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石木ダム全用地収用 変えぬ生活 「私らの闘い」

 長崎県の石木ダムに関する記事をお伝えします。
 石木ダム事業ではダム予定地に暮らす13世帯の住民の土地と家屋を奪う強制収用手続きが行われましたが、住民らはダム予定地の”こうばる”に今も住み続けています。
 これまでも全国各地に地元住民によるダムの反対運動はありましたが、、”こうばる”におけるダム反対運動は、この土地に生まれ育った人たちだけでなく、嫁として大人になってから”こうばる”に移住した女性たちによっても担われていることが大きな特徴です。生活に根差した住民らのしなやかな運動は、石木ダムの反対運動が何十年も続き、多くの支援者を得ている理由でもあります。

◆2019年12月23日 長崎新聞
https://this.kiji.is/581687043796501601?c=39546741839462401
ー長崎 この1年(2) 石木ダム全用地収用 変えぬ生活 「私らの闘い」ー

 長崎県と佐世保市が石木ダムを計画する東彼川棚町。車が行き交う県道沿いに、水没予定地の住民、岩下すみ子さん(71)が座っていた。時折、顔見知りの車がクラクションを鳴らして通り過ぎると、すみ子さんも笑顔で手を振る。「結構目立つけんね。小さなことかもしれんけど、ここに来ることで『自分も闘ってる』って思えるとよ」

 他の反対住民や支援者らは、同ダム建設に伴って県が進めている県道の付け替え工事現場で抗議の座り込みを続ける。すみ子さんも毎日参加していたが、痛めた股関節を手術した10月以降は、山道を歩き座り込み現場へ通うのが難しくなった。「何かできることを」と思い付いたのが、近くの県道でダム問題を訴えることだった。今月から毎日午前中の約2時間、「石木ダム建設絶対反対」ののぼりを手に、この場所で一人、“闘って”いる。

 激動の1年だった。土地収用法に基づき、反対住民13世帯の宅地を含む未買収地約12万平方メートルの補償額などを審理していた県収用委員会が5月、土地の収用と明け渡しを裁決。9月20日までに全ての土地の所有権が県と佐世保市に移り、ダム事業に必要な全用地の権利取得を終えた。

 11月18日には、13世帯の民家など物件がある土地も明け渡し期限となり、県と同市は全てについて行政代執行の手続きが可能となった。同29日は、住民らが国に事業認定取り消しを求めた訴訟の控訴審判決。福岡高裁は一審の長崎地裁に続き、住民側の訴えを退けた。

 明け渡し期限が過ぎた今も、水没予定地の川原(こうばる)地区では13世帯約50人が生活している。表向きには何も変わらない平穏な暮らしだが、法的な“後ろ盾”は完全に失われた状況にある。

 それでも「どん底とは思わない」と、すみ子さんは笑い飛ばす。反対住民のリーダー格、和雄さん(72)に24歳で嫁ぎ、喜びも、悲しみも、怒りも、川原地区の仲間たちと分かち合ってきた。「誰に恥じることも、哀れまれることもない。『70年、充実した人生』って胸張れる。外から見たら、分からっさんと思うけどさ」。この土地で、変わらず、笑って暮らす。「それが私らの闘いさ」

◆2019年12月24日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/570772/
ー石木ダム強制収用、苦悩する前町長 今秋、反対派団体に参加ー

 ■地域の人間関係分断招いた
 長崎県川棚町の石木ダム問題で、町長在職中は事業を推進してきた竹村一義さん(72)が今秋、反対派の市民有志でつくる「石木ダム・強制収用を許さない県民ネットワーク」に加わった。ダム事業自体には反対ではないが、用地の強制収用が可能になった今、予定地で立ち退きを拒む13世帯を公権力で排除することには疑問を抱く。複雑な胸中を語った。

 竹村さんは町議を経て、2002~10年に町長を務めた。事業主体の県と同県佐世保市が09年10月、土地収用法に基づいて、強制収用が可能になる事業認定を国に申請する際には、知事や市長と並んで記者会見した。「半ば無理のある話し合いをしてでも、早く解決させた方が地権者にとってよいのではないか」と考えていた。

 それから10年間、反対住民と県が話し合う場はほとんどなかった。今年9月には法に沿って、予定地の所有権が住民から国に移った。県は住民を強制的に立ち退かせる行政代執行ができるようになり、両者の溝は深まるばかりだ。

 県も09年当時は「話し合いを進めるための事業認定だ」と説明していた。「住民を説得できなかった力不足を、今となって強い権力に頼るしかないのか。あのときの説明に立ち返れば強制収用はできないだろう」

 川棚町で生まれ育った。立ち退きを拒む13世帯の中には中学時代の同級生がいる。予定地から移転した住民にも知り合いがいた。狭い地域の人間関係は公共事業によって分断された。「ダム計画がなければ遭わなかった苦しみ」を知るからこそ、やり切れない。

 ダム事業そのものには反対ではない。大規模化する集中豪雨被害や、佐世保市民が苦しんだ渇水を防ぐ効果はあると思う。それでも、強制的に進めるのは釈然としない。

 9月、県民ネットワークに加入した。「『今更なんば言いよっとか』と言う人もいるだろうが、ささやかな意思表示だ」。町長退任後、石木ダム関連の取材に応じたのは初めてという。

 中村法道知事は「強制収用は最後の最後の手段。その前にご理解いただける機会があれば、努力を重ねたい」と話す。だが、竹村さんは首をかしげる。これまで住民や県民が、理解できるような努力をしてきたのか疑問を覚える。

 石木ダム事業が国に採択されて来年は45年になる。「いよいよダムができるところまできた、とは思わない。本当にできるだろうか」。探るように言葉を継いだ。 (平山成美)
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【ワードBOX】石木ダム事業
 長崎県と同県佐世保市が、治水と市の水源確保を目的に、川棚町の石木川流域に計画。1975年度に国が事業採択し、総貯水量は548万トン。当初完成予定は79年度だったが、県は延期を繰り返し、今年11月には2025年度に見直した。県収用委員会の裁決に基づき、予定地で暮らす反対住民の土地や建物の所有権は国が取得。11月18日の明け渡し期限を過ぎ、県の行政代執行による強制収用の手続きが可能になった。福岡高裁は同29日、国の事業認定取り消しを求めた住民らの訴えを棄却した。