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立野ダム35年目の着工 安全性に不安の声も

 熊本地震の被災地、阿蘇では、多くの反対の声を無視して、昨日、国土交通省九州地方整備局が立野ダムの本体工事起工式を開催しました。
 7月の西日本豪雨では、愛媛県、岡山県、広島県においてダムの救急放流が水害を拡大したとの懸念が高まっていますが、全国で次々と不要なダム工事が強行されていきます。国のダム事業であっても、新聞はほとんど地方版でしか報道しません。
 危険な立野ダム建設を行う国に対して、国の責任が重大であるとする14団体連名の起工式に対する抗議声明については、こちらのページをご覧ください。
 https://yamba-net.org/wp/43022/

◆2018年8月6日 朝日新聞熊本版
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20180805001956.html
ー立野ダム35年目の着工 安全性に不安の声もー

 白川の洪水対策として国が整備を進める立野ダム(熊本県南阿蘇村、大津町)の本体工事起工式が5日、同村立野であった。事業開始から35年を経ての着工。治水と観光資源としての活用に関係者は期待を寄せる一方、ダムの安全性への不安や効果を疑問視する声もあり、反対するグループは抗議集会を開いた。

 立野ダムの建設予定地を見下ろす場所であった起工式には、国や県、白川流域の市町村、地権者、ゼネコンなどの関係者約200人が参加した。国土交通省九州地方整備局の伊勢田敏局長は式辞で、熊本市などで甚大な被害が出た1953年6月の「白川大水害」から65年目であることに触れ「白川沿線の安全、安心の向上に向けて本体工事に着工し、完成に向けて着実に事業を進めていく」と述べた。

 蒲島郁夫知事は、ダムの治水機能のほかに「今後は阿蘇ジオパークなど豊かな観光資源と相まって、地域振興の核となることも期待している」と祝辞。また「立野ダムに対しては一部の方々から疑問が出されている」と言及し、7月の西日本豪雨でダムの運用や情報提供のあり方が課題になっているとして、住民の理解を深めるための継続的な取り組みを国に求めた。

 会場には白川の水害の歴史やダムの効果を伝えるパネルが展示され、皿の上にダムを模した「立野ダムカレー」を売る店の紹介文などが参加者に配られた。

 立野ダムは南阿蘇村立野と大津町外牧にまたがる形で建設が進む。白川下流で頻発していた洪水被害を防ぐために国が計画し、83年に事業に着手。2022年度の完成をめざす。国交省立野ダム工事事務所によると総事業費は917億円で、17年度までに約600億円が執行された。

 平時は水をせき止めない「流水型ダム」で、川の高さとほぼ同じ位置に放水口がある。大雨などで水かさが増した時のみ、下流の水かさが急に増えて深刻な洪水を起こさないよう調節する。高さ87メートル、長さ197メートル。約1千万トンの水をためる能力がある。

 16年4月の熊本地震発生時は、本体工事期間中に水を逃がすための仮排水路(トンネル)を建設中だった。付近で土砂崩れがあり、トンネルの半分が土砂に埋まるなどの被害が出た。余震やその後の大雨で工事中断もしたが、今年3月に復旧作業が完了した。ダムの安全性について、立野ダム工事事務所の担当者は「地震後も専門家を集めて改めて安全調査も行った。問題はないとみている」と話す。(池上桃子、田中久稔)

 「立野ダムは危険だ」。起工式会場の入り口前ではシュプレヒコールが上がった。式が始まる30分前の午前9時半から、市民団体や県議、熊本市議ら約150人(団体発表)が集まり、本体工事着工に抗議。会場への出入りは警備員らが制限した。

 ダム建設予定地の立野峡谷は、ユネスコが定める基準に基づいて認定された阿蘇ユネスコ世界ジオパークの見どころのひとつで、地形や地質の特色が現れる重要地点。狭く深い谷で、谷の側面にはマグマが冷えて柱状に固まった柱状節理が露出。柱状節理は風化しやすいといわれる。建設予定地を取り囲む山肌には、地震や大雨による幅数十メートルの土砂崩れの傷痕が幾筋もみえる。

 反対する市民団体の一つ「立野ダムによらない自然と生活を守る会」の中島康代表はマイクを握り「これほどもろい地盤にダムを造れば、ダムによる災害が起きてもおかしくない。国は災害が起きて『想定外』では済まない」と批判した。

 流域の市民団体が反対する理由の一つは、放水用の穴があいたダムの構造。洪水の際に大量の木々が流れると5メートル四方の穴を塞ぎ、異常に水がたまって決壊の恐れがあると指摘する。もう一つは、立野峡谷周囲の地盤がもろく、近くの活断層が動いた場合にダムが決壊するという懸念だ。

 抗議集会の参加者らは、九州北部豪雨で大量の流木があったことや、熊本地震で地盤が傷ついたことなどを挙げ、白川の河川改修工事や治山工事、田んぼの保全などで十分に洪水を防ぐことができると訴えた。また4日には、工事の即時中止と、完成後にダムによって起きた災害については「想定外」とせず賠償するよう求める申し入れ文を九州地方整備局長に送った。(神﨑卓征)

 南阿蘇村では84年に水没予定地の旅館や商店など7軒と国の補償交渉が妥結し、89年には農地・山林の土地所有者との交渉もまとまった。

 ダム工事用の道路も整備され、阿蘇長陽大橋を含む村道下牧―本村線として97年から使われている。村のほとんどの地域がダム上流になることもあり、反対の声がまとまって上がることもあまりなかった。6月に村が開いた意見交換会では「下流のために苦渋の決断をしたのだから必ず完成させてほしい」と訴える地権者らもいた。

 だが、熊本地震で、立野峡谷は大きく崩れて大量の土砂や木々が流出し、峡谷にかかる阿蘇大橋も崩落。ダム建設を続ける国交省に対し、新たに疑問の声を上げる動きも出ている。

 17年4月にできた住民グループ「阿蘇自然守り隊」は「ダム本体着工を一時中止し、流域住民にきちんと説明をして意見を聞いた上で改めて判断してほしい」と国や県に要望してきた。立野峡谷の状況からダムの安全性に不安があるとし、下流域の治水対策はダム以外でできることがあると訴える。

 代表の松本久さん(65)は「参加人数を制限した形だけの見学会をしたくらいで、ダムの安全性や必要性について住民に対する十分な説明がない」と国交省の対応を批判する。「西日本豪雨でもダムの限界があらわになった。白川の治水をどうすべきか根本に帰って考え直すべきだ」。(後藤たづ子)