川原湯神社夏祭りの宵祭りで湯かけ太鼓

 川原湯温泉の湯かけ太鼓が川原湯神社の夏祭りの宵祭りで奉納されたことを伝える記事が地元紙、上毛新聞に掲載されていました。
 湯かけ太鼓は名前の通り、川原湯温泉最大のお祭り、1月20日の大寒の際に奉納されるもので、夏祭りの宵祭りにも披露されます。
 記事によれば、児童数の減少で子ども八木節は来年以降は休止する予定とのことです。
写真右=2005年8月26日、水没予定地のお祭り広場で撮影。

◆2018年8月28日 上毛新聞 
(ネット記事は紙面記事の前半のみ掲載されています。)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/75406
ー湯かけ太鼓 勇壮に 長野原・川原湯神社宵祭りで披露ー

 群馬県長野原町の川原湯温泉の恒例行事「川原湯神社宵祭り」が26日夜、同町打越コミュニティーセンターで開かれた。住民や観光客約200人が踊りや太鼓演奏を楽しんだ。

 来場者の盆踊りの輪が広がり、勇壮な「湯かけ太鼓」が披露された=写真。子ども八木節は児童数の減少で来年以降は休止する予定で、元気いっぱいに踊る子どもたちに注目が集まっていた。

 宵祭りは、神事を執り行う「川原湯神社夏祭り」(27日)の前夜に開催。八ッ場ダム建設に伴い、5年ほど前に水没予定地から代替地へ移転し開催している。

—転載終わり—

 長野原町が1987年に編纂した「長野原町の民俗 八ッ場ダム水没地域民俗文化財調査報告書」では、川原湯神社の秋祭りは8月27日としており、住民の聞き書きが次のように記録されています。農作業の忙しい夏の終わりに、住民が英気を養う年中行事であったようです。

 「昭和初年ころまでは、思いつきで仮装行列をしたり、神輿を出したこともあるが、旅館の門をこわして大きな問題になったこともある。また映画を買ってやったり、草津から芝居を買ってやったこともあったが、その後はしない。」
 「雨乞いは、ひでりが続いたりすると、農家を主として神社に集まり、祈願して、酒を飲んで、太鼓を叩いて雨乞いをした。村中というわけでなく、何人かで集まって、酒を飲んで元気を出してやったものである。」

 八ッ場ダムにより地区全体が水没することになった川原湯地区では、水没住民の移転代替地が金鶏山の尾根を挟んで打越地区と上湯原地区に分散することになりました。(右写真参照)

 川原湯地区は水没予定地の中で最も大きな集落でした。1979年当時の川原湯地区は201世帯ありましたが(群馬県調べ)、多くの住民が地区外へ転出し、代替地の土地を購入して移転したのは32世帯(2018年3月末現在)。人口急減により、集落の維持が困難な状況にあります。32世帯の多くはダム堤に隣接する打越代替地に移転しており、川原湯温泉も打越代替地に移転したのですが、お祭りと関わりの深い川原湯神社は、神社がこれまであった所に近い上湯原代替地に移転しました。

 夏祭りは1987年刊行の報告書にもあるように、かつては住民のエネルギーがはじける場でもあったようですが、現在は住民が減少する中、八ッ場ダムに関係する国や群馬県の職員、工事関係者が目立ち、ダムと共に生きていかざるをえない川原湯の現状が伝わってきます。
写真下=2005年8月26日、水没予定地のお祭り広場で撮影。