいたが、護岸補修費などが減額されたという。県が売電などの事業で得た自己資金から68億円、国土交通省が護岸補修などに9億円、環境省が環境調査などに7億円を分担する。

 「ようやく願いがかなったなあ」。「荒瀬ダムの撤去を求める会」の会長だった本田進さん(84)は感慨深げだ。ダムの完成当時から下流約2キロで小売店を経営する。ダムができる前、周辺地域は大雨で毎年1、2回は冠水したが、「1階が浸水すると2階へ荷物を移し、きれいな水が引くのを待つなど、慣れていた」という。ところがダム完成から10年後の65年の大雨で、初めて大量のヘドロが地域を襲った。

 以降、大雨が降ると毎年のようにダムからの放流で家が泥だらけになった。住民たちは「水害はダムのせいだ」と主張して68年に「荒瀬ダムを考える会」を結成。川漁師組合も「考える会」に合流した。本田さんは2001年に会長に就任。蒲島郁夫知事が撤去計画を凍結すると、「撤去を求める会」に名称変更して反対運動を強めた。

 県の環境モニタリング調査によると、ダム本体の撤去後、荒瀬ダム上下流域では、流れがあってきれいな水を好むカワゲラ目やカゲロウ目などの底生動物の種数が増えている。中には撤去前の04年に9種だった底生動物が工事開始の12年に60種、15年には83種に増えた観測地点がある。

 25年にわたりダム反対運動を支えるかたわら、川や八代海への河口干潟の環境調査を続けている環境カウンセラーの靎(つる)詳子さん(68)は、荒瀬ダム建設後にほぼなくなっていた河口干潟の藻場(もば)が撤去工事後に1・4平方キロまで回復したと指摘。「確かに改善されたところはある」と認める。だが、「荒瀬ダムの上流10キロに瀬戸石ダム(民間の電源開発=Jパワー=運営)があって水をせき止めている限り、球磨川に自然な川の流れは戻らない」と訴えている。(村上伸一)

◆2018年3月28日 朝日新聞熊本版
https://digital.asahi.com/articles/ASL3701PLL36TLVB018.html?iref=pc_ss_date
ー熊本)県営荒瀬ダム撤去 戻った球磨川の流れ若者呼ぶー

 県営荒瀬ダムの撤去事業が完了する八代市坂本町は人口減少が続き、65歳以上の高齢化率は5割を超えて県内最高だ。それでも、ダム撤去で球磨川の流れがよみがえりつつある地域の魅力に引かれ、街おこしに取り組む若者たちがいる。

 溝口隼平(じゅんぺい)さん(36)は2010年に愛知県から夫婦で移住し、昨年8月に川下りやリバーガイドをする会社「Reborn(リボーン)」(再生)を立ち上げた。地域再生のために映画上映やライブ、写真展も催し、休みを取る暇もないという。

 もともとダム撤去の研究者だった。愛知県の研究施設にいた十数年前、荒瀬ダムが撤去されるというニュースを聞き、坂本町に駆けつけた。その後も、鹿児島県出水市の実家に帰りがてらたびたび坂本町に寄り、各地でダム撤去運動を見てきた経験を荒瀬ダム撤去運動の参加者らに伝えていたが、「ダム撤去と川の再生を見届けたい」と移住を決意したという。

 「貯蓄ほぼなし、車1台、自転車1台だけで来て、空き家を掃除して住み始めた」。介護のデイサービスの送迎運転などをしながらお年寄りから昔の話を聞き、古い写真など貴重な資料も入手してダムの研究を深めた。人吉・球磨地域のラフティング会社で川下りの経験を積み、ラフティングの全国組織からリバーガイドの認定も得て会社を設立した。

 「ダムが撤去されれば、自然な川を生かしたビジネスチャンスが生まれると確信していた。ダムによって失っていたものを取り戻し、地域を再生させたい」

川沿いの旅館 ひとりで再開

 土山大典(だいすけ)さん(35)は一昨年11月、荒瀬ダムの上流約3キロの球磨川沿いに立つ旅館「鶴之湯」の営業を再開した。木造3階建てで、川の眺めを楽しめる。

 旅館はダム完成の前年の1954年に曽祖父が創業した。熊本市内で生まれ育った土山さんも子どものころに遊びに来ていた。高校のボート部の合宿や富山の薬売りなどの宿泊に使われていたという。だが、近年は後継者がおらず休業状態となっていた。

 大学卒業後、韓国に語学留学し、日本食レストランで働きながら約7年滞在。帰国後は熊本市で翻訳や通訳の仕事をしていたが、「いつかは継がねばと考えていた」。一昨年、約7カ月かけてほぼ1人で旅館を掃除し、再開した。

 旅館の真下ではたくさんのアユの遡上(そじょう)が見られ、ヤマセミも飛んでくる。「球磨川の自然環境を取り戻したい」という気持ちが募っているという。受け入れる客は1日2組。「身の丈に合った、やれる範囲で営業したい」

地元対象のテレビ番組作り 坂本桃子さん(28)

 地元ケーブルテレビ局に勤める坂本桃子さん(28)は、八代市に合併する前の旧坂本村で生まれ育った。進学を機に故郷を離れ「田舎コンプレックスで、二度と帰ってくるつもりはなかった」という。

 大学でイタリアの山岳都市などの街づくりを学び、人と人の距離が近いところが坂本地区に似ていると感じた。卒業後に現地に行き、労働の代わりに宿と食事を提供してくれる有機栽培農家で3カ月間働いた。

 2014年にUターン。今は、坂本地区を主な取材対象にインタビューから撮影、編集、ナレーション、番組企画の1人5役をこなす。後継者不足でなくなりそうな地元の祭りを映像に記録し、街おこしのイベントも企画している。

 荒瀬ダム撤去運動のことは大学に入るまで知らなかった。ダムがあった時の球磨川しか見ていなかったので「川は汚いものというイメージが強かった」という。「ダムが撤去されるときれいな水に変わった。これが川なんだと、撤去運動を支えた人たちが訴えていた意味がやっとわかった」(村上伸一)

◆2018年3月28日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto/article/404221/
ー道の駅坂本に川遊び拠点 19年度完成へ [熊本県]ー

 八代市坂本町の県営荒瀬ダム撤去工事などに伴い、2010年から休館している球磨川沿いの市営ボートハウス(同町葉木)について、市は建物を解体し、新たな川遊び拠点施設を約2キロ下流の「道の駅坂本」敷地内に建設する方針を決めた。住民が運営する食堂や地元産品の販売などが行われている道の駅に、川遊び機能を加えて観光客誘致の弾みにする狙い。2019年度の完成を目指す。

 計画では、新施設にはカヌーやボート、川遊び道具を保管する倉庫、シャワー設備などを整備する。ボートハウスの跡地は駐車場とし、道の駅周辺に向かう川下りの出発地や中継地として活用できるようにする。新施設の建設費は県が全面支援し、川に下りる道は国土交通省が「かわまちづくり」支援制度を使って整備する見込み。

 ボートハウスは旧坂本村が1995年に建設。ボートの貸し出しや合宿を受け入れていたが、ダム撤去に向けたゲートの常時開門によるダム湖の水位低下で業務を停止。川遊び拠点としての再整備を行政と住民が協議してきた。

 坂本住民自治協議会の森下政孝会長(76)は「施設を活用し、川下りの若者グループなどと協力して球磨川を核に坂本を盛り上げていきたい」と話している。

◆2018年3月27日 熊本日日新聞
https://this.kiji.is/351301079944201313?c=92619697908483575
ー荒瀬ダム、63年の歴史に幕 撤去完了で記念式典ー

 全国初の本格的な撤去工事が行われた県営荒瀬ダム(八代市坂本町)の撤去完了式典が27日、市坂本コミュニティセンターであった。戦後復興を支えた一方、球磨川の環境悪化を招いた同ダムは、63年の歴史に幕を下ろした。

 県企業局が主催し、潮谷義子前知事や県、国の関係者、地元住民ら53人が出席。蒲島郁夫知事が「撤去で得た技術的、学術的な知見を後世へ伝える。坂本町の振興にも、市や地元と一体となって取り組む」とあいさつ。工事関係者や地元住民らに感謝状を贈った。ダム左岸に完成した展望スペースのテープカットもあった。

 感謝状を受け取ったダム撤去後の町づくりに取り組む坂本住民自治協議会の森下政孝会長(76)は「球磨川の水はきれいになり、徐々に元の生態系に戻っている。川を利用した地域活性化の活動を今後も続ける」と話した。

 荒瀬ダムは県南地域の電力確保などのため県が建設した水力発電ダムで、1955年に完成。発電量は一時、県内電力需要の約16%を担った。

 土砂の堆積による河川環境の悪化などを背景に地元で撤去の機運が高まり、潮谷前知事が2002年に撤去方針を表明。08年、蒲島知事が事業費の増大を理由に存続へ方針転換したが、水利権をめぐる課題が浮上。10年にあらためて撤去を表明し、12年9月に工事が始まった。 (益田大也)

◆2018年3月24日 熊本日日新聞
https://kumanichi.com/news/401342/
ー荒瀬ダム 3月末で撤去完了 八代市・球磨川ー

 八代市坂本町の県営荒瀬ダム(藤本発電所)の撤去工事が3月末で完了する。2012年9月の着工から5年半。戦後、大掛かりな構造物を造り続けてきた日本の公共事業の中で、本格的なダムを壊し自然の状態に戻すという前例のない工事となった。ダムが消えた球磨川には清流がよみがえり、新たなまちづくりを目指す地域の動きも盛り上がっている。(平井智子)