球磨川流域の住民運動が川辺川ダム中止、荒瀬ダム撤去を実現させた熊本県は、脱ダム先進県です。
さる9月2日、熊本県人吉市で”清流川辺川現地調査”の集会が行われました。川辺川ダム反対運動の中で始まった”清流川辺川現地調査”は今年で実に22回目になるということです。
川辺川中止、荒瀬川ダム撤去が決定してからすでに10年の歳月が流れていますが、運動の中枢メンバーは今も、立野ダムや石木ダム、瀬戸石ダムなどのダム問題、川辺川ダム中止をうけての利水後処理問題や、ダムなし治水の問題の現場で粘り強く活躍しておられます。
2日の集会には、水没予定地地だった五木村の村長さん、人吉市の元市長さんほか100名ほどが参集されたとのことです。
集会で採択された宣言文から、流域住民のパワーが伝わってきます。
宣言文
私たちは、ダムのない社会を実現するために、これまでダムによらない治水・利水・地域振興の実現を目指して活動してきました。
今年7月、西日本を襲った豪雨は犠牲者200名超という甚大な被害をもたらしました。
岡山県の真備町では、以前から計画があった河川の付替え工事が未着手で河道の整備もなされていなかったため、小田川やその支流で堤防決壊が起こり、2階まで浸水した家屋が多数発生し、51名の住民の命が失われました。愛媛県の肘川流域では、満水になった野村ダムと鹿野川ダムから、「異常洪水時防災操作」という非常時の操作によってゲートが開放され、激流が下流域を襲い、わずかな間に3mも水位が上昇して9人の住民が命を奪われました。1965年球磨川流域を襲った市房ダム放流による水害と同様の災害が50年以上経った今も、日本各地で繰り返されているのです。ダム本体の決壊、堰堤からの大規模越流などが「ダム災害」と呼ばれていますが、今回の非常放流も「ダム災害」としか言いようのない災害です。しかし、行政は「想定外の降雨量」という言葉で言い逃れ、多数の犠牲者を生み出した自らの責任には頬かむりしています。
近年の異常降雨は、それ以前の雨の降り方とは大きく異なります。近年の降雨量などを基に、治水対策を見直し、堤防整備や河床掘削などを実施し、住民への洪水発生の可能性や避難指示の連絡を早目に徹底すれば、防げた災害です。即ち、西日本豪雨被害は人災にほかなりません。もはや「想定外」という言葉は許されないのです。
住民の粘り強い運動は、川辺川ダムを事実上中止にし、川辺川利水事業も廃止の方向に追い込みました。農水省は、同意の取得作業を終了させたと発表し、国営川辺川利水事業を廃止の方向に進めています。
しかし、球磨川流域のダムによらない治水は遅々として進まず、住民への説明は全くなされないので、住民が求める治水対策なのか検証しようもありません。
また荒瀬ダムは住民の強い撤去運動によって撤去されましたが、瀬戸石ダムなどダム災害をひきおこすダムを行政は撤去しようとはしていません。
また、立野ダムは流域住民の反対の声にもかかわらず、残念ながら本体着工に入りました。長崎県では、目的が失われた石木ダム事業に対して、水没予定地住民らが建設阻止行動を行っているにもかかわらず、事業主体の長崎県は建設強行
の構えを崩していません。
利水事業については、農民が求める既存水利施設の改修、いわゆる身の丈に合った利水事業の実施はいまだ、手つかずのままです。私たちは、これらの課題を解決し、ダム災害はもちろんダムのない社会を実現していくことを宣言します。
2018年9月2日 第22回川辺川現地調査報告集会参加者一同
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◆2018年9月3日 朝日新聞熊本版
https://www.asahi.com/articles/ASL9235SXL92TLVB005.html
ーダムない社会の実現を 川辺川ダム反対住民ら集会ー
国営川辺川ダム計画の中止につながった住民運動を振り返り、ダムに頼らない球磨川の治水対策などを考える「第22回 清流川辺川現地調査」が2日、人吉市であった。ダム反対運動を率いてきた住民団体などの主催で約80人が参加。ダムが決壊した西日本の7月豪雨や、本体着工が始まった南阿蘇村などの立野ダム、反対運動が起きている長崎県川棚町の石木ダムなどの問題も議論した。
今年は蒲島郁夫・県知事が川辺川ダム計画の「白紙撤回」を表明してから10年になる。村の中心部が水没予定地だった五木村の和田拓也村長が来賓としてあいさつし、ダム計画に揺さぶられた村が現在取り組む振興策への支援を求めた。
集会の最後に、西日本豪雨の「ダム災害」や球磨川の治水対策などの問題を解決し、「ダムのない社会を実現していく」との宣言を採択した。(村上伸一)
◆2018年9月3日 熊本日日新聞