八ッ場ダム予定地を抱える群馬県の地元紙、上毛新聞では、川原湯温泉協会長の樋田省三さんの連載投稿記事を掲載してきました。投稿欄「視点・オピニオン」の筆者は、上毛新聞によって県内で活躍する人の中から選ばれています。
2月の紙面に投稿された三回目の投稿後、四回目の投稿記事が9月の紙面に掲載されました。川原湯温泉の移転代替地に隣接する八ッ場ダムの本体工事現場では、国交省が毎日無料の見学会を開催しており、有名な八ッ場ダムの大規模な工事を一目見ようと、多くの観光客が訪れています。
記事によれば、ダム事業が進む中、人口減少による地域の衰退が進むダム予定地域では、国交省のダム見学会が注目を浴びる中で変化が生まれているとのことです。
川原湯温泉街は往時は20軒の旅館のほか、多数の店舗が軒を連ねる一大歓楽街でした。代替地では5軒の旅館・民宿が営業中です。川原湯温泉に多くの観光客が訪れることを願ってやみませんが、先行きは非常に厳しいものがあります。
これまでの投稿記事は、以下のページに転載しています。
◆第一回、二回
https://yamba-net.org/wp/40552/
「巨大ダム工事の弊害 住民振り回し対立生む」
◆第三回
https://yamba-net.org/wp/41049/
「川原湯神社の全焼 失って初めて得るもの」
◆2018年9月14日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/79357
ー八ツ場、現在の歩み 70年先の川原湯へー
「八ツ場ダム」本体完成が間近に迫ってきました。計画発案から約70年の歳月を費やして…。長い年月かかっている中で、まちづくり計画も時代の波に右往左往してきたのが正直なところです。
それでも移転が本格化してくると、地域ごとに少しずつ新しい土地でのまちづくりを歩み始めました。しかし、残念に思うのは、それが5地区それぞれで行われ、相互連携を全く取らずに、進めてしまったことでした。これは、一概に行政だけの責任とは言えないと、私は感じています。
なぜ、もっと他地区の方々と話し合ってこなかったのか? 川原湯青年フォーラム時代に、高崎経済大の先生に自分たちでアポを取りつけ、林地区青年部も巻き込んで「5地区を1つの街に」をテーマに講演までしていただきながら、何一つ生かせていない自分自身が腹立たしくて仕方ありませんでした。
それが大きく変化して動きだしたのが、1年半前頃にインフラツーリズム推進の、ダム建設自体を、観光の目玉として大々的に打ち出してからだと思います。それまでは、閑古鳥が鳴いていたダム見学ツアーに人が集まり始め、再び「八ツ場」が注目されるようになりました。現在では予約待ちの状態が続いています。
それと同時に高校や大学の研究テーマとなり、イベントや観光開発などを一緒に考える機会を得られました。
その中でも、昨年行った跡見学園女子大との共同プロジェクトは、地区を一つのポイントとし、ダム湖周辺を一体化して考える観光の大きなヒントをもらえただけでなく、もっと広い視野で物事を捉え、ダム湖周辺から長野原町全体を考えられる心を芽生えさせていただきました。
このプロジェクトに参加した20代から60代の有志で「チームやんば」を結成し、この続編を継続進行中です。この流れや、ご縁をとても感謝しています。やっと動き出せたのかな? 今、そんな気がしています。
しかし、一気に人口が減ってしまったことは、大きな損害です。それでも、同じ方向を向く仲間がいれば、必ず良い町になっていくと私は信じてやみません。好きな言葉に「人生は振り子のようなものだ」というのがあります。悪い方に振れたら、同じだけ良い方に振り子は必ず振れる—。それに当てはめれば、多くの人々の人生を振り回し、多額の税金をつぎ込み、五つの地域を水没させ、70年かけてつくり上げるダムだから、私は見ることはできないけれど、新しい川原湯温泉も、70年かけて良い温泉場になってくれたらそれで良い—。そして、ダムを受け入れたことが川原湯にとっても、長野原町にとっても、下流の方々の災害対策にとっても、正しい判断であったならば、本当にうれしく思います。
川原湯温泉協会長 樋田省三 長野原町川原湯
【略歴】老舗温泉旅館「やまきぼし旅館」社長。跡見学園女子大と長野原町による活性化策の川原湯温泉ブランド化プロジェクトの座長を務める。日本大経済学部卒。