2018年7月の西日本豪雨では、愛媛県を流れる肱川上流にある国直轄の野村ダムと鹿野川ダムが緊急放流を行い、その直後の氾濫によってダム下流の住民8人が犠牲になるなど、凄まじい被害となりました。
この水害について被災者らが国家賠償を求める訴訟を起こしました。一昨年の西日本豪雨水害を巡っては、岡山県倉敷市でも被災者が訴訟の準備を進めています。わが国の司法の壁は厚く、裁判の道のりは容易ではありません。さらに地域ではダム行政に異議申し立てをすることに対する様々な圧力があります。
今回の提訴の報道では触れられていませんが、肱川は現在も三番目の国直轄ダム事業(山鳥坂ダム)が進められています。肱川流域ではダム事業に多額の治水予算が割かれる一方で、河川整備の予算が少なく、堤防が脆弱であったり、ほとんどない所もありました。しかし、ダムの容量には限界があり、貯水池が満杯になれば、今回のように豪雨のさなかに流域住民が犠牲になることがわかっていても、緊急放流を行わなければなりません。肱川の水害は、ダムによる治水対策の限界を露呈したものと言えます。
◆2020年2月1日 毎日新聞愛媛版
https://mainichi.jp/articles/20200201/ddl/k38/040/417000c
ー西日本豪雨ダム放流・国賠提訴 「真実を明らかに」遺族ら声詰まらせ訴えー
西日本豪雨の遺族らが国と大洲、西予両市を相手取り、31日に起こした国家賠償請求訴訟。ダムの放流操作や避難情報の周知を巡っては被災者らの間で疑念が渦巻き、災害直後から「天災ではなく人災だ」との声が相次いでいたが、1年半を経て訴訟へ踏み出すこととなった。県庁であった記者会見で遺族らは「亡くなった人たちのためにも裁判を通じて真実を明らかにしたい」と訴えた。【中川祐一】
西予市野村町地区でダムの緊急放流により氾濫した肱川にのまれて両親を亡くした女性(50)は、父大森仲男さん(当時82歳)と母勝子さん(同74歳)の遺影を持って参加した。ダムの緊急放流により両市で8人が犠牲になったが、遺族で訴訟に参加したのは現時点では女性とその妹の2人。「ほかの遺族も納得していないと思うので、その方々のためにも真実を明らかにしてほしい」と訴え、「災害で命を落とすことがないようになってほしい。命が一番です」と声を詰まらせた。
大洲市で被災し、貴重な書籍を流されたと訴えた土井利彦さん(73)は「地方であればあるほど声を上げるのは難しい。少しでも今回の災害を記録として残し、二度とこういうことが起きないようにと願って(原告に)加わった」と話した。
奥島直道弁護士は、「誰が見ても大きな被害が出ると分かっているのに防ぐ努力をしていない」とダムの放流操作を批判。今回参加することができなかった被災者もいるといい、二次提訴を起こす方針を示した。
◆2020年1月31日 NHK愛媛放送局
https://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20200131/8000005542.html
ー西日本豪雨 ダム操作めぐり提訴ー
平成30年の西日本豪雨で、ダムの放流のあと川が氾濫し、西予市と大洲市で8人が死亡したことをめぐり、一部の遺族や浸水の被害者が、ダムの操作や避難の呼びかけに問題があったとして、国と2つの市にあわせて8650万円の賠償を求める訴えを松山地方裁判所に起こしました。
平成30年7月の西日本豪雨では、西予市の野村ダムと大洲市の鹿野川ダムで雨の量が予測を超えて容量がいっぱいになり、緊急放流が行われましたが、その後、下流の肱川が氾濫し、避難勧告や避難指示が出ていた地域の住民8人が死亡しました。
このうち犠牲者2人の遺族と浸水の被害者のあわせて8人がダムを管理する国と避難の対応にあたった西予市と大洲市に対し、あわせて8650万円の賠償を求める訴えを松山地方裁判所に起こしました。
原告側は、国について、気象予測などからダムが満杯になると容易に予想できたのに事前に放流量を増やさず重大な過失があったなどとしています。
また2つの市について、ダムを過信して必要な情報提供を行わなかったり、ダムからの連絡の内容を理解できず、市民に直ちに伝えなかったりしたことに責任があるとしています。
ダムの機能を維持するために行われる緊急放流をめぐって裁判が起こされるのは異例で、災害時の国や自治体の対応の是非が法廷で争われることになります。
【原告と被告は】
原告の1人で、西予市野村町に住んでいた両親を亡くした50歳の女性は「豪雨災害がなければ両親は今も元気で暮らしていたはずで、それを思うととても無念だ。当時、ダムの操作がどのように行われていたのか、操作は妥当だったのか、真実が知りたい」と話しました。
また訴えの中で、原告は、国が責任を隠匿するためダムの放流データを改ざんした可能性が高いと主張していて、原告の弁護士は、記者会見で「放流のデータにはうそがあり、うそを放置したまま当時の対応を検証しているのはおかしい。真実を知りたい」と話していました。
一方、国土交通省四国地方整備局と西予市、それに大洲市は、いずれも「訴状が届いておらずコメントできない」としています。
【西日本豪雨におけるダムの緊急放流】
緊急放流は、平成30年7月7日、野村ダムと下流の鹿野川ダムで立て続けに行われました。
国土交通省四国地方整備局によりますと、野村ダムでは、大雨に備え、ダムに貯まっている水の一部を抜く「事前放流」が行われました。
しかし「事前放流」で確保した容量を上回る水が流れこみ、貯水量が限界に達したため、午前6時20分、緊急放流に踏み切りました。
この後、肱川は氾濫し、およそ2.5キロ下流にある西予市野村町の中心部などが浸水しました。
市は、緊急放流のおよそ1時間前に避難指示を出しましたが、5人が死亡しました。
野村ダムの緊急放流から1時間余り後には、20キロほど下流にある鹿野川ダムでも緊急放流が行われ、大洲市の広い範囲が浸水し、流域で3人が犠牲になりました。
一部の地域には前日から避難勧告が出されていましたが、市内全域に避難指示が出たのは緊急放流の5分前でした。
被害を受けて、住民から、ダムの放流量や放流のタイミング、情報の伝え方に対して疑問の声があがりました。
このため、ダムを管理する国は、専門家や自治体を交えて、住民への情報の伝え方を中心に検証したうえで見直しをしましたが、当時のダムの操作については、予測以上の雨が降ったとしたうえで、早い段階で放流すれば、もっと早く浸水被害の出たおそれがあったなどと しています。
西予市と大洲市では、豪雨災害のあと、避難を呼びかける基準にダムの放流量を反映する形で
防災対応が見直されました。
ただ住民の中には、国や自治体の当時の対応やその後の説明に納得がいかないという声も根強く残っています。
◆2020年1月31日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASN103QY5N1XPFIB002.html?iref=pc_ss_date
ー西日本豪雨「ダム放流不十分で浸水」提訴 愛媛の遺族らー
2018年7月の西日本豪雨で緊急放流をした愛媛県の野村ダム(西予(せいよ)市)と鹿野川(かのがわ)ダム(大洲(おおず)市)をめぐり、事前の放流を十分に行わず、大量放流で浸水被害を拡大させたなどとして、流域の被災住民や犠牲者の遺族らが31日、ダムを管理する国や両市を相手取り、総額約8600万円の損害賠償を求める訴えを松山地裁に起こした。
二つのダムは、いずれも愛媛県内を流れる肱川(ひじかわ)にあり、国土交通省四国地方整備局が管理している。18年7月7日朝、豪雨によって満水に近づき、流れ込む雨水とほぼ同量を放出する「異常洪水時防災操作(緊急放流)」を実施。その後、下流域の西予市と大洲市で計約3500戸が浸水し、8人が亡くなった。
訴えたのは、西予市で自宅が浸水して亡くなった夫婦の遺族2人と、大洲市で自宅や事務所が浸水した住民6人。訴状では、国は大雨でダムへの流入量が増えるのを予想できたのに事前放流を十分にせず、ダムの容量を確保しなかったと指摘。その結果、ダムが満水に近づき、それまでの放流量をはるかに超える水量を一気に放流したため、下流域に甚大な浸水被害をもたらした、としている。
西予市と大洲市は、洪水の被害想定や緊急放流の危険性について、住民への周知が不十分だったと原告側は主張。特に大洲市は緊急放流の情報を住民に伝えたのが放流の5分前で、被害を拡大させたとしている。
ダムを管理する国土交通省四国地方整備局は「提訴の事実を確認できておらず、コメントできない。引き続き肱川の治水安全の向上に努める」とし、西予市と大洲市も、訴状の内容を把握していないとして「回答は控える」とした。(照井琢見)
◆2020年1月31日 テレビ愛媛
https://www.fnn.jp/posts/2020013100000006EBC
ー予想できたのにダム緊急放流…遺族らが国や自治体に損害賠償を提訴ー
西日本豪雨で甚大な被害を受けたのはダムの放流操作に問題があったためなどとして、遺族や被災者が31日、国などに対し8650万円の損害賠償を求める訴えを松山地方裁判所に起こしました。
訴えを起こしたのは被災した住民や遺族ら8人です。おととしの西日本豪雨では、野村ダムと鹿野川ダムが緊急放流を行ったため下流の肱川がはん濫し8人が死亡していて、原告はダムを管理する国と住民に避難を呼びかけた大洲市、西予市に対し8650万円の損害賠償を求めています。
訴えによりますと、国に対しては大雨でダムが満杯になることが予想できたにも関わらず、事前に放流をしなかったため緊急放流しなければならなかったと主張。西予市や大洲市に対しては、住民に十分放流情報を伝えなかったなどと指摘しています。
豪雨で両親をなくした遺族「両親がなくなって2年になりますけれども、いろいろな情報がはいってきてませんので真実を明らかにしたい」
提訴を受け、国や市は「訴状が届いておらず、内容を把握していないためコメントは差し控える」としています。
◆2020年1月31日 共同通信(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55077420R30C20A1AC1000/
ーダム緊急放流で国と市提訴 西日本豪雨被災の愛媛住民ー
2018年7月の西日本豪雨で、愛媛県の肱川上流にある鹿野川ダム(大洲市)と野村ダム(西予市)が安全とされる基準の6倍の量を放流し下流域の住民らが死亡、甚大な浸水被害が出た問題で、ダムの操作が不適切だったなどとして、遺族を含む被災者8人が31日、国と両市に計8650万円の損害賠償を求め、松山地裁に提訴した。
遺族らは、2つのダムを管理する国土交通省が事前に放流してダムの容量を十分に確保せず、両市も住民への情報提供が不十分だったと主張している。
両ダムは18年7月7日朝に緊急放流。その後、肱川が氾濫し、水が住宅地に流れ込むなどして大洲市で3人、西予市で5人が亡くなった。訴状では、大洲市の避難指示が緊急放流の5分前だったことに触れ「(直前だったため)逃げ遅れて車に乗ったまま流され死亡した者もいる」と主張した。
国交省と両市は「情報が十分に伝わっていなかった可能性がある」と認め、放流・避難に関する情報の伝達方法や操作規則を変更した。一方で国交省は「操作は規則に従い、適切だった」と主張。両市も遺族らの謝罪要求に応じていない。国交省と両市は提訴について「訴状が届いていないので、コメントできない」としている。
両親を亡くした原告の女性(50)は提訴後、松山市で記者会見し「真実を明らかにしたい。まだまだ命あったはずの両親で、不適切な操作がなかったら、2人で幸せに暮らしていた」と声を震わせた。〔共同〕
◆2020年1月31日 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200131-00000070-jij-soci
ー西日本豪雨で国を提訴 緊急放流で氾濫被害 松山地裁ー
2018年の西日本豪雨の際、決壊防止のため行われたダムの緊急放流で被害を受けたとして、愛媛県の肱川下流域の住民ら8人が31日、国などに計約8600万円の損害賠償を求め、松山地裁に提訴した。
原告代理人によると、西日本豪雨をめぐる訴訟は全国初とみられる。
訴状によると、18年7月7日、国土交通省四国地方整備局が管理する鹿野川ダム(同県大洲市)と野村ダム(西予市)で緊急放流が行われ、肱川が氾濫。流域の住宅が浸水などの被害に遭い、8人が死亡した。
遺族ら原告側は、ダムの操作が不適切だったと主張。大量の雨水が流入することを事前に予測できたのに事前放流を怠ったほか、1996年に大規模な水害に対応できない操作規則に変更した過失があると指摘している。緊急放流前に十分な情報提供をしなかったとして、大洲、西予両市にも賠償を求めた。
提訴後、記者会見した原告の女性(50)は「両親が亡くなって2年になるが、いろいろな情報が入ってきていない。真実を明らかにしたい」と悲痛な表情で語った。
四国地方整備局と大洲、西予両市は「訴状を確認できておらずコメントを控える」としている。
◆2020年1月29日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200129/k00/00m/040/233000c
ー西日本豪雨の被災者ら国を提訴へ 愛媛・肱川氾濫は「不適切なダム操作が原因」ー
西日本豪雨(2018年7月)の際、愛媛県大洲、西予両市で肱川(ひじかわ)が氾濫して死者や浸水被害が出たのは国の不適切なダム操作などが原因だったとして、遺族や被災者が国と両市を相手取り、国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟を31日、松山地裁に起こす。原告は8人程度で、請求額は8000万円以上になる見通し。
写真=西日本豪雨を受け、肱川沿いに設置された表示板。「ダム」「放流中」と交互に表示されるが放流量は表示されない=愛媛県西予市野村町地区で2019年7月3日午後6時50分、中川祐一撮影
遺族らの弁護士によると、野村ダム(西予市)と鹿野川ダム(大洲市)について、豪雨で雨水の流入量増加が予想されたのに、管理する国土交通省四国地方整備局が事前放流で十分な容量を確保していなかったと主張。両市に対しては放流情報の周知を怠ったと訴える。
西日本豪雨では、四国地整が両ダムで流入量とほぼ同量を放流する「異常洪水時防災操作」を実施。安全とされる基準の6倍の量が放流されて肱川が氾濫し、両市で8人が死亡、数千戸が浸水した。西予市で避難指示が出たのは、緊急放流の約1時間前、大洲市ではわずか5分前だった。【中川祐一】