八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

徳山ダムの開発水は未だ使われず、節水定着・需要横ばい 

 わが国最大のダム湖を抱える岐阜県の徳山ダム(独・水資源機構)が完成から10年経過し、朝日新聞が積極的にこのダムにかかわる問題を取り上げています。
 徳山ダムは八ッ場ダムと同様、治水、利水、水力発電を目的とした多目的ダムです。「治水」では、ダムによる洪水調節効果は一定程度はあるものの、巨大ダム建設事業に治水予算が割かれ、緊急対策が必要な県管理の中小河川への治水対策が後回しになっており、利水(都市用水の開発)にいたっては、開発水を使う当てがない、という問題が顕在化しています。

 以下の記事では、ダム問題に詳しい記者が、徳山ダムは「1957年の構想浮上から60年余りが経過し、その目的が今の社会に合わなくなっている」と最初に指摘しています。八ッ場ダムの構想浮上は1952年、ダム完成予定は来年度。徳山ダムのような導水路事業がなく、利根川流域の関係都県では過大な水需要予測を立てていますので、報道では水余りが指摘されていませんが、その目的が今の社会に合わないのは、八ッ場ダムも同様です。

◆2018年10月18日 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASLBH56XNLBHOIPE01L.html
ーこの水いるの? 節水定着・需要横ばい 岐阜・徳山ダムー

 治水、利水、発電の多目的ダムとして建設された徳山ダム(岐阜県揖斐川町)。1957年の構想浮上から60年余りが経過し、その目的が今の社会に合わなくなっている。

 「徳山ダムが(下流の)横山ダムと連携し、50センチ水位を下げました」。名古屋市で4日に開かれた木曽川水系流域委員会。国土交通省の担当者が強調したのは、7月の豪雨で徳山ダムがみせた治水効果だ。流入する水を一時全量ため込み、揖斐川下流の負担を減らした。

 徳山ダムは治水、利水、発電の多目的ダム。当初は毎秒15トンを愛知、岐阜両県や名古屋市の都市用水に供給するはずだったが、長い工事期間のうちに水余りに直面し、最終的に6・6トンに縮小された。代わりに洪水対策などの容量を増やし、治水効果が上がったという。

 一方、この7月豪雨では長良川の支流・津保川があふれ、岐阜県関市上之保で2人死傷、全半壊約100戸の被害が出た。現地では9月末も家屋がブルーシートで覆われ、畳を上げて修理中だった。車が流された自営業男性(62)は「早く川を浚渫(しゅんせつ)して安全にしてほしい」。家のすぐ裏の津保川は近くで別の川と合流しているうえ、下流約100メートルでカーブし、砂がたまりやすいという。

 岐阜県も付近の危険性を認めており、緊急対策が必要な県管理河川(265キロ)にこの地区の津保川を挙げている。だが2023年までに完成を目指す50キロには含めておらず、着手はその先の予定だった。

 「限られた予算。選ばざるをえない」。県の担当者は苦しげだ。県の今年度の治水予算は124億円。国の事業抑制に加え、06年に表面化した県財政危機から、予算は20年前の4分の1まで減らされている。

検証進まぬ、導水路事業
 利水の必要性が下がっているなか、岐阜県はダムの完成後23年かけて利水負担金約400億円を水資源機構に払う契約を結んでおり、まだあと240億円残っている。本来は西濃地方の市町や企業に水を売って返済するはずだったが、地下水が豊富で一滴も売れず、一般会計から払う。利子や治水分なども合わせ、県の負担は年30億円を超える。

 徳山ダムの利水関連事業はまだ続いている。国の木曽川水系連絡導水路事業(890億円)だ。ダムでためた揖斐川の水を、愛知県や名古屋市が取水施設をもつ木曽川や長良川に流す。渇水時は水を流せば環境改善にもなるといい、上流ルートの途中で一部を長良川に落とし、下流ルートでまた木曽川へ流す。

 だが節水の定着などで、愛知県や名古屋市の水需要は横ばいから減少傾向だ。ピークの1975年に124万トンあった名古屋市の1日最大給水量は昨年、83万トンにまで減った。「100年に一度の大渇水」と言われ、各地で断水騒ぎのあった94年8月レベルだ。

 長良川への放流も、むしろダムの冷たい水を入れることで「アユの成育などに影響するのでは」などという根強い疑問があり、市民グループが独自に毎月、水質計測を続けている。

 民主党政権時代の2009年、全国のダム検証の対象に導水路事業が入り、公開の場で費用対効果などを調べることになった。名古屋市の河村たかし市長は導水路に批判的で、15日も記者の質問に「利水で要るというなら具体的に(国に)証明してもらわないかん」と話した。国交省も簡単に継続の結論を出しにくく、この3年間、会議が開かれていない。全国83の検証事業のうち、いまだ「検証中」は導水路など四つだけになった。(編集委員・伊藤智章)