八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

長崎・石木ダム予定地住民が国会内集会で国に申し入れ

 さる7月18日、酷暑の中、長崎県の石木ダム予定地から7名の住民が上京し、永田町の議員会館で集会が開かれました。主催は、公共事業の問題に取り組む市民団体「公共事業改革市民会議」でした。

 わが国のダム行政は、住民にとって不利な法律を駆使して全国各地で強引にダム事業を推進してきました。その典型が半世紀以上前から首都圏で進められてきた八ッ場ダムです。八ッ場ダム予定地でも他のダム予定地でも、最初は地元民がふるさとを湖底に沈めてなるるものかと、ダム反対闘争に決起するのですが、長い歳月の間に住民が疲弊し、地域の結束が失われ、やがてダムを受け入れざるを得ない状況に追い込まれてきました。
右写真=院内集会に参加した7名の住民が前に出て、それぞれ意見を述べられました。

 石木ダム予定地では、13世帯の住民が半世紀以上ダム建設に反対し、今も結束しているばかりか、住民を支援する輪が全国に広がりつつあります。これはわが国では前例のない稀有なケースです。
 石木ダムの起業者は長崎県ですが、石木ダムが公共の役に立つとして、ダム事業を進めるための補助金をつけ、住民から土地を強引に奪う強制収用を認めているのは国です。したがって、石木ダムは長崎県の事業と言いながら、実際に推進しているのは国なのです。

 この間、住民らは石木ダム事業の公共性をめぐって、事業者である長崎県と佐世保市と裁判で争ってきましたが、長崎地裁は9日、原告敗訴の判決を下しました。ダムに関わる裁判では、これまでも殆どすべて、司法は原告住民に対して門前払いの判決を出しており、今回も行政に配慮する司法の姿勢が鮮明になりました。長崎県の市民団体「石木川まもり隊」は、判決結果と原告住民の反応について、以下のブログで詳しくリポートしています。⇒「長崎地裁、不当判決!認定取消請求を棄却」

 判決を受けて、原告住民らは県庁と佐世保市、福岡にある国土交通省九州地方整備局に申し入れに行ったそうです。住民と佐世保市とのやり取りと、九州地方整備局による冷淡な対応について、こちらで詳しくリポートされています。
「負けてますます意気軒昂!?」

 国交省は九州地方整備局では対応できないと答えたため、住民らは上京しなければならなくなりました。
 このたびの集会は、住民らが石木ダム事業に関わる国土交通省と厚生労働省に申し入れをするために開かれたのでした。

 対応したのは、「事業認定」を行う国土交通省の土地収用管理室、石木ダム事業に治水面で補助金を出すことを認可する国土交通省の水管理・国土保全局治水課、石木ダム事業に利水面で補助金を出すことを認可する厚生労働省水道課のそれぞれの担当者でした。
 集会では、7人の住民の方々をはじめ、原告側の弁護士、住民を支援する長崎県民らが次々と発言。石木ダムの不要性、ダム行政の非人間性、水没予定地のかけがえのなさが、生の言葉で伝わってきました。

 石木川まもり隊がこの院内集会についても秀逸なレポートをアップしています。ぜひ、ご覧ください。
「7.18東京行動レポ」

◆2018年7月19日 しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-19/2018071915_04_1.html
ー長崎・石木ダム必要ない 国会内集会ー

 長崎県佐世保市の石木ダム建設に反対する集会が18日、国会内で開かれました。60人以上が参加し、地権者らは「石木ダム事業に必要性はない」と訴えました。石木ダム建設事業をめぐっては、13世帯約60人の地権者が立ち退きを拒んでいますが、県と市は建設を強行する姿勢。国は計画を事業認定しており、立ち退きを拒否する住民を県が強制退去させることも認めている形です。

 集会で地権者の男性は、人口減少に伴って県の水需要は計画当時とくらべて大幅に減っていると指摘。「国土交通省にただすと、“県の言い分に従っているだけだ”と言う。自分たちでデータなどの検証は行っていない、いかにインチキな話か」と批判。「住民が立ち退かなければ強制退去しかないと分かっているのかとただすと、国交省は“そこまではまだ考えていない”と言う。とんでもない状況を直視していない」と話しました。

 地権者の女性は「立ち退きを迫られている住民には2、3歳や小中学生のお子さんがいる、若い家庭もある。国は何も分かっていない」と強調。別の地権者の男性は「強制退去になれば大黒柱に体をしばってでも抵抗する」と述べました。

 集会では日本共産党と立憲民主党の国会議員があいさつ。日本共産党の山添拓参院議員は「ダムを偏重し、まともな河川整備をしてこなかったことが、この間くりかえされた水害の共通点だ。人の命とくらしを大事にする治水・利水ができる行政に切り替えていかなければ」と訴えました。