八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

貯水容量日本一の徳山ダム、完成から10年

 貯水容量最大の徳山ダムが完成して10年がたちました。
 徳山ダムで沈められた旧徳山村の住民の現状を伝えた記事が発信されています。徳山ダムでは、ダム起業者が住民に約束したことが守られず、水没住民の移転代替地が地盤沈下を起こす、ダムによる観光立村の挫折するなど、現地は数々の辛酸をなめてきました。
 来年度の完成を目指す八ッ場ダム予定地の実状とも重なる記事です。

◆2018年10月16日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASLBD5JJ3LBDOIPE01X.html?iref=pc_extlink
ーダム湖渡り通う故郷、山を売らなかった旧徳山村民の思いー

 国内最大の総貯水容量6億6千万トンを誇る徳山ダム(岐阜県揖斐川町)の完成式が開かれてから、13日で10年が経った。一つの村を犠牲にし、3300億円の巨費を投じた公共事業はその意義を果たしているのか。徳山の今を訪ねた。

 鏡のような湖面を、小型ボートが水しぶきを上げて進んでいく。

 徳山ダムの湖底には、かつて466世帯約1500人が暮らした旧徳山村(1987年廃村)が沈んでいる。

 「この下に門入(かどにゅう)に続く道があったんですわ」と、今井三千穂(みちほ)さん(73)=岐阜県本巣市=は湖面を指さした。門入は村にあった八つの集落の一つで、今井さんのふるさとだ。

 ダムを管理する独立行政法人・水資源機構が運航するボートから船着き場にあるワゴン車に乗り換え、さらに山奥に。計40分ほどで携帯電話の電波が届かない山あいに一軒家が見えてきた。

 今井さんの家は、小ぶりな木造2階建て。2006年にダムの貯水が始まる直前に建てた。村を離れて就職した福井県庁を退職し、余生は先祖が残した山の世話をしたいと思ったからだ。月1~2回、1週間ほど寝泊まりし、樹木の手入れに汗を流す。

 途切れたふるさとへの道
 9月中旬、旧徳山村民の今井三千穂(みちほ)さん(73)はふるさとの山に建てた家を訪れた。

 2週間前の台風21号による倒木で電線が切れ、停電していた。小型ガスボンベと、川から軒先に引いた水でコーヒーを入れた。サラサラと木の葉がこすれる音が響く。

 「ここに来ると心が休まる。この静けさ、なんとも言えん……」

 徳山ダムの周囲には、今井さんのほかにも旧村民が所有する山林がある。水につかる場所は補償対象になったが、水没しない山林は対象から外れたからだ。このため、ダムを管理する水資源機構は週2回、船と車で旧村民を送迎している。この日は今井さんのほか、4人が乗船した。

 今井さんは家の窓を開けて風を通し、弁当で腹を満たすと、山へ。樹木医でもある今井さんはブナやケヤキを数百本植え、その世話をしている。深く根を張り、山を守ってくれるからだ。「子や孫の世代に山を引き継いでいきたい」という。

 ダムの計画は、今井さんが小学生だった1957年に浮上した。87年に徳山村が地図から消え、実家が家と田畑を手放して岐阜県本巣市に移転したころは40歳を過ぎていた。「山は残るし、ダムに反対はしなかった。母は徳山より雪が少ない土地に移ってむしろ喜んでいました」

 そんな状況が変化したのは2001年。ダム周辺に貴重な猛禽(もうきん)類の生息が確認されたことや膨張するダム事業費の抑制が迫られていたことを背景に、水資源開発公団(現・水資源機構)は、水没後も旧村域の山々に行ける「付け替え道路」の建設を中止した。公団が村に建設を約束していた道だった。

 そして道路を造らない代わりに、岐阜県が旧村民らの山林約1万7千ヘクタールを総額249億円で買い取る公有地化事業を提案した。「先祖が飲まず食わずで働いて得た土地。私の代で手放せない」。今井さんにのめる話ではなかった。

 旧村民らは付け替え道路の建設を求めて裁判を起こしたが、敗訴。ダムは08年に完成した。

 それから10年。「陸の孤島」の山林を後世に引き継げるのか、わからない。長男は県外で働いていて、おいそれとは来られない。

 それでも、今井さんの思いは変わらない。

 ふるさとの家の近くには約30本のエドヒガンザクラがある。長寿で大木になるこのサクラには、植えた今井さんの思いが込められている。

 「でっかいサクラの木の下でね、孫やひ孫の世代までずっと、花見を楽しんでほしいんですよ」(保坂知晃)

消えゆく文化、なお残る問題
 「村には戻れないけど、子どものために、まともな家を残したい」。岐阜県本巣市の網代(あじろ)団地に住む旧村民の早川俊弘さん(66)はそう話す。自宅前の道路にひびが走り、家のブロック塀は傾いていた。

 網代団地は、ダム建設に伴って旧徳山村の全466世帯の約7割が集団移転した5地区の一つだ。2006年ごろに地盤沈下が問題となり、水資源機構によると85戸で沈下が確認され、84戸を補修した。しかし「まだ沈下は止まっていない」と納得していない人もいる。近隣の文殊団地でも移転後間もない1980年代に地盤沈下が発生し、全82戸のうち52戸が再移転などを余儀なくされた。

 早川さんは水資源機構に補償を求めて交渉しているが、補償の範囲に隔たりがあり、まとまっていない。機構の担当者は「引き続き理解を求めて話を続けていく」と話す。

 移転して30年余り。毎春ふるさとの山に入って山菜採りをする早川さんは「山を見るだけで心が落ち着く」という。それだけに地盤沈下への怒りは強い。「ダムには反対だった。ダムのせいで今も問題は続いている」

 旧村民が「村で最大の楽しみだった」と口をそろえるのが8月の盆踊りだ。「徳山踊り」と呼ばれ、帰省した村民も加わって輪になって踊った。移転当初は5地区で引き継がれていたが、4地区で姿を消した。

 揖斐川町の表山地区に移転した小西順二郎さん(72)は「『やかましい』と苦情を言われ、やりにくくなった」と話す。移転地区では高齢化が進み、往時の村を知る人は少しずつ減っている。「さみしい。年を重ねるとだんだんね。村に帰りたいよ」(室田賢)
     ◇
〈徳山ダム〉 揖斐川上流に建設された、治水、利水、発電の多目的ダム。岩を積み重ねて造るロックフィルダムで、ダム本体は高さ161メートル、長さ427メートル。

徳山ダムの歴史
1957年 電源開発促進法に基づく調査区域に指定
  71年 用地補償の地元説明会が開かれる
  73年 徳山ダムを含む基本計画が閣議決定
  87年 徳山村が廃村となり、藤橋村に吸収
  89年 旧村民466世帯すべての移転契約が完了
2000年 ダム本体工事に着手
  05年 藤橋村など6町村が合併して揖斐川町に
  06年 ダム本体工事の完成を受けて貯水開始
  08年 ダムが満水、試験放流を経て運用開始
  09年 ダムの水を使う木曽川水系連絡導水路事業が国の検証対象に

https://digital.asahi.com/articles/ASLBD3398LBDOIPE006.html?iref=pc_extlink
ー史実にない城・つり橋、ダムマネーに沸いた村は今…ー

  徳山ダム(岐阜県揖斐川町)で水没した旧徳山村を1987年に吸収合併した藤橋村。日本一の総貯水容量を誇るダムを利用し、観光立村をめざしたが……。

  徳山ダムの下流5キロ付近の山あいに、プラネタリウムを備えた藤橋城や西洋風のつり橋、古民家が点在する。

 水没した旧徳山村を吸収した藤橋村が20~30年前に造った観光施設群だ。ダムに伴う優遇措置や過疎債などで、史実にない城やつり橋にそれぞれ数億円をかけた。観光投資は全体で村の歳出(1990年代初頭で約22億円)に匹敵した。

 だが、80年代に年間6万人だった藤橋城の入場者は、いま1万人。つり橋の先のオートキャンプ場は閉鎖され、雑草が生い茂る。往時のにぎわいを知る職員は「ダムの完成が2008年と遅れ、連動した話題を作れなかった」と悔やむ。ダム完成が見えた00年代には小泉改革で地方交付税や補助金が減らされ、追加投資も難しかった。

 これに人口減少が追い打ちをかけた。藤橋村の人口はピークの1960年の約2200人から05年に約400人に減り、周辺5町村と合併して揖斐川町になった。最後の村議会議長だった高橋卓さん(87)によると、観光振興は雇用確保が狙いだったのに、施設の従業員すら地元で確保できなくなっていた。「地域が滅亡しかねず、合併しかなかった」と苦渋をにじませる。いまの藤橋地区の人口は約200人で、小中学校閉校に続き、15年に幼児園も休止。65歳以上の割合(高齢化率)は50%近くに達している。

 藤橋村の人口が最も多かった60年は、村内で国の横山ダム工事が始まったころ。反対運動もあったが、ダム景気で商店や飲食店が軒を連ね、「横山銀座」と呼ばれた。徳山ダム関連の揚水発電所のために集落が移転したのに、最後に建設中止となったこともあり、巨大事業に振り回された村だった。

合併先の町、観光投資は慎重
 徳山ダムの湖は、諏訪湖に匹敵する13平方キロメートルの広さがある。近くの道の駅「星のふる里ふじはし」には民俗資料収蔵庫があり、国の重要有形民俗文化財の旧徳山村の民具約6千点を収めている。

 名阪近鉄旅行(名古屋市)の担当者は「観光地としての潜在能力がある」と認める。同社などの徳山ダムツアーは、ダム湖を周遊したり、ダム堤体を上ったりできて底堅い人気がある。

 ダム湖北の冠山峠では、国道417号工事が続く。トンネルなどが完成すれば、北陸との周遊観光も可能になる。揖斐川町の富田和弘町長は「やっとスタートライン。今後が正念場だ」と話す。

 だが町は新たな投資に慎重だ。ダム湖の周遊に使われているのは、水資源機構の連絡船。船室が狭く、定員90人の多くは吹きさらしになる。試行した水陸両用バスは好評だったが、購入に1億円、さらに維持費もかかるとして、導入予定はない。町議会ではダム湖で魚の養殖や放流事業をする案も出たが、環境保全や安全対策上難しいという。

 揖斐川町全体の人口も、05年の合併時から20%以上減っている。徳山ダム関連の固定資産税13億円は町の一般会計の1割を占める貴重な財源だが、年々減っていく。町人口の1%しかない藤橋地区に割ける力は限られている。(古沢孝樹、編集委員・伊藤智章)