熊本県の球磨川支流、川辺川に国が建設を予定していた川辺川ダムは、2009年に民主党政権下で八ッ場ダムとともに中止が表明されました。その後、八ッ場ダムは関係都県の強力な推進要請もあって「事業継続」となりましたが、川辺川ダム事業は休止されたままです。熊本県の潮谷前知事が川辺川ダム問題に関する公開討論会を何度も開催した結果、熊本県民には川辺川ダムのマイナス面と不要性が広く共有されるようになり、現在の蒲島知事も知事就任後、すぐに世論に押される形で川辺川ダム白紙撤回の姿勢を打ち出したためです。
しかし、特定多目的ダム法による川辺川ダム建設基本計画は廃止されておらず、国土交通省は時機を見て川辺川ダム事業の復活をもくろんでいると言われます。国交省が買収した水没予定地の土地は、今も国所有のままです。
民主党政権は、当会が提案したダム中止後の水没予定地の再生を支援する法整備が必要だとして、2012年3月に「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」が閣議決定され、国会へ上程されましたが、同年12月の政権交代により廃案となりました。
川辺川ダムの水没予定地、五木村の現状を伝える記事を転載します。
◆2018年11月2日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASLBV3J90LBVTIPE00V.html
ー自然は残り、住民は去った ダム計画止まった村の10年ー
国の川辺川ダム建設計画に熊本県の蒲島郁夫知事が反対を表明してから、9月11日で10年が過ぎた。清流が残された同県五木村は今、豊かな自然にひかれて観光客が増えるなど明るい兆しもある。ただ、代替地への移転を機に多くの人が村外に出て、残った村民は将来に不安を募らせる。
かつて村役場や住宅があった川辺川沿いの旧水没予定地。今は公園が造られ、コテージでの宿泊やボルダリングなどが楽しめる広場の整備が進められている。
県と村は旅行会社へのPRも強化。夏の川遊びを楽しむ小学生の林間学校などが人気を呼び、この10年で村を訪れる観光客は12万人から17万人に増加。林業の売り上げも2・5倍に増えた。
川辺川ダム計画の反対運動に取り組み、絶滅が危ぶまれるクマタカの生息域を粘り強く観察して、国土交通省に建設予定地の一部で工事を断念させたことで知られる環境カウンセラーの靎(つる)詳子さん(69)は「清流川辺川はとりあえず守られた。造られていれば、下流は水質がどんどん悪化していただろう。ダム計画をめぐる流域住民の分断も解消することができた」と評価する。
村民は旧水没予定地から約70メートル上の高台で暮らす。16年前に移転した役場や住宅などが並ぶまちには、ひっそりとした雰囲気が漂う。近くの道の駅から流れる「五木の子守唄」の放送だけが響く。
「10年たって施設はできたが、人はおらん。村全体があきらめムードだ」。高台に移転した北原束(つかね)さん(82)はこぼす。最初はダム反対だったが、国や県からの強い要請で水没者団体の事務局長として補償や生活再建の条件交渉にあたった。
だが、ダム計画で元の家を離れた約500世帯の7割以上は村外へ出た。「病院や買い物、職探しが便利な人吉市などへ流れてしまうのは仕方がなかった」と北原さん。村の人口は8月末現在で1116人。ピーク時の6299人(1959年9月)の2割足らずまで減った。「ダムに反対すればよかったと思う時もある。こんなに人が減らずにすんだかもしれないから」
中心部が水没する予定だった村は当初、ダム計画に反対していたが、国や県、下流域の市町村からの要請を受けて1982年に賛成に転じた。96年には本体工事に同意。見返りとして、地域振興のための国の補助金約400億円を見込んでいた。それを覆したのが蒲島知事の決断だった。県は代わりに計約60億円の財政支援を決めたが、和田拓也村長(71)は不満を隠さない。「(国がやる気になれば)ダム建設はまだ可能だ」とさえ語る。