八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「千曲川はなぜ決壊したのか」(エコトピア)

 環境問題を中心に取材活動を行っているジャーナリストの杉本裕明さんが昨年の台風19号による水害の原因を追究した記事がウエブサイト「エコトピア」に掲載されました。
 千曲川の堤防決壊の原因や堤防強化工法のほか、連載記事の後編では治水効果の観点から浅川ダム、八ッ場ダムの問題も詳しく取り上げられています。
 千曲川支流の浅川に建設された浅川ダムは、田中康夫元長野県知事のダム見直し政策により、一旦は事業が中止されながら、田中氏が知事選に敗れたことで復活し、2016年に完成しました。しかし、治水専用の浅川ダムは、今回の水害ではまったく役立たずでした。記事では、八ッ場ダムの治水効果について、ダム推進の山田正中央大学教授、ダム反対の嶋津暉之さん(元・東京都環境科学研究所研究員、当会運営委員)のそれぞれの見解も紹介されています。

 ぜひ、お読みください。

◆2020年2月26日 エコトピア掲載
 千曲川はなぜ決壊したのか(上)  弱かった堤防と河床掘削怠ったツケ

 昨年10月日本列島を襲った台風19号は各地に大きな被害をもたらしました。長野県では千曲川が氾濫し、長野市や千曲市などの住民は川から押し寄せた洪水に苦しみました。

一瞬のうちに家を失った人。泥水をかぶり、りんご園が台無しになった農家。過去の教訓が生き、助け合いの精神が生きていたこの地域では地域住民がいち早く避難し、被害の程度の割に死者は5人と、他の地域と比べて少ない数字でした。

いま、避難指示の方法などソフト面での対策が声高に叫ばれていますが、被害を大きくした堤防決壊がなぜ起こったのか、どうすれば被害を防げるのか、利根川なども含めてハード面から考えてみました。

                             ジャーナリスト 杉本裕明

(以下略)

◆2020年2月28日 エコトピア掲載
千曲川はなぜ決壊したのか(下)  
 役に立たなかった浅川ダムと、利根川の八ッ場ダムと渡良瀬遊水地の評価

 前回は、洪水による被害を防ぐために、堤防の強化と河川の浚渫(しゅんせつ)の必要性をとりあげた。今回は洪水対策としてダムがどの程度役立つのかを考えたい。

浅川の下流は
長野市内を走り、北にある飯山市に向かうJR飯山線。長野駅から乗車し、4つ目の駅が信州浅野駅だ。そこから千曲川に向かって南に歩くと、浅川が千曲川に合流する地点が見える。合流地点の少し手前に、排水機場と水門がある。

台風19号の時には、千曲川の水位が浅川の水位より高くなり、行き場のなくなった浅川の水が氾濫した。千曲川と浅川に挟まれた長沼地区を中心に1,000ヘクタール近くが浸水し、大きな被害をもたらした地域だ。浅川をさらに遡ると、JR東日本の車両基地がある。120両の新幹線の車両が水没し、大きなニュースになった。いまも泥にまみれた新幹線の車両が野外に置かれたままである。近くの住民が嘆いた。「洪水対策のために造った浅川ダムは何の役にも立たなかった」

その浅川ダム。2001年に当時の長野県知事だった田中康夫氏が「脱ダム宣言」を行い、洪水対策としての県営の浅川ダムの建設中止を表明したことがある。しかし、村井仁知事にかわって方針が戻った。続いて知事になった阿部守一氏も計画を見直すことはなく、2017年に完成した。

いったん消えた計画が息を吹き返した時、県民の批判を和らげるために採用されたのが穴あきダム方式。ダムの底部に穴を空け、普段は水を流し、ダムに水を溜めない。洪水のときに貯水機能を持たせる「環境配慮型」のダムだ。

治水効果がなかった浅川ダム
総貯水量110万㎥の小さな県営ダムは、台風19号に対してどう機能したのか。国土交通省の川の防災情報の記録を見ると、台風19号が長野県を襲った10月12日午後から13日午前にかけて、ダムに入ってくる流入量と「洪水吐(こうずいばき)」(幅1・3メートル)と呼ばれる穴から下流に出て行く量はほとんど変わらない。例えば、千曲川の堤防を乗り越え、洪水が住宅地に流れ始めていた13日午前1時。浅川ダムの流入量は毎秒6・23㎥。放流量は6・23㎥と、そのまま流しているだけ。決壊した午前4時は、4・24㎥と4・19㎥。ダムに水をためることなく、ひたすら下流に流し続けている。何の役にもたっていないのだ。

その頃、浅川の下流は大変な状況にあった。浅川と千曲川の水位が増し、浅川の河口にある水門が閉じられた。千曲川からの逆流を防ぐためだ。そして設置された排水機場のポンプで水をくみ出し、千曲川に流し始めた。しかし、その後、千曲川の水位が、ポンプで浅川の水を受け入れる条件として決められている基準を超えたため、排水機場を停止した。そのため、浅川の水位はさらに高まり、午前1時には千曲川からの越流で、両河川から氾濫した水で、両河川に挟まれた地域は一面泥海と化した。

この浅川と千曲川に挟まれた豊野地区は、古くから水害が何度も起きている。田んぼが広がり、それが遊水地の役目を果たし、洪水のときに大量の水を貯水していた。しかし、開発が進んで田畑は減り、最後に残った水田もJR東海の新幹線の車両基地になった。

浅川ダムが計画されたのは長野オリンピックの道路を造るためだったと指摘する住民もいる。1998年に開催された長野オリンピックのスキー場は、この浅川ダムの上流部にある。長野市街からスキー場に向かう通称オリンピック道路が整備されたが、その建設費用に、浅川ダム建設事業のための国の補助金が充てられたからだ。

ダム周辺は地滑りの危険地帯だった
それに浅川ダムの予定地は地滑りの危険性が指摘されている。1985年7月にダムの南西部にある地附山中腹で大規模な地滑りが起きている。県が1999年に設置した「地すべり等技術検討委員会」の委員だった奥西一夫京都大学名誉教授(災害地形学)は、ダム建設は妥当とまとめた委員会の結論に異議を唱えた人だ。かつて筆者の取材に「地滑りの可能性がないか、調査範囲を広げてボーリング調査を行うことを提案したが、県は『ボーリングの時間がない』と受け付けなかった」と振り返った。

一方、浅川は「暴れ川」とも呼ばれ、過去に幾度も氾濫してきた歴史がある。下流の氾濫も幾度もあったが、下流に広がる水田やリンゴ畑が遊水池の役目を果たしてきたといえる。1982年と1983年に多数の家屋が床上浸水した。住民は「当時町営住宅に住んでいたが、二階に家財道具を上げて避難した。町長に『なんでこんな危ないところに建てた』と抗議したこともある」と語る。その状況が今回、再現された。当時、ダムができたら安心できると、旧豊野町(現長野市)の職員が説明し、浅川ダム建設促進の署名簿を回覧板で回したという。

下流地域の開発が進み、最後に残った水田の一部もJR東日本に売却され、新幹線の車両基地になった。JRは土地を2メートル嵩上げしたが、それは何の役にもたたなかった。なにしろこの一体は4・5メートルも水没したのだから。危険きわまりない地区に車両基地を設置し、費用をけちって2メートルの嵩上げ造成でお茶を濁したツケが、200億円以上の損害となった。

浅川ダムによって100年に1回の確率で起きる洪水を安全に流せるといわれる。しかし、それは中上流域のことで、下流は効果が薄くなる。結局、排水機場頼りで、浅川の流量が増え、今回のように千曲川からの越水があればひとたまりもない。

遊水池求めた住民に「ダムと排水機場」と長野県
地元住民は、こうした県の姿勢に不満を高め、これまで何回となく、遊水地をつくり、安全を確保するよう要請してきたが、県は「まずはダム建設と排水機場の増設で対応したい」と言うだけだった。

その浅川ダムは、台風19号にどう機能したのか。 県河川課の担当者が語る。「浅川ダムはもともと毎秒10㎥を超えないと水を貯めることはできないのです。台風19号は千曲川の上流に降りましたが、浅川ダムの集水区域に雨はほとんど降らなかったんです」。役に立ちようもない「空振り」だったわけだ。 非難を浴びた県は、急遽、浅川下流の対策を打ち出した。排水機場の増設を急ぎ、千曲川側の浅川右岸の堤防の嵩上げ、二線堤(ある区間で二つの堤防)の設置を決めた。

こうした国や県のハード対策事業は皮肉なことに、大きな被害を出して初めて予算がつくという構造になっている。国は補正予算でそれをひねり出したが、多数の人命が失われないと対策が進まない。そこで対策が行われると、別の地域で発生し、また、その場所で緊急工事という、もぐらたたきのような悪循環に陥っているようだ。

八ッ場ダムは試験湛水中だった
この数年間の水害で、住民の不安を煽っているのが、ダムによる「緊急放流」だ。最初は洪水を受け止め、貯水を続けても限界が来て、流入した水をそのまま下流に流す。下流は突然、水量が増え、水位があがり、水害の危険性が増す。2018年7月の西日本豪雨では、愛媛県を流れる肱川で上流のダムが緊急放流し、8人の住民が犠牲になったといわれている。

もちろん、ダムの操作者にとっては、このままではダムの決壊を招きかねない中でのギリギリの選択だ。事前に緊急放流することを知らせることになっているが、周知が十分でないことも多い。

ダムへの不信感が高まる中で、ちょっとした論争が起きたのが、八ッ場ダム(群馬県)だ。コンクリートから人への転換を掲げた民主党政権は一時、ダム工事の中止を決めるが、地元の不満が高まるとすぐに復活、本体工事が進み、2020年3月に完成予定だ。台風19号が日本列島を襲った時、八ッ場ダムはちょうど試験湛水を始めたばかりだった。

それが幸いしたとも言える。八ッ場ダムは、治水容量と利水容量(下流自治体などが使う)などを合わせた総貯水容量は1億750万㎥。5,320億円もの巨額のお金を投じて造ったわりには、容量が小さく、徳山ダムの6億6,000万㎥と比ぶべくもない。全国のダムと比べると、50番目位に位置する中級のダムである。しかも、治水目的で溜めることができるのは6,500万㎥とされている。

しかし、この時は試験湛水の期間中だったので、治水容量を超え、7,500万㎥を溜めることができた。利根川では、大きな被害を出すこともなく、首都圏の安全は守られた。

効果について二つの評価
国土交通省関東地方整備局が発表した資料によると、群馬県伊勢崎市の八斗島地点で、利根川水系の上流にあるダム群(八ッ場ダム、矢木沢ダムなど7ダム)がどの程度、洪水の水位を下げる効果があったのかを調べたところ、ダムがなかった時よりも、1メートル水位を下げる効果があったという。

だが、個々のダムがどの程度の効果を発揮したのか、さらに首都圏に近い下流での効果については公表していない。河川工学が専門の山田正中央大学教授の研究室が試算したところ、八斗島地点で、7ダムで60センチ~1メートル。うち八ッ場ダムの効果は50センチあったとしている。

7ダムの治水容量は全部で1億8,000万㎥あり、八ッ場ダムの溜めた貯水量は7,500万㎥なので、その中で存在感はあったといえる。この評価をめぐっては、嶋津さんのようにほとんど意議を認めない立場に立つ人と、山田教授のように、高く評価する人の二つに割れている。

八ッ場ダムの本来の治水容量は6,500万㎥である。今回は試験湛水中であったので、7,500万㎥貯留されたが、利水容量を減らさないと、7500万㎥の貯留は無理であり、勝手にそれに手をつけることはできない。さらに、ダムの宿命といってもよいのだが、ダムの治水効果は、下流に行けばいくほど薄れる。

水源開発問題全国連絡会共同代表で、元東京都環境科学研究所研究員の嶋津暉之さんが、国土交通省の過去の試算結果と今回の利根川のデータから八ッ場ダムの効果を試算したところ、八斗島地点より50キロ下流の埼玉県久喜市の栗橋地点では、17センチ水位を下げる効果しかなかったという。もちろん、上流にいくと効果はもっと出るはずだが、国土交通省が宣伝するほどではなく、限られた中での効果だと言える。

嶋津さんは「八ッ場ダムの建設には5,320億円が使われ、関連費用を入れると6,500億円にもなる。もし、それで利根川や支流で河道整備を進めていれば、利根川流域の安全度は飛躍的に高まったに違いない」と話す。

利根川を救った渡瀬遊水地
ところで、今回、首都圏を守った立役者は渡良瀬遊水地といえるのではないか。埼玉・茨城・栃木・群馬の4県にまたがり、総貯水量の95%にあたる1億6,000万㎥を貯水した。首都圏の自治体職員は「もし渡良瀬遊水地がなかったら首都圏はどうなっていたかと考えると、空恐ろしい」と筆者に語ったことがある。

国土交通省は、この数年の水害から、ダムについて、運用面で(大雨を予測し、事前に溜まった水を流し、ダムの容量を増やしておく)事前放流の検討を行なったり、ダムの嵩上げ工事を進めて貯水量を増やしたりすることを検討している。けれども、(上)で述べた堤防対策も含め、国は「総合治水」といいながら、近年の地球温暖化にともなう集中豪雨が毎年起こり、大きな被害を繰り返すたびに、小手先の対処療法でお茶を濁しているように見える。抜本的な河川政策の転換の筋道は、いまだに示されないのである。